第7話:Vtuber

「ぶ、ぶい……?」


 俺の言葉に、ドアの向こう側から当惑の声が返ってくる。


 だが、それも仕方がない。

 この十年前の世界には、まだ『Vtuber』という言葉が生まれていないのだから。


 バーチャルMyTuber――略して、VTuber。


 その言葉は俺の体感時間では約九年前、現在からすれば約一年後に初めて登場する。

 MyTuberの名前が示すとおりに最初はアバターを使った動画投稿者という側面が強かったが、生配信界隈にも勢力を伸ばしてからは一気にその勢いを増す。

 十年後にはその数は数万人規模に達し、ポップカルチャーの一翼を担う大きな存在と化していた。

 

 一方で市場としては完全にレッドオーシャンとなっていて、一部の大手グループからデビューするか大御所に上手く取り入らなければ大半は見向きもされない状況だ。


 しかし、その言葉すら生まれていない今はブルーオーシャンもブルーオーシャン。

 上手くやれば先行者利益で、将来はウン千億円になる大市場へ食い込めるはず。

 これぞまさに、未来の知識を活用した大ビジネスだ。


「Vtuberってのは端的に言えば、アバターを使った動画投稿者や配信者のことだ」


 未来の世界でもその定義に関してはいくつかの解釈があり、正確には定まっていないがシンプルに説明するとなればこう言うのが最も適当だろう。


「はいし……無理、無理無理無理……絶対無理……!」


 見えなくてもドアの向こうで、首を左右に激しく振っている光景が目に浮かんだ。


 もちろん、いきなりそんなことを言われてこうなるのは想定通り。


 重要なのは、ここからどうやって俺を信用してもらうかだ。


「そう思うのは分かる。よーく分かる。でも、俺はゲーム内のお前を見て本当に可能性を感じたんだ。だから、ほんの少しでいいから話を聞いて欲しい」

「…………無理、まじで無理だからもう帰って」


 僅かに間を開けて、再び拒絶の言葉が返ってくる。


 それでもこいつというカードにコミットした以上、俺はこの強情な心の扉をノックし続けるしかない。


「そう言わずに、なっ? 絶対に後悔はさせないから!」

「無理無理無理。そもそも、話したこともない人にそんなこと言われても普通に怖いんだけど……」

「そりゃもっともな意見だ。でも、それなら今日から互いのことをもっとよく知り合えばいいだけだろ? 何事も最初はゼロからのスタートなんだから」


 繁華街で声掛けを繰り返しキャッチかナンパ男のようにしつこく食い下がる。


「そんなつもりもないから……もうほんとに帰って……」

「じゃあ、話はしなくてもいい! 資料! 資料がある! プレゼン用の資料を作ってきたからそれを読んでくれ! それくらいならいいだろ!?」


 鞄の中から数日かけて作ってきたプレゼン用の資料を取り出す。


「顔を合わせるのが無理でもこれを読む……いや、受け取ってくれるくらいはいいだろ? 徹夜して、まじで必死に作ったやつだからさ。せめて、そのくらいは頼むよ」

「……受け取るだけでいい? 読まないけど」


 罪悪感に付け込んだ言葉が効いたのか、渋々譲歩するような言葉が返ってきた。


「もちろん! 受け取ってもらえれば絶対に俺の熱意が伝わるから! じゃあ、隙間から入れるぞ!」


 ドアの隙間に資料をねじ込むと、少しの間を開けてズズっと引きずられるように部屋の中へと入っていった。


「ありがとう。じゃ、俺は帰るから」

「えっ? ほ、ほんとに帰るの?」

「もちろん、そういう約束をしたからな。んじゃ、今度来る時までに読んどいてくれよ」

「いや、読まないし来なくていいから……」


 扉の向こうから響くか細い声に背を向ける。


 とりあえず、これで第一関門はクリアした。


 もちろん、たったこれだけで本当に熱意が伝わって『一緒にやりたいです!』と言ってもらえるなんて思っていない。


 大事なのは、俺の要望に向こうが応えたというコミュニケーションを生み出したこと。


 こうして少しずつ俺の方へと引きずりこんでやる。


 それから俺はほとんど毎日、橘家へと足を運んだ。


「おーい、橘ー。Vtuber、やろうぜー」

「だから、やんないって……」


 どれだけ拒絶されても根気よく。


 どうせ好感度はマイナスから始まっているので、これ以上は嫌われようがない。


「そういや資料は読んでくれたか?」

「読んでない。てか、ゲームしたいから早く帰って欲しいんだけど……」


 最初は困惑していた橘の母も、俺が娘と何かしらのコミュニケーションが取れているらしいのに気付いたのか少しずつ協力的になってくれた。


「橘ってオンラインじゃないファイクエもやってんの?」

「やってるけど……一応……」

「何作目が一番好きなんだ? ちなみに俺は3が一番好きだな」

「私は6かな……って、なんで私普通に話してんの……あぁ……もう……」


 橘本人も、少しずつだけと心を開いてくれている感触はある。


 しかし、肝心の部屋の扉を開けるまでにはなかなか至ることができなかった。


「……というわけで、清依ちゃんの知恵を借りたいんだけど」


 行き詰まってしまった俺は、再び清依ちゃん宅を訪れていた。


 ベッドに寝そべりながらパチスロ雑誌を読んでいる彼女に、その知見を借りるために。


「なんで私なんだよ。てか、一万円返してよ」

「まあまあ、その話は一旦置いといてさ。ほら、清依ちゃんって大学で心理学を勉強してたじゃん? その知恵をちょっと貸して欲しいんだって」

「え~……めんどくさぁ……」

「そう言わずに! 人の心の扉を開ける画期的な心理学テクニックを俺に教えて!」


 汚い部屋の床に膝をついて、両手を合わせて頼み込む。


「そんな魔法みたいなもんじゃないっての……。てか、なんでその子のことをそんなに部屋の外に出したいわけ……?」

「それは……その……」

「その?」


 ジッと怪訝な目を向けられるが、金儲けの話があるとも言いづらい。

 この金の亡者に話せば、絶対に一口噛ませろと言ってくる。

 でも、まだ何も目処も立っていない現状で、妙な紛れの要素は入れたくない。


「……ヒトダスケ?」

「絶対嘘じゃん」


 ぎこちなく発した言葉の真意を即座に看破されてしまった。


「と、とにかく! 清依ちゃんだけが頼りなんだよ! お願いだって!」

「あぁ……もうしかたないぁ……分かった! 分かったから服を引っ張らないでよ!」


 情けなく縋り付く俺を哀れに思ったのか、すぐに折れてくれた。

 やっぱり、清依ちゃんはチョロいなぁ……。


「じゃあ、『ザイアンスの法則』って知ってる?」

「ざいあんす?」

「いわゆる単純接触効果ってやつ。要は、人は何度も会ったり見たりするものに段々と好意を抱いていくってこと。あんたがその子のところに毎日毎日足繁く通ってたのは、意図してなくてもそういう効果を生んでたわけ」

「いや、それじゃダメだったからもっと効果的な方法を聞きにきたんだけど」

「そう。だから、そこから更にあることをすれば……心の役物はフルオープンで全弾入賞のジャンジャンバリバリってわけ!」

「だから、それを教えてって言ってるんだけど」


 勿体ぶるなと急かす俺に対して、清依ちゃんは……


「一万円」


 ……と、真顔で手を突き出してきた。


 数秒の沈黙の後、俺は財布から取り出した諭吉をその手に叩きつけた。

 そうして俺は、清依ちゃんから授かった奥義と共に再び橘家へと向かった。

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