【短編】南向き、雨戸の閉じた部屋

文月余

隣人

我が家の隣に、40代のご夫婦が引っ越してこられた。


そこにはもともと夫婦と子どもの3人家族が暮らしており、我が家とも親しい付き合いであった。しかし、ご主人の仕事の都合で海外へ移ることになり、家は売りに出されていた。


前の住人がとても良い方々だっただけに、

「次に来るのはどんな方なのだろう」と気になっていたが、引越初日にはご夫婦そろって丁寧に挨拶に来られ、物腰もやわらかく、私は安心したのを覚えている。


ただ、会話は終始ご主人が中心で、奥様は笑顔をうかべながらも、どこか曇った表情であった。私が話をふってもご主人の後ろから微笑んでいるだけで、少し暗い方だなという印象であった。


その後、ご主人とは顔を合わせればにこやかに挨拶をし、立ち話をするほどの間柄になった。


話によると、ご夫婦は以前隣県のF県に住んでいたものの、奥様が体調を崩されたことをきっかけに、地元であるこの街へ戻ってこられたのだという。


ご主人は今でも勤務先はF県のようで、朝早くから車で出勤されているのをよく見かけている。対して奥様は平日はほとんど家にいるようで、庭に出ている姿は見かけても、外出されるところを、以前は一度も見たことがなかった。


ただ、週末になるといつも近くのスーパーで大量の食材を買い込んでおり、お2人はとても細身だったがゆえに「人は見かけによらないものだな」と、見かけるたびに、私は変に感心していた。


そして、隣人が引っ越してこられてから、1年ほどがたったある日の夜の出来事である。


私は夜寝る前に自室で机に向かい、読みものをすることが日課となっている。読むものは小説やエッセイ、新聞と幅広い。


私の自室は二階の北東角部屋で、北側の窓からは先に述べた隣家の窓が見える。前の住人が引っ越されてからは、向かいの部屋に明かりが灯ることもなく、どこか寂しい気持ちで窓越しの暗がりを眺めていた。


新しい隣人が来てからは、あの部屋にも時折灯りがつくのではないかと少し期待していたものの、どうやらその部屋は使われていないらしく、南側なのにいつ見ても雨戸が閉まっていた。


その夜、私はいつものように机に向かい、読書をしていた。

読んでいた本が終盤に差し掛かり、つい夜更かしをしてしまい、時刻は0時を過ぎた頃だったように思う。ふと、どこからかのようなものを感じた。


こんな感覚は以前にもあった。

そのときは、前の住人の子どもが、あの窓からこちらを眺めていたのだ。

私はその記憶を思い出し、反射的に隣家の窓へ目を向けた。


明かりはついておらず、雨戸も閉まったまま。やはり気のせいだろうか──そう思いながら目を凝らすと、雨戸がわずかに開き、20センチくらいの隙間が開いていることに気づいた。


──いつから開いていたのだろう。


ただ、自室の方が明るいため、中の様子までは分からない。私はそっと部屋の灯りを消し、しばらくその隙間を眺め続けた。


暗闇に目が慣れていくにつれ、隙間の奥に、部屋の影とは異なる黒い影があるのが分かってきた。何気なくその影を見つめていた私の目は、やがてあるものをはっきりと捉えた。


その瞬間、全身から血の気が引いた。


10歳くらいの男の子が、大きく見開いた目で、こちらをじっと見つめていたのだ。


それに気がついたとき、私は驚きのあまり後ろに飛び跳ねてしまい、机の上に置いていた置物を落としてしまった。私はそれを拾う余裕もなく、机の中にしまっていた懐中電灯を探して取り出すと、震える手で隣宅の窓を照らした。


しかし、そこには何もなかった。


いつものように雨戸が固く閉まっているだけであり、隙間も黒い影も、そこにはもうなかった。


顔ははっきりと見えなかった。だが、私には心当たりがあった。


前の住人は、ご夫婦と高校生になる子どもの3人で暮らしていたが、元々は4人家族だった。ご夫婦にはもう1人、男の子のお子さんがいたのだが、男の子が小学5年生のある日、不慮の事故で亡くなっていたのである。


あの部屋は、亡くなった男の子の部屋だった。


──もしかすると、あの子の霊がまだ家にいるのだろうか。


そんな考えが胸をよぎり、私は閉じた雨戸から、しばらく目が離せなかった。


──────────


後日、私は隣人に、思い切ってあの日の夜のことを打ち明けた。


ご主人はその話を聞いて、驚いたような表情を浮かべた。

私は、夜更かししていた自分の見間違いかもしれないと前置きしたうえで、前の住人のご子息が事故で亡くなったこと、その子の部屋があの部屋であったことを伝えた。


ご主人は、どこか安堵したような表情を浮かべ、「その男の子の霊が、遊びに来たのかもしれないですね。」と、妙に納得された様子であった。


それから数日後、私が自室で窓を開けて作業をしていると、隣宅のあの部屋から、話し声と足音が聞こえてきた。私はお祓いでも呼んだのかと考えていたが、次第に音はなくなり、車のエンジン音が遠のいていくのが聞こえた。


あの夜から、あの部屋に男の子の姿を見たことは、一度もない。


あの男の子は、私に何を訴えかけていたのだろうか。


隣人は変わらずに、隣の家に住み続けている。変わったことといえば、以前よりも奥様が明るくなり、平日昼間でも外出するようになったことくらいである。


私は今も、あの机の前に座り、本や新聞を読んでいる。

向かいの部屋の雨戸は、もちろん閉じたままだ。






──────────


最近、近所で身元不明の遺体が見つかった。損傷が激しいものの、あの子と同じ、10歳くらいの男の子らしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】南向き、雨戸の閉じた部屋 文月余 @fumitsuki-amari

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ