サンタパック
波白雲
サンタパック
空が暗くなり、繁華街が賑わう頃。駅の改札を抜けた途端、全速力で駆け出す女性が居た。同じ改札から溢れ出る大勢の間をすり抜け、直線に入ると、猛ダッシュをかける。やや遠くに見える男性を、次のコーナーまでにオーバーテイクしたい。
……ああもう! どうして今日に限って遅延しちゃうの!
心の中で悪態をつく。口は呼吸で精一杯なので、代わりに心が喋るしかない。誰かが不満を漏らさずには居られないほど、今日は特別な日だった。どうしても、時間通りに帰宅する必要があった。
……お願い! 間に合って……っ!
願いの言葉も心が担当した。誰に願っているのかは分からない。
彼女の家は駅からそう離れていない。全力疾走の体力が、ギリギリ持つくらいの距離だ。あと二つ、角を曲がればアパートが見えてくる。しかしその時、彼女の携帯から着信音が鳴った。
……う、嘘……。
彼女は走るペースを緩め、歩きながら、鞄に手を突っ込んだ。取り出しやすい位置にあった携帯を手に取り、画面を見て、足を止める。
『ご不在でしたので、商品を持ち帰りました。』
残酷な報せに彼女の意識が飛びそうになる。しかし次の瞬間、彼女は再び走り出した。
……まだトラックが居るかもしれない! 直接受け取れるかも……!
彼女は最後の望みをかけて全力で駆けた。しかし、最後の望みは、最後の角を曲がると同時に霧散した。アパートの前には、やはり何もなかった。
……そんな……。私の年末年始が……。
呼吸は落ち着いてきたので、口が担当しても良かった。しかし今回は、空気を振動させるだけの力が出なかった。だから代わりに、心を振動させた。大きなショックを受けて動揺しているから、効率的だ。
彼女が愛用していたタブレットが、先週この世を去った。彼女に別れの言葉も残さず、突然の出来事だった。その時間は、一日の仕事を終え、まったりしながらアニメを見る時間。彼女にとっての、オアシスのような時間だった。
いつもならノータイムで明るくなる画面が、しかしその日は、いくら操作しても反応しない。彼女とタブレットが出会ってからもう十年。長いお役目を終えた瞬間だった。
彼女はその日のうちに新しいタブレットを選び、発注した。オンラインサイトによると、到着予定日は一週間後。彼女の仕事納めの日だ。そして今日が、その日だった。
「置き配にすれば……良かったのかな……。でも、よく盗まれるって聞くし……」
その言葉は後悔なのか、言い訳なのか。誰にも分からないし、誰も聞いていない。
今、彼女は家に入り、大きなキャリーケースに衣服を詰めている。いや、衣服だけではない。上の空で、手近な物をただケースに入れている。必要な物、不要な物。そんなことは気にしていない。彼女にとってはもう、何もかもが必要な物ではない。
明日の早朝に家を出て、予約した飛行機に乗る。年末年始の帰省。女性の一人暮らしを心配する両親から発令された、強制イベントだ。……別に彼女は、実家が嫌いではない。ただ、好きでもない。両親は彼女をゲストのように手厚く扱ってくれるので、居心地は良いが、居場所がないのだ。
程々に家事を手伝いながら、借りる部屋でアニメを一気見する。これが年末に忙殺される彼女を支えた、『お楽しみ』だった。
キャリーケースの隙間を埋めた彼女は、携帯を手に取り、操作を始める。再配達の依頼を済まさなければならない。この家に帰ってくるのは、一週間後。
……受け付けてくれるかな……。
ダラダラと手続きを進めると、見知らぬ表示が目に入った。配送業者の選択画面に、項目が増えている。
「……サンタパック……? 『即日配送、深夜可! 枕元までお届けします』……何これ?」
説明を見ると、どうやら今晩の配達も可能だと書かれている。もう夜の十時過ぎ。荷支度に時間がかかってしまった。信憑性のない説明文に疑問は感じるが、もしこれから届けてくれるなら、感謝の言葉以外出てこない。彼女は初めて見るサービスを試してみることにした。
……もし来なくても、明日また依頼し直せばいいしね。
彼女は寝る準備を進めながら配達員の到着を待った。怪しんではいるが、もちろん期待もしている。しかし、日付が変わっても、配達員は現れなかった。
……やっぱり、来ないじゃない。まだ試験運用中なのかも。……はぁ……もういい。もう寝よ。
彼女は自身の肩と部屋の照明を落とし、布団に潜った。
◇
「……これで完了じゃな。……ホッホッホ……こりゃ楽な仕事じゃわい」
物音と微かな気配に目を開けると、闇夜に白い髭が浮かんでいた。
「……ッ! 誰ッ!?」
「ホェッ!?」
……男の声! 警察! 動けるうちに!
寝起きとは思えない程、頭がよく回っている。彼女はまだ深い眠りに入っていなかったからだ。布団に潜ってから、それほど時間は経っていない。
彼女が考えをまとめる短い間、白い髭はただ事態にうろたえていた。この場をどう収拾すべきか。
彼女が枕元にあるはずの携帯を探すと、硬く大きな物に手が当たった。
「ひっ!? な、なに!?」
予想外の感触に冷静さを失いかける。悲鳴を上げずに対処しているが、ギリギリだ。携帯を探っていた手を引っ込め、身体を縮めて震え始めた。そろそろ限界に近づいている。
その時、白い髭が距離を保ったまま、静かに声を発した。
「ご、ご依頼の商品をお届けしました……じゃ……」
「…………商品……?」
「ご、ご確認ください……じゃ……」
白い髭は彼女を刺激しないように、慎重に言葉と音を選んでいる。
……商品って何……? ……あ、もしかして、寝る前に依頼した……?
白い髭に促され、彼女は恐る恐る、再び手を伸ばした。硬いが、落ち着いて触ってみれば、よく知っている感触。枕と同じくらいの大きさの段ボール箱が、そこにあるだけだった。段ボール箱の横には、キラッと微かに光りを反射するものがある。携帯だ。
彼女は急いで携帯を手に取り、ライトで照らした。……白い髭を。
「まぶしっ!」
ライトを向けられ、手で顔を隠すその白い髭は、真っ赤な服を着ていた。老人の趣味にしては少し派手なその色を、しかし彼女はよく知っていた。
……え……? サンタさん……? いや、サンタコスした変態!?
「け、警察を呼びますッ! 動かないで!」
「ま、待つのじゃ! お願いじゃから、商品のご確認を! サンタパックじゃ!」
「……商品……そういえば、さっきの箱って……」
枕元に置かれた段ボール箱には、確かに彼女の名前が書かれている。差出人は、タブレットを購入したオンラインサイトだった。
……タブレット!!
ライトを白い髭に向けて警戒したまま、片手で箱を開けると、中から確かに、タブレットの外箱が見えてきた。彼女が注文した物だ。
「わ、私の新しいタブレット……?」
「中身はワシも知らんのじゃが……おぬしが望んだ商品で間違いないじゃろう……?」
「え、ええ……。じゃあ本当に、配達員さんなの? でも、どうして部屋に……」
「サンタパックは、枕元まで届けるのがウリじゃ。……しかしまさか、気付かれてしまうとはの……」
白い髭の老人は困った様子で、考え事を始めた。それを見て、彼女は戸締まりを確認することにした。この老人の侵入経路を探す必要がある。間違いなく不法侵入。しかし、老人の服装、サービス名から、どうしてもサンタの存在が頭をよぎる。
……もし、どこも開けられた形跡がなかったら、本当にサンタさん……? 形跡を見つけたら、すぐ警察ね……。
彼女の期待に反し、玄関、窓、すべての鍵は開いていなかった。チェーンもかかったまま、セキュリティサービスも機能している。中に入って元通りにした可能性は拭えないが、そもそも簡単には中に入れないはずの、万全の状態だった。
「あの……もしかして、サンタさん……ですか……?」
自分で声に出したものの、その馬鹿げた質問内容を彼女は恥じた。しかしそれは、的を得すぎていた。
「ううむ……。いかん……いかんのぅ……。やはりバレておる……。やはり服は変えるべきじゃった……」
……いや……服もそうだけど……『サンタ』パックって言っちゃってるし……。でも、本当にサンタさんなの……?
彼女にもサンタは居た。子供の頃だ。しかしいつからか、居なくなってしまった。それがいつだったのか、何故だったのかは分からない。確かなのは、タブレットと同じように彼女の元を離れ、タブレットとは違って二度と戻ってこなかったこと。……今日までは。
「あの……サンタさんは、何故ここに……?」
「……おかしなことを訊くもんじゃ。おぬしが依頼したのじゃろう?」
「えっと、本当に配達のために?」
「そうじゃ。それ以外にこのような部屋に入る理由はなかろう」
何気なく尊厳を傷つける発言に彼女はムッとしたが、大人なので我慢した。
「じゃあ、本当に、その日のうちに枕元まで届ける配達サービスを……?」
「そうじゃ。ワシの本業は知っておるのじゃろう? それに比べればずっと楽じゃし、こっちは生活の足しになる」
「つまり……生活に困ってこんなサービスを?」
「む……。そうはっきり言われると痛いが、そうじゃ。……しかし、なかなか依頼が来ないのじゃ。……ようやく来たかと思ったのじゃが、まさかそこで見つかってしまうとは……。歳を取ったものじゃ……」
訊いてもいない愚痴まで教えてくれる老人を見ながら、彼女はあることを思い付いた。彼女は見抜いたのだ。依頼が来ない決定的な理由を。
それは、致命的な宣伝不足。サンタパックが提供するサービスは、十分な魅力を持つと直感した。それにも関わらず、彼女自身、今日に至るまで聞いたこともなかった。ちゃんと宣伝すれば、必ず依頼は増える。その収入は、一人の生活を支えるだけでは使い切れないだろう。
「ねえ、サンタさん。私の対処に困ってるんでしょ? サンタさんに気づいちゃって、正体も知っちゃった私の」
「……その通りじゃ」
「じゃあ、一週間後にまた来てくれない? ちょっと帰省しなきゃいけないの。今日のことは、誰にも言わないから。……私に、考えがあるの」
「…………分かった。一週間後じゃな」
「ええ。よろしくね、サンタさん」
◇◇◇
『——枕元まで届けます! サンタパック! この広告をクリックすれば、初回限定50%オ——』
画面には、広告の途中でスキップ出来るかのように書かれているが、実際はほとんど全部見るまで何もできない。ただ何気なく動画を見たかっただけの彼女は、苛立ちを覚えた。
「バカみたい。枕元まで? そんな怪しいサービス、誰が使うのよ」
苛立ちのエネルギーを音に変換することで、僅かながら発散させることが出来る。しかし副作用として、見ようとしていた動画への興味も、一緒に消えてしまった。元々大した興味があった訳ではない。ちょっとした抵抗で、諦めてしまうくらいの欲求だった。
サンタパックは、今年の始め頃から噂になっている新しい配達サービスだ。繰り返し流れる広告では、荷物を受け取る手間は一切必要なく、ただ寝ているだけで枕元に届くと宣伝されている。
……それって、誰かが部屋に入ってきてるってことじゃない。
彼女は、もはや動画を映す必要のなくなった携帯を棚の上に置き、間接照明に電源を入れた。枕の近くに携帯があると落ち着かないが、夜中に目が覚めた時の灯りは欲しい。そうした彼女のこだわりを追求した結果、極限まで暗くした間接照明だけ点けるスタイルに行き着いた。
メインの照明を落とし、彼女はベッドに潜り込んだ。
……ガタッ
確かに、音がした。何かが倒れた音にも聞こえたし、少し重い物が落ちた音にも聞こえた。
……隣の人かしら……こんな夜中に……。
気にせず寝てもいい程度の出来事だ。……それが一度だけならば。
……ガタガタッ
バッと身を起こした彼女は、ベッドの横に、見知らぬ箱があることに気が付いた。箱と言うには大きすぎる。間接照明に薄っすらと照らされたそれは、まるで棺桶のようなサイズの、段ボール箱だった。
……な、なに……これ……?
そのあまりの異様さに、無意識に距離を取ろうとする。しかしそっちは壁だ。彼女は部屋の隅で、毛布をギュッと握ることしか出来なくなった。そんな彼女を他所に、さっきと同じ音が何度も鳴った。箱が、動いている。
バリッ!……バリッ!
段ボール箱が破かれる、大きな音。彼女は恐怖で動けなくなっていた。中から破かれる箱の様子を、ただじっと見ることしか出来ない。彼女の癒し空間を作るための間接照明は、箱の中を照らすには不十分だった。何も見えない恐怖が、余計に彼女を縛り付ける。せめて中が見えれば……。そんな彼女の願いは、すぐに成就した。
「ふーっ……! ちょっと硬く梱包しすぎちゃったなぁ。……スーッ…………ハーッ…………。んんー! これが本物の匂いなんだね」
箱の中から現れたそれは、流暢に人の言葉を喋り始めた。
男だった。
その男が、首を捻って彼女を見る。
「ねぇ? エリちゃぁん?」
「ひっ! だ、誰か助け——ングッ!」
男は素早く彼女のベッドに上がり、手で口を塞いだ。毛布が絡まって上手く暴れられない。
「ダメだよエリちゃん、大きな声出したら近所迷惑じゃないか。……ビックリしちゃったみたいだね。大丈夫」
男の生暖かい息がかかると、彼女はガタガタと震えだした。涙を流す彼女を見て、男はねっとりとした笑みを浮かべる。
「旦那さんが届いただけなんだから。……今夜は、最ッ高の、夜にしようね……」
◇
マンションの屋上、月が明るい夜空の下に、人影が見える。白い髭の男と若い女性が、
「今日の荷物も大きかったわね、サンタさん」
「そうじゃな。……その分、料金は当然……?」
「もちろんたんまりよ!」
「ほっほっほ! そりゃ何よりじゃ! ……さて、今日はもう終わりかの?」
「そんな訳ないじゃない! まだまだ運んで、まだまだ稼ぐわよ!」
「ほっほっ! 老人使いの荒い娘さんじゃ」
「パートナー、でしょ?」
「ほっほっほ!」
月明かりに照らされる彼女らの表情は、笑顔で満たされていた。何もかも上手くいっている。一切の不満を感じていない人間特有の、いびつな笑顔だった。
「随分忙しそうね」
その表情は、突然聞こえた女性の一声で呆気なく凍り付いた。白い髭たちの前方、視界に入っていたはずの場所に、スーツ姿の女性が一人、立っていた。
……え……? 何、この
事態を飲み込めない彼女とは異なり、白い髭は苦々しい表情で女を睨んでいる。
「……
白い髭が出したその声には、憎しみが込められていた。それを聞き、白い髭の隣に立つ彼女は、事態を理解した。非常に良くない事態。すぐに逃げ出すべき事態。
「あら、あなたに呼び捨てにされると、こんなにも腹が立つのね。……二度と口にしないでもらえる?」
スーツの女が発した冷たい声。その声に、彼女の足は震え出した。立っているのがやっと。
今にも倒れそうな彼女を、白い髭が後ろから支えた。後ろから回ってきた手で顎を下から掴まれ、硬い胸板に後頭部を押し付けられる。足は地面に届いていない。
……サ、サンタ……さん……?
上手く呼吸も出来ず、朦朧とする意識の中で抵抗するが、白い髭は全く意に介さない。
「何もするんじゃねぇ
「……」
白い髭がスーツ姿の女……
「……ははっ! 今日はツイてるな……。人質が傍に居る時に、お前の方から出てくるなんてよ……。そのまま動くんじゃねぇぞ! その澄ました顔、滅茶苦茶にしてやるからよぉ……!」
「……二度と口にするなと言ったの、聞こえなかったのかしら?」
「なッ……!? てめ——ガッ!?」
白い髭は首に強烈な手刀を受け、意識を失った。その後ろには、黒いコートを着た男が立っている。白い髭に拘束されていた女が屋上に転がったが、酸欠で既に気絶していた。
「……遅かったですね。黒須さん。……首を飛ばしてくれても良かったんですよ?」
「遅くなったのは謝るけど、首は飛ばしちゃダメでしょ……。それで怒られるのは僕なんだし」
「では代わりに私の怒りをぶつけても? 『
「うーん、じゃあ……お詫びとして、仕事上がりに一杯付き合う……じゃダメかな?」
「……手を打ちましょう」
「ふぅ。……それにしても、今回は逃げられずに済んで良かった。……君の美貌のお陰だね」
「やっぱり怒りますよ?」
「いや、そんなつもりじゃ! ごめんごめん!」
「…………思ってもないくせに」
黒須は白い髭の男を軽々しく担ぎ上げた。黒須よりも白い髭の男の方が大きいのだが、何も気にしている様子はない。空いた手で近くに転がっている女を指差し、
「この女性は君がよろしく。僕はもう一人拾わないといけないからね」
「当然です。女性に気安く触れでもしたら、報告書に書かせてもらいます。……もう一人の女性の方の、被害は?」
「ああ、身体的には何も。ただ、精神的にはダメそうなんで、記憶の方もよろしく」
「あれ嫌なんですよ……? 恥ずかしいんですから」
そう言いながらも、
彼女の鼻が、少し赤らんでいた。
「まあまあそんなこと言わずに。……昔から君の鼻は、役に立つんだからさ」
サンタパック 波白雲 @namishirakumo
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