三國武侠 〜五行乱世篇〜
冬司
第1話【白秋山に風立つ】
時は末法、王朝はすでに徳を失っていた。
刃金と刃金が火花を散らし、ぶつかり合う両雄の相貌を照らす。
剣戟が響くたび、憎き走狗が、蛮勇甚だしい逆賊が――。
昨日まで笑って酒を酌み交わした戦友が、ひとり、またひとりと折り重なっていく。
まさに世は乱世。
皇帝は酒池肉林に耽り、宮中には佞臣が蔓延る。
政治は腐り、法は金に売られ、民草を貪るための道具と成り下がった。
反旗を翻した者たちも、主を失い、今や野党の群れに過ぎぬ。
金は白に溢れ、木は枯れ、火は燃え荒び、土は裂け、水は沈む。
民の怨嗟は天地を覆い、新たな時代の英傑を待ち望んでいた。
その風は、西域へ――不毛の荒野に吹いた。
刑州と呼ばれ、砂丘と塩湖が支配する乾燥地帯。
昼は陽炎が地を焼き、夜は白雷が砂を裂く。
それでも人は塩を求め、香を運び、罪を流すためにこの地を行き交う。
その荒野の果てに、一際異彩を放つ山域があった。
白秋山。
一年を通して秋の草花に包まれた、かつての仙郷。
温もりと水に恵まれながら、地の者はこの山を禁域と恐れた。
ただひとりの少年を除いて——。
歳のころ十六、肩口まで伸びた髪に、平凡な背丈。
服はつぎはぎ多く、身なりは粗末。
だがその身体には密度の高い筋が通い、拳には固い茧が刻まれていた。
無骨な体つきに似合わぬ端正な顔立ち。
その瞳には理を求める光があった。
武官の子に生まれながら、剣より書を好む少年である。
その彼が、今日も禁を破り、白秋山の奥へと足を踏み入れていた。
手には、川で獲った肥えた魚。
寒風が世をさすらう中、その川魚は、秋の滋養に富んでいた。
それを掲げ、今にも失禁せんばかりの面持ちで深々と頭を垂れる。
『よもや我が領に足を踏み入れるとはな。愚かなる者よ』
木々のざわめき、川面のゆらめきに紛れ、地の底より響くかのような声が山を震わせた。
その声は鉄を撫でる風のように冷たく、蜜を焦がす香のように甘い。
『この地のものは、砂の一粒、水の一雫に至るまで我がもの。
身の程知らずにもそれを奪うは、死に値する蛮行ぞ』
唸りが咆哮へ変わる。
今にも背後から牙が振り下ろされようとしている。
「お待ちください――!」
少年は、身体を震わせながらも、腹の底から声を絞り出した。
「禁を犯したこと、平に謝罪いたします。
しかし、ひとつだけ――申し上げたい議がございます!」
沈黙。
彼には、それが永遠にひとしき静寂に思えた。
無形の声は瞬きの思案に耽ったのち、くつくつと喉を鳴らした。
『退屈しのぎに聞いてやろう。
つまらぬことを申せば、その首を捻ってやるぞ』
ふわりと、首筋に生ぬるい風。
肌が泡立ち、心の臓を冷えた手が掴む。
それでも彼は、恐怖を噛み殺し理で挑んだ。
「主さまは――真の魚の楽しみ方をご存じでしょうか?」
妖は嗤う。
『楽しみ方だと? 魚は喰うものだ。』
「いいえ。 この魚も、主さまの水を喰らい、主さまの地に育ちました。
火を通し、香を焚き、塩を振ることで――
主さまがこの地に満たした理を、より深く味わうことができます。」
再び一拍の静寂。
やがて、山の気が柔らかく揺らぎ、彼——連翼に声をかけた。
『面白い。やってみせよ。』
刑州香下の人、慈氏の子なり。名は連翼。
幼にして書を嗜み、理を究めんとす。
然れど妖の風に誘われ、禁を犯して白秋山に入る。
邪境にて妖仙獣と交わり、命を分かつ。
後に獣に星の名を与え、名を返されて赤兎となる。
人と妖と、覇を称う中原の物語、ここに始まる。
三國武侠 〜五行乱世篇〜 冬司 @dampanda
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