星守りの君へ 外伝
河内 梁
星雲騎士団副団長補佐官スピーヌス *旅立ちの時Ⅱ
「おい、スピーヌス。」
その日、いつもの訓練を終えた後スピーヌスは団長に呼ばれて執務室に入った。
執務室、と言えば響きがいいものの言ってしまえば団長という名のゴリラの巣である。
このゴリラ、人好きなゴリラでことあるごとに部下たちをこの
そのためいつも執務室はどんちゃん騒ぎで喧しく、そして男のくっさい汗などの匂いが充満している。
スピーヌスは必ずこの部屋に入る時は息を止めて入ることにしていた。
そして少しずつ息を吸い、この汗臭さに鼻を慣らす。(読者の皆様もこの部屋に入る時はぜひ参考にしてほしい)
「スピーヌス、その明らかに臭いですっていう顔をやめろ。」
団長は自分の机(その汚いことと言ったら!もう小さなゴミ屋敷であった)の上で肘をついてスピーヌスを睨む。
今、執務室には珍しくスピーヌスと団長以外には誰もおらず、いつになくしんっと静まり返っていた。
「なんで呼ばれたかわかるか?」
団長の言葉にスピーヌスは首を振る。
「じゃあ、別の質問をしよう。」
鼻から深く息を吐くと彼は改まったように口を開いた。
「お前は強い。魔法はともかく、武術は真面にやりあったら俺の次…いやもしかしたら互角かもしれん。なのになぜそれだけ力のあるお前が副団長補佐官以上に成れないかわかるか?」
スピーヌスは再び首を振った。
「それはな、人望がないからだ。なんだ、そのむすっと顔は!もう少し笑えないのか?お前だって出世したいだろ?」
スピーヌスは真顔のまま首を振る。
「なぜなんだ!お前がもう少し人望のある人間だったら!人当たりさえ良い人間だったら!お前を副団長にだって簡単にしてやれるんだ!あんな明らかに胡散臭い笑顔を振りまく男と交代させてな!ほら、ちょっと笑ってみろ!」
スピーヌスの口元がぴくぴくっと痙攣する。
「そうだ、頑張れ!あともうちょっとだ!」
団長は小鹿が初めて立ち上がろうとするのを見守るかの如くスピーヌスを応援する。
スピーヌスの唇の右端がきゅっと持ち上がった。
「駄目だ、悪だくみしているようにしか見えない。左側も上げて見ろ。」
左側をキュッと持ち上げると今度は自然と右側が下がった。
「何でお前、体は自在に動かすことができるのに唇を左右対称に持ち上げるみたいな
簡単なことができないんだ!」
団長は机の上で頭を抱える。
そんな団長をなんの感情も抱くことなく見下ろしていたスピーヌスはしばらく黙っていたがやがてこれ以上話の進まなさそうな空気を感じ取り口を開いた。
「帰ってもよろしいでしょうか。」
「おまっ…ここに入ってきてからの第一声がそれだなんて!なんて冷たいんだ!俺は!俺は悲しいぞ!胸が張り裂けそうだ!」
「失礼します。」
パタン
扉が静かに閉まると団長は深々とため息をつく。
彼は水色の自分の髪の毛をピンピンと引っ張りながら立ち上がった。
「本当に、もう少し笑顔を見せたらもっと部下たちからの評価もあがるのにな。」
机の後ろは大きな窓が設けられていて、外の柔らかな緑の芝生と厩舎が見える。
彼は部下たちを呼びつけてどんちゃん騒ぎをするのも好きだったが、こうして窓の外を眺めながら静かに考え事をするのも好きだった。
するとしばらくして厩舎の前に一人の人影が見えた―スピーヌスだ。
スピーヌスの姿を見つけると馬たちは一生懸命首を伸ばして柵から身を乗り出した。
一生懸命前掻きをしながらこっちに来いとアピールする馬たちをスピーヌスは一頭ずつ優しくその額や鼻ずらを撫でた。
馬たちはすりすりと鼻をすりよせたり、その頬を舐めたり、自分を撫でるスピーヌスの手に甘噛みしたりしている。
「…なんだ、笑えるんじゃないか。」
そうやって馬と触れ合っているスピーヌスの顔は見ているものまで自然と笑顔になるような優しくて温かな慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
「尊い…。」
突然団長の後ろから掠れ気味の低温ボイスが聞こえた。
「どっから湧いてきたんだよ、このボウフラ。」
振り返ってその突然現れた男を睨む。
ほぼ白の淡い金髪、金色の瞳、左目の下には泣きほくろ、女子が思わずため息をつくような甘い笑みをいつも浮かべたその男は副団長グラシエス。
「ボウフラとは失礼だね。しかし何とも尊いね、よし絵師を呼ぼう…いや、他の人間にあの愛おしい姿を見られるのも腹立たしいね。うーん、やっぱり僕が描こうかな。いや、あの可愛らしさを表現できる自信がない。ああ!今この瞬間ほど絵心が無いのを悔いたことはないよ。」
いつも穏やかで胡散臭い笑顔を称える腹黒副団長の珍しく興奮した様子と、常に無表情なスピーヌスの柔らかな微笑みが同時に見れるという何とも貴重な瞬間に居合わせた団長はその幸運に幸せを感じるどころか激しい疲れを感じたのであった。
おわり
星守りの君へ 外伝 河内 梁 @kawautiryo
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