にんじんとごぼうの蕎麦

指野 光香

にんじんとごぼうの蕎麦

 うだるような光が差し込んでくる。もう日も暮れるというのに、未だに気温は下がらない。庭の木々たちもうなだれている。明日はもう少し多めに水を撒こうか。そんなことを考えながらセロリとにんじんを刻む。ついでに、採れたてのパプリカも。

 ちょうど空が紫色に染まる頃、種々の野菜を添えた蕎麦が出来上がった。

「……おかえり。ご飯にしようか」

「ただいま。今日は蕎麦? 珍しいね。うどん大好き蕎麦嫌いのくせに」

「お前の好物だからなあ……今日はセロリとにんじん乗せてかけ蕎麦にしてみた。あとパプリカはうちで採れたやつ」

「へえ、思ったより長続きしてるんだね、家庭菜園。すぐやめるかと思ってた」

「……難しい気候だからなあ。家庭菜園も大変だよ。来年は別の野菜も育ててみようかな。水菜とかいいかも」

「冬じゃ僕帰ってこれないって。へちまにしようよ、面白いから」

 食卓は静かだ。いつも静かだが、この日は特に。蕎麦を啜る音と、思い出したようにぽつぽつと話しかける声だけが風鈴の音に混ざって消えていく。

「……うまいな、蕎麦。あの頃はあんなに嫌だったのに」

「ようやく蕎麦の美味しさが伝わったか。うれしいよ」

「もっと早くに気づいていたら、なにか違ったかな」

未だに俺は、気付くとそんなことばかりを考えている。なにも変わりはしない。出て行ったお前も、帰ってきたタグも、なにも変わることはない。わかってる。

「過程は変わったかもしれないけど、この結末は変わらなかったんじゃないかな」

「もっと早ければ、お前を幸せにしてやれただろうか」

「どうかな。僕は蕎麦とうどんを競い合う日々がいちばん楽しかったよ」

「お前と一緒になれただろうか」

「それは嫌だな。君は君らしく生きるのがいい」

「俺は──」

 呼び鈴が鳴った。目元を拭って玄関に立つ。

「そう悲観的になるなよ。……妹に頼んでおいたから」

 小包はあいつの実家からだった。

「そいつでも育ててさ、まあ、楽しく生きてよ。待っててやるから」

 ごぼうと、三つ葉の種。「兄さんの遺言なので送ります。またいつでも遊びに来てください」という可愛らしい文字の手紙と、あいつの写真が添えられている。

「夢枕にも立ってやれなくてごめんな」

 最後まで、遺族を巻き込んでまでロマンチシズムを捨てないあいつ。写真のドヤ顔につい笑ってしまって、でもあいつのそんなところが好きだったんだと、今さら気付いた

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