働いていれば、それなりにたくさんの文章を書くことがある。
で、そういった文章は大抵チェックが入る。上司やら同僚やらの目を通してミスを探すというのだ。
が。
彼らは「横書きなら算用数字、縦書きなら漢数字」という不完全な認識で人の文章に赤を入れたがる。そんなんだから杓子定規だと批判されているのだが、彼らは自分の常識を信じてしまう──その割にAIなどという不完全で非道徳的な物を盲目的に信奉するのはどうなんだろう? 自らの不完全を自覚しない同士お似合いということだろうか。あるいは彼らに「自分の常識」なんてものは無いのかもしれない。ただ自分より若い人間に何かを言われるのが気に食わないという老害仕草なだけ、とか。
そもそも、文字の向きは数字の表記に影響を与えない。これは漢字をひらいても開かなくても文章自体は通ることと同じで、どちらも同じものを指せるのだからどちらで書いてもよい。
しかしながら、それらは完全に同質なものではない。
算用数字は数量としての用途に特化しているから、データを示す上ではこの上なく便利だ。だから日数や成果、単純な数量に関しては算用数字で示すのが相応しい。
その一方で漢数字は言葉の一部として意味を作るものだから、単なるデータでないなら漢数字を使うべきだ。漢字でさえあれば開くことができるから、柔らかくすることも情感を込めることもできる。
「一人」と「ひとり」は「1人」とはまったく違った表現だ。いつか戦争地の子どもが「私の命は数じゃない」みたいなことを言っていたが、あれはかなり日本語的に親しい感覚がある。人間の内面にまで踏み込めるのは算用数字ではない。漢数字でありひらがなだ。
しかし彼らは豊かな内面を持たない。
成果に縛られ、理論に縛られ、効率化の波に飲み込まれて目先の「便利」とやらにすぐに飛びつく。
だから「1人」と「一人」と「ひとり」が同じ言葉に──あるいは、算用数字がわかりやすくて一番優れている、などというように──見えてしまう。
日本語という世界有数の表現力を秘めた言語に触れておきながら、その豊かさを追究しようとしない。
非常に残念なことだ。
いつかこういうことを職場のどこかでぶちまけたいところだが、また来年かな。