大好きなんですよ志怪小説。
ちょっとこの辺で語っていいですよね。私のノートなので。
そもそも「小説」とは中国の古代まで遡れる言葉です。
当時は、文字通り「小さな話」でした。どうでもいい、取るに足らない、立派な人間が語ってはいけないようなお話。
「怪力乱神を語らず」とかに見られるように、政治とか国や人の在り方について語るべきであって、おかしな話なんてしてちゃダメだよと。
まぁ、解釈の幅はあるにせよ、少なくとも教義の上ではそうなっていたと見ていいでしょう。
しかしながら、「小説」は面白い。
現代日本を見ても、流行りのお話はドラマもアニメも映画も本も、ほとんどが「小説」に分類されるようなお話ですよね。政治論やら哲学やらは──最近は薄れてきたとはいえ──人前で語るものではない、というような風潮もありましょう。
それは古代中国の人たちにとっても変わらない。禁止されていても「小説」を求めます。
そうして唐代志怪の世界に繋がっていくわけですね。
「これは世間に流布した話を集めただけです!人々のナマの在り方を記録しただけですよ!」と、そんな建前で小説を集めた人たち。まるでツンデレの女の子が「べ、別にあんたなんか……!」と強がるみたいでなんだか可愛らしいですよね。
また知識人たちも、妓女たちとの期限付きの色恋について狐や幽霊に仮託して色とりどりに語るわけです。これもまた、なんだか直接の言及を避ける日本文化との親近感があって私は好きです。
さて、まだまだ語りたいことはありますが、志怪小説について書いたら満足したのでまた今度にします。
こんな文章が誰の役に立つのやらわかりませんが、真面目に勉強しておくと人生は豊かになる、というお話でした。