第5話 破壊と再生

 暗がりを照らす無数の火の手はもはや、若浦市の全てを飲み込む勢いである。数知れない死者と行方不明者を出したこの若浦市は、未だにその火が鎮火しないのである。

 遠くに響く砲声、叫び声、爆声。その全てを聞くに、この都市の戦況は高が知れている。何人が避難できて、何人が逃げ遅れたのかは分からないが、その多くが老人や幼子を抱えた親であるということは言うまでもない。

 ビルとビルの細い隙間を、1人の女性が走る。その白い腕には幼い子どもを抱えて懸命に走る。背後には骸兵───骸骨兵スケルトンの一隊が追跡してきていた。彼らの手にはカットラスはもちろんのこと、弓、槍、そして盾剣を個々に備え、その母子を狙う。

「大丈夫、大丈夫だからね呂季ろき

 骸骨兵スケルトンの中には、弓を打ち出す者も存在したが、その放たれた矢は彼女らに当たることは無く母の体のそばを掠めてゴミ袋の山に突き刺さるか、電線を切り裂くか、あるいはコンクリの絶壁に拒絶されて弾き返されて、母親は九死に一生を得る。

 足の骨とコンクリのぶつかる音を響かせながら、醜い骸骨どもは母子を追いかけ回す。その光景はさながら集団ストーカー(にしては多すぎる)で、今にでも殺さんと狭い裏路地で距離を着々と詰めていた。

 とうとう窮屈なコンクリの壁の隙間を抜けた彼女は、前方に左右に伸びる、片側二車線の大通りに出た。左右に首を振ってどちらに向かうべきか考える。左は北、右は南。この道の伸びる方向がそれである。選択を間違えば、あの集団ストーカーのような奴らがワラワラとやって来て、八つ裂きにされるかもしれない。

 彼女は思う。こんなところで死にたくない、いや、死ねないと──そう自分に言い聞かせて決断を下した。

 向かうべきは北である。そうすれば実家へと避難ができる、そう彼女は考えたのだ。

 彼女が歩みだしたその直後、背後からはケタケタというあの骨がぶつかり合う音が鳴り響く。道の隅の業火に照らされたその異形の存在たちは、弓を引き絞り、盾を構えて、こちらを向いている。そして案の定、こちらに向かってガタガタと体を上下させながら不安定な体勢で走ってきたのだ。

 身の危険を感じ、少年を抱えて走り出すが、足が絡んで前方に転けそうになった母。咄嗟に身を捻って、我が子が自分の体重で潰れないように、背中を地面の方へと向けた。背中を打つのを感じた彼女がハッとして顔を上げると、目の前でカットラスを振り上げている骸骨兵スケルトンが居た。死を覚悟した母は、息子を強く抱き締めて目を瞑る。

「呂季…。ごめんね…」

 もうダメだ、そう思った時であった。

 ──あれ?痛くない?

 痛みと熱を感じる代わりに、ガキッという音、鋼と鋼がぶつかる音を聞き取り、ゆっくりと目を開けた。目の前には黒キャソックに身を包んで、西洋剣──クルセイダーソードで骸骨兵スケルトンのカットラスを防いでいる男が居た。背中に光を受けているために、顔は丁度影となり分からないが、首にはうっすらと紐がある。恐らくは十字架の首飾りのであろう。

 防いだカットラスが再び振り上がる前に、その男はカットラスを腕で払い飛ばして、頭蓋骨と胴体を結ぶその頸椎けいついを剣で切り離した。

「あ、ありがとうございます…」

 恐る恐る、目の前で背中をこちらに向ける彼に言う母。すると男は数秒のタイムラグのようにして、顔の左半分だけを向けてきたのだが、その目は明らかにこの世の者ではなかった。目が、その黒い瞳孔が、横に伸びきっていたのだ。

 その異様な目の下で、十字架が逆さまになって揺れていた。

「ヒッ…!」

 彼女の短い悲鳴がパチパチと弾ける火の粉に混ざっているのだが、そんなことを一切気にしない彼は、しばらくその悪魔のような目玉でこちらを見ていた。そして、クルセイダーソードを構えてから言った。

「行け」

 どこか温かいのだが、それすらも覆い尽くす冷徹な目。命を救ってくれたという事実とは裏腹に、全く人に対する礼節が感じられなかったのだ。そんな男が、神父が、今目の前で自分を救ってくれたということに、母親は驚きを隠せていなかった。

 その母親は、歯をガタガタと鳴らすものの、小さく、なおかつ静かに頷く。

 男の言葉に従って息子を抱えて廃墟の中を北へ北へと急いだ。しかし、あの神父のような男の不快な声、不敵な眼差し、不気味な感覚がずっと頭にから離れなかった。


   * * *


 時を同じくして、若浦市の中心部。

 冷たいが熱い、鋼のぶつかる音が聞こえる。その音に混じった鈍い木の音もする。

 佐野は自身の1.5倍の長さはあろう大太刀を、いとも容易く振り下ろしてみせ、それに対して、あたかも慣れたかのように受け止めるか受け流す襲津彦。互いに一歩も譲らぬ、弓と剣の気迫のぶつかり合い。

 大太刀を跳んで避けて弓を放つ襲津彦と、それを斬って薙ぎ払い襲津彦に斬りかかり続ける両者の武は、神話の領域に到達する勢いであるがために、一進一退の攻防が続く。それを骸兵たちが(元から唾などないが)固唾を飲んで見守った。

「なるほど、確かに一人で我らの勇猛なる兵の攻めを耐える程の腕があるようだな。蛮族のくせに面白いではないか」

「ハッ、そりゃテメェも同じだろうか奴婢がよ」

 敬意があるのかないのか分からないが、互いにその強さを賞賛しているのは間違いないだろう。

 佐野の銀の刃が空を裂き、唸りを上げ、残像を残して振り下ろされる。襲津彦はそれを察知すると、地面を蹴って右に避け、その大太刀の上身かみの側面も蹴り飛ばす。銀の光を散らしながら、蹴飛ばされた大太刀に引っ張られるように佐野も重心をブラされた。

「太刀を蹴るとは!鎌倉武士モノノフとしての誉は無いのか貴様!」

「生憎、俺ぁ狩人精神で三韓征伐やってたもんでな。ホマレ?ってやつぁ微塵もねぇのよ、悪ぃな」

 襲津彦の軽率な返答が、佐野の誉を穢された怒りが、そのまま刃筋に宿った。

「笑止ッ!ならば貴様のその腐りきった根性、叩き直してくれる!」

 頭に血を昇らせた佐野は、吐き散らすように怒鳴って大太刀の刃をこちらに向ける。刀の峰が佐野の方を向いたそれは、明らかな殺意の表れであった。

「おっと、怒らせちまったか。そんなつもりは無かったんだがなぁ…。ようやくエンジン?ってのが掛かったのか?あァ?」

 佐野を無意識に煽り、更に意図的に煽った襲津彦は、佐野を討ち取る算段を頭をフル回転させて模索する。幾ら自分が三韓征伐の英雄であったとしても、考え無しに戦えば、却って敵のワナにハマる可能性がある。敵──もとい佐野自身が幾ら自分を誇り高き鎌倉武士と謳っているとしても、奇襲のひとつやふたつ、伏兵の一兵や二兵は控えているだろう。何しろ、この周りが一切見えないコンクリートの杜の中で戦っているのだから。

 佐野は片手で構えた大太刀の峰を、柄を持ったまま、もう片方の手の人差し指と中指の間に置き、刃を天に向けて構える。腰は落とし、やや重心は前に傾いている。完全に斬りかかってくる構えだ。そして、あろうことか佐野がこの構えをした途端に、風が、ビルとビルの間を掛けていた空気の流れが、まるで時間が止まったかのように止んだ。

 襲津彦は内心穏やかでは無い。佐野の怒りから来る力の反動を恐れたわけでも、伏兵を心配した訳でもない。という事実に兢兢きょうきょうしたのだ。

 言動が馬鹿正直真面目でも分かる。佐野源左衛門常世という男は、鎌倉武士という仮面をつけ、その下では常に殺意の糸を紡ぎ続けている。実際、ほまれに固執した彼は、それに目を眩まされて他が一切見えていない。

「…ったく、こう殺意を表に出さねぇ奴ァ俺嫌いなんだよ」

 襲津彦はため息混じりに吐き捨てる。こういう時に、誰かが死ぬ──過去の戦場で、何度も見てきた経験則だった。

 そして彼は、腰に帯びていた直剣──炎薙剣ひなぎのつるぎの柄に手をかけると、そのままゆっくりと抜剣した。ギロリとこちらを睨みつけるような白銀の光は、剣身を伝って鋭い剣先へ辿り着くと、儚い泡の如くその姿を消した。

 襲津彦は左手に持っていた弓を投げ捨て、両手で炎薙剣を構える。

「中段か。貴様、少しは武の心得があると見える」

「これでも神功と三韓征伐に行ったからな?武道の心得くらいあるっつーの」

 二人は互いに構えて睨み合い、その場から動かない。

 しばしの静寂が訪れた。

 ──が、一枚の枯葉が枝から落とされ、ユラユラと舞って、カサカサと音を立てて地面と触れると同時に、二人は地面を踏みしめて突貫を始めた。

「キエェェェェッ!」

 奇声のような掛け声と共に振り下ろされる鎌倉武士の一閃は、確かに重く、襲津彦はそれを何とか防いだものの、ずっしりとした太刀の重みと、そこに加わる佐野の重圧に押しつぶされそうになる感覚を覚える。これが鎌倉武士なのかと、襲津彦は一瞬思う。が、こちらも負けまいと、それを弾き返して、今度は古代の英雄が炎薙剣を一振、二振と銀刃を突き立てて、佐野の首筋目掛けて斬り払う。

 佐野はその剣を弾き、避け、防ぐ。

 避けられる瞬間に、睨み目で彼を見た襲津彦。そこには汗ひとつない若々しい青年の顔があり、両目に映る。対する襲津彦はというと、こちらも汗ひとつなく、息も上がっていない。

「ようやく殺意の性を見せたな?兵卒がよ」

「ここで貴様の首級みしるしを挙げ、シャレット様に献上させて貰う!」

 睨みにフッとした笑みで返す佐野は、いざ斬らんと斬り掛かるのと同時に、襲津彦の足を刈り体勢を崩させる。グラりと揺らいだ襲津彦の首目掛けて、その銀刃が横滑りで迫るのだが、襲津彦自身も、腐っても古代の英雄に名を連ねる武人。後の時代に生まれたひよっ子に負けるなど、自尊心が許さなかった。

「首落とされるほどまだモーロクしてねぇぞゴラァッ!」

 そう叫んで、足をあえて前に滑らせて体勢を低くする。ズレた軌道によって頭部に切傷を得るだけで、佐野が目指した襲津彦の首首印は、まだ胴と繋がったままだった。襲津彦の頭部に一瞬、激痛が走る。

 姿勢を低く保ったまま斬り上げるように、佐野に貰った剣の電撃のような痛みを反発の力に変え、彼を真っ二つに切り裂こうとする襲津彦は、数秒も経たないうちに元の体勢に戻った。

 振り上げた剣はというと──残念ながら、空気を斬り裂いただけだった。

「惜しいかな惜しいかな。何寸ぞばかり奥なれば、拙は討たれておった」

「随分煽るのが好きみてぇだな」

「それは貴様も同じであろう?」

 振り上げられる大太刀は、真っ直ぐ討つべき敵へと落とされてゆく。そのヒョウヒョウという奇音はさながら、死の宣告であった。襲津彦は討ち取られまいと炎薙剣を右腰の方から左肩へと、斜めに打ち上げるように振り、その剣の軌道を塞いだ。

 交わる2振の剣は、互いにその鉄の身をぶつけ合い、キリキリと冷たい金属の擦れる音が響く。互いに一切譲ろうとはせず、相手の疲労困憊を待っている。

 ここでは負けられない、そう、負けられないのだ。

 襲津彦は契約者の命のため、対する佐野も、自分の主君の為に。この決闘サシは必ず勝たなければならなかった。

「貴様。そろそろ降伏せぬか?これ以上戦っても意味はあるまい?」

 斬撃を食らう直前、佐野は降伏を襲津彦に進める。

「そりゃそう、ダッ!」

 競り合った剣と剣の真下、襲津彦は佐野のスネを、その骨を折らんと言わんばかりの蹴り飛ばして彼の体勢を一瞬にて崩しきる。これが、彼の返答だった。

「取ったぞゲロ武者ァッ!」

 佐野の甘い囁きに対して、狩人が反骨と共に荒々しい声を上げて、体勢を崩す。足の骨を折られんばかりの激痛を食らって怯み、一瞬の隙を見せた、佐野を討ち取ろうとしたその時だった。

 鋭い音を立てた一本の矢が飛んで来る。襲津彦は反射的にその矢を、炎薙剣で振り払ってへし折った。矢が来た方を見ると、黒キャソックに逆十字の首飾り、左腰にはクルセイダーソードという異端の姿をした男が立っていた。手には弓があったが、それを直ぐに所有者と思われる骸骨兵スケルトンに返却しているのがよく見えた。

 そして、何より引っかかるのはその目──左目の瞳孔は縦ではなく横に伸び、羊やカエル、悪魔を彷彿とさせる。

「すまぬフェルディナント殿。助かった」

「佐野。ブシドーは分かるが少しは戦術的に動かないか。貴様に死なれればこちらが困る」

「異教徒の僧侶が拙に説教か。ハハハ、これはこれは。分を弁えろ蛮教。助けに来てくれなければ、今頃斬り捨てていたぞ」

「ほう?どうやら、私は命拾いしたらしい」

 襲津彦はその神父のような彼に意識を注いでいたせいで、佐野を仕留め損なって、彼を討つことは叶わなかった。彼は既に襲津彦から10メートルも向こうに居る。

「蛮族が猛者よ、この一騎討ちはお預けよ!次あるならば今度こそ雌雄を決そうではないか!」

 敵に背を向けることに戸惑いはないのだろうか、フェルディナントと呼ばれる黒キャソックの男と佐野は、彼らが率いていた動く亡骸たちと共に、闇夜に引き摺られるようにして消えていった。

「襲津彦!」

 直後、戦車の唸りを響かせながら、別方面で戦っていたロンメルが合流した。

「怪我はないか?」

 彼は続けた。が、足元から頭部へと下から順に見ると、頭部に食らったかすり傷以外、切り傷はおろか、服の傷んだ箇所すら見当たらなかった。そして、襲津彦は素っ気なく言う。

「弓と髪の毛が若干持ってかれただけだ、討死なんてするほどまだモーロクしてねぇよ」

 彼の返答に少し目を開いたロンメルは、可笑しそうに笑い出した。

「また一人で斬りあったのか」

「俺のやり方だ、サシに持ち込んでおいて陰湿な嫌がらせ。冷静さを欠かせて一気にグサッとな」

 そのあまりの単調でバカ正直な戦い方に、ため息混じりの笑いをするロンメルは「それはそうだ。三韓征伐の英雄が傷を負っては、この戦争クリークは生き残れない」と言って、紙タバコを一服。白い煙は虚無へと消えて、残ったのはあの独特なニオイだけである。

「…逃げやがったな私奴婢め」

 残された襲津彦はボソリと炎の傍で呟いた。その声は、腕の立つ強者と殺りあえた満足と、決着がつかなかったという不満が複雑に孕み、混じっている。

 炎は未だ、燃え滾っていた。


     * * *


 陽が沈み、辺りを闇が覆い尽くす頃。陸奥みちのくの一都市が、地獄のような光に照らされている。

 それは電気の灯りではない。燃え盛る炎の明かりだった。

 ロンドン大火を彷彿とさせる都市火災。炎は留まることを知らず、建物も人も区別なく喰らい尽くしながら、今やただひたすらに焦土へと変貌させんがために──その勢いを伸ばし続けていた。

「義輝。また借りていいかな?」

「構わぬ、へし折れるまで使うがよい」

 什造は義輝から再び、三日月宗近をくすめ盗るかのように拝借する。その慣れた手つきは、さながら窃盗常習犯のようであった。

 三日月宗近を手にした彼は、腰に鞘を差して抜刀。天へと向けられた刃先、炎の赤い光に照らされて光る剣筋を見上げて、思わず「やっぱすげぇなこれ…」と小さく呟いた。

 ギラリとこちらを睨みつけるように光る剣筋を仰いで、少しだけその刃を前に倒して構える。

 無垢な骸骨兵スケルトンは、その白い身体をケタケタと鳴らしながら、灰色のコートを翻したスーツ姿の剣士に襲いかかる。それも、面白く正直なほどに真っ直ぐ、突っ込んでくるのだ。

「オリャァッ!」

 思わず掛け声が飛び出した什造であったが、骸骨兵スケルトンの頭に対して、垂直に名刀の刃を斬り入れた。

 スパッというあっさりした音ではなく、ドスッという鈍い音と共に、白い賊物は崩れ落ち、白骨が足元に散らばる。什造は反射的に、「オッシャ、次ィッ!」と威勢よく叫んだ。義輝はそれに対して、あまり調子に乗るな、と釘打ちした。

 月が雲の間から顔を覗かせる頃。篝火かがりびの代わりは、燃えた車の炎と破壊された電球の火花だけ。

 まだ不慣れな剣術で必死に抵抗するものの、体力が全くない彼にとって、長期戦になればなるほど不利になることは、分かりきっていることであった。


 同時刻の若浦市中心から3キロ少し離れた山間道。県道36号と合流するこの片側一車線の道路を、一台のバンが爆走している。

 その中にはアクセルをベタ踏みする桐望と、後部座席には親友の妻とその娘。後部席の2人は背中を炎によって、赤橙に照っている。

「響子さん、そのまま浅霧さんとの合流場所までで良いんですか?必要なら福島くらいまで送りますけど」

「お心遣いありがとうございます。でも什造がお世話になった上で私たちまでなんて…。父との待ち合わせ場所までの送迎で結構ですよ」

「……わかりました」

 短く応じながらも、桐望の胸の内は、何やら黒く濃い霧が掛かったかのようにモヤモヤして、穏やかではなかった。

 浅霧響子の父──つまり、什造の義理の父である浅霧絛最あさぎりじょうさいとその妻の媛香ひめかとの合流地点。それはここから西方に約500メートル、標高は23メートル上の山の山頂。

 まだ什造が屋敷に来る前、屋敷の地下で、無邪気に遊ぶレイとそれを見守る響子をヨソに、襲津彦とロンメルと共に“安全区域”を確認した時のことが、ふと脳裏をよぎる。

 ロンメルはあの時、地図にコンパスの針を刺し手首をくるりと回して半径を描いた。そして静かに言った。

「…計算したところによると、半径5キロは危険区域となるだろう」

「つことは、その円ん中は敵がウジャウジャ居てもおかしくねえって事だろ?」

 ──だとすれば、合流地点はその“円”の中だ。

 若浦市中心部から3.6キロ。

 明らかに、安全に下車できる場所ではなかった。

 死界は航空戦力に等しい竜族を借り出している。ドラゴンブレスでここら一帯が焼き尽くされ、全員諸共消し炭になるのも時間の問題。

 ロンメルの策略と襲津彦の勢いがあっても、足止めが精々で戦線の維持はできないだろう。

 急いで戻らねば──。

 桐望はその言葉に急かされるかのようにアクセルを踏み込む。明らかに白線を越えて対向車線にはみ出ていたが、もう交通法なんて知るものか、今は命を繋ぎ止めることが最優先なのだから。

「葦高さん、そんなにスピードを出さなくても…。私たちは大丈夫ですから」

 バックミラー越しに見える透き通った声の持ち主は、娘を大事そうに抱えて、前を見据えていた。遠くで炎が盛んに燃えている。

 早く什造の元に戻れ。さもなければ什造は死ぬぞ、そう心の中の自分が叫んでいる。

 その焦りが、確かに怒髪天を衝いた。勢いよくアクセルを踏んで、山の頂上へと急ぐ。あと残るカーブは2回だけ。その先に響子の、親友の妻の両親が待っているのだ。

「目的地周辺に到着しました。運転、お疲れ様でした」

 機械的な女性の声が入ったカーナビがピリついた空気を微かに和ませ、緊張をほぐすかのように音声を出す。その音を聞いた桐望は、反射的に車のロックを解除し、山の頂上にある商店の広い駐車場に、車を白線をガン無視で停車させた。

「着きました、いつあの化け物が来るか分からないので早く避難することをおすすめします」

「桐望さんはどうするのです?」

「什造の元へ向かいます、アイツ一人じゃ何かと不安なので」

 ガソリンメーターを確認している彼を見た響子は、一言「什造をお願いします」と言って、後部のスライドドアを作動させて娘のレイと共に降りる。目の前には既に條最と媛香の姿がある。その顔は安堵の顔であった。

「じーじー!ばーばー!」

 幼いレイは、ヨタヨタと祖父母の方へと歩いていき、祖父がその小さい孫の体を受け止める。祖母の方は、車の運転席に近づいて

「娘と孫をここまで送ってくださったんですか?ありがとうございます」

 と言った。桐望は「市民らを皆殺しにしている奴らはみな、明確な殺意を持っています。早くできる限り遠くへ避難してください」と返した。

「あなたはどうするんですか?私たちと一緒にこのまま避難を──」

「什造も迎えに行きます」

 老婆の善意から来る一蹴。

 窓を閉めてアクセルを踏み込む。キキキと甲高いタイヤ音がして、礼儀知らずの男が乗った1台のバンは、再び戦禍への坂道を駆け下っていった。


    * * *


 再び場所は、もとの若浦市中心街の一角。什造や義輝をはじめ、多くの契約者や守霊が死界軍ネクロ・レギュラと激しい戦闘を繰り広げている。しかしながら数万の敵を相手にするには、圧倒的に味方の数は足らず、ジリ貧なのは明らかだった。

「義輝!このままじゃラチがあかない、一度撤退して体勢を──!」

 その時、何か危険を察知して什造は咄嗟に後ろへと下がる。周りではまだ骸兵と戦っている契約者がいる。

「そこの青のセーターを着た契約者!」

 什造は30歩近く右にずれたところで戦う契約者に呼びかけた。

「何だ!?」

 1人の契約者が灰色の怪人の突然変異種ミュータントの腕を抑えながらこちらを向いた。今にもそのゴツゴツとした灰色の巨大な手は、その契約者の顔面にぶつかりそうである。

「伏せろ!それか避けろ!敵の攻撃が来るんだ!」

 叫んだは言いものの、それの返答は「目の前に敵はいんだろ!それにどうやってこの状況でどう伏せろってんだ!それなら早くこいつを殺してくれ!」というごもっともなものであった。

 什造がわかりましたよと三日月宗近を構えたその直後、目の前で突然変異種ミュータントの腕を押えている契約者の頭上には、これでもかと言うほどにドデカいハンマーのような何かが落ちてきた。その契約者は「な、なんだこれはぁぁッ!?」と叫び声を上げるだけで逃げようとしない。いや、逃げられないのだ。腰が抜けて動けなくなった上に、突然変異種ミュータントと小競り合いをしているために、思うように逃げられないのが現実であった。

 結局、数秒足らずの断末魔がビル群にこだましたその一瞬に、突然変異種ミュータントと2人で仲良くグチャりと潰されて、原型を留めていない。真紅である血は突然変異種ミュータントの緑色の体液と混ざってなんとも気色の悪い色になってしまっている。それに加えてこの風圧に衝撃。土煙砂埃が舞って、それが天然のスモークとなっている。周りはよく見えない。それは死界軍も他の契約者も同様である。

 土煙の中、什造が目を凝らしてよく見ると、あの契約者を潰したのは棍棒だった。

 倒された契約者の守霊と思しき存在が、仇を討とうと敵に斬りかかった。だが、横から棍棒がうなりを上げて飛び出し、その守霊をまとめてなぎ飛ばした。

 土煙が舞う中、一瞬のうちに2人を仕留めた棍棒を振るうのは、フードを被った、なんというかこう、クソデカな男である。見える肌は黒──と言うよりも茶色で筋肉質の男。

 什造は直感的に嫌な予感を感じた。

「あー…。義輝」

「如何した」

「あそこに見えるのはわかるか?」

「彼処とは彼処か?」

「あそこだよ。敵は男性、190センチ髪は赤。筋肉モリモリマッチョマンの豪傑だ」

 義輝は、棍棒を振り回して他の守霊たちと戦っている大男を見ながら「あれはダグザだな。ケルトなる神話における破壊と再生を司る最高神。厄介な相手なるぞ」と言った。

 厄介なのは一目でわかる。なぜならば、現在進行形でビルの根元を抉り取りながら、その巨大な棍棒で破壊の限りを尽くしているからである。

「厄介ってあれくらい?」

「簡潔に申せばそこらのビル群を1人で破壊し尽くす程には厄介ぞ」

 その言葉を聞いた什造は、個々で正面切って戦えば死ぬのは明白と理解した。

 事実、一人で戦っていた契約者は目の前で棍棒にすり潰されている。それも胡麻擂りのように。その仕草には、一切の容赦も慈悲も、欠片すらなかった。

 その時、右前方から叫び声が聞こえた。「そこの契約者!こっちに来て手伝え!このままじゃ持たねぇぞ!」と叫ぶ契約者の姿は一瞬静止し、次の瞬間には左右対象に斬られていた。

「煩いハエばかり集ってくる。俺は目の前の契約者と話したいんだがな?」

 さすがはケルト神話の神、破壊と再生、生と死の両方の力を併せ持つその力は並の守霊でも契約者でも勝てるはずがない。

「うわぁ…。ありゃ食らったら生きていられないな」

「什造、お前ふざけているのか?」

 軽口を叩く什造に、義輝は冷徹にも言い放つ。ふざけている訳では無いが、人が死ぬという事象に対して、些か反応が軽いような気がしたのだ。

「貴様が久保江什造か。まったく厄介な事をする、大人しく我が主の傘の下に入っていればこのような事をせずとも済んだのにな。残念な男よ」

 ダグザは棍棒を振り上げて方に担ぐと、その巨体を前へ前へと進める。フードを上げて顔の全貌を露わにするや否や、そのローヴを脱ぎ捨てた。明確なバケモノだ。

「俺に何の用って言うんすか!別なノに頼んでくださいですしね!ね!?」

 苦笑しながら後ずさりする什造。その声とは裏腹に、足は土をすり、腰は既に引けている。悠々と近づいてくるダグザは高笑いしながら答えた。

「生界、この地で初めて契約者になったのが貴様のようだが自覚がないのか久保江什造よ!記念すべき契約者コヴェナント第一号がこんなヒョロガリとはな。ハッハッハッハ!愉快愉快!」

 なんだかよく分からないが、自分を小馬鹿にされているというのは何となく理解できた。実際、ダグザ本人がどれくらい“愉快”に思っているのかは不明瞭だ。こちらを煽り動揺させるためなのか、はたまた本気で面白がっているのか。生界にいる者たちには知る由もなかった。

「愉快とか何とか言ってるくらいなら──ってェ!?」

 破壊の神は什造が話しているというのにもかかわらず、自分も引き摺るほど巨大な棍棒を振り下ろしてきた。什造は咄嗟に背中を向けて逃げるが、セメントの地面とぶつかる棍棒は衝撃波とクレーター、そして地面に走る亀裂を生んで什造を巻き込んだ。

 その衝撃波で宙に投げ出された什造に再び極太の丸太のような棍棒が迫り、この日だけで二度の奇跡で死を回避した什造は、もう運も尽きたものと死を覚悟──したのだが、今度は義輝がその一払いを鬼丸国綱で防いでいた。

「義輝ー!助かったよマジで!お前がいなかったら俺はさっさとくたばってた!」

「礼は後だ、今はこの忌々しき長慶が如き男を殺すことに専念せよ」

 力負けはしたものの、義輝は後方へバク宙しながら退いて着地。対して什造はと言うと──残念なことに、尻もちを着くというなんともダサい着地。オマケに背中まで地面に打って、仰向けに倒れてしまうというなんとも情けなさすぎる始末。こればかっかしは、いつになっても慣れないらしいが、局地的なものの2ヶ月も死界と戦ってきた男と言うには、貧弱すぎる身のこなしだった。

 尻もちを着いた彼は、のっそりとそのスーツの体を起き上がらせると、あの暴力の怪物を見上げる。身長は目測でも190から200センチはあるであろうし、あの筋骨隆々の身体。什造からみて右首から左胸にかけてには槍か剣によるものであろう古傷が生々しいほどに残っているのも含め、ボディビルダーでもあの領域まで辿り着くのは難しいだろう。それにその筋肉を見せつけるかのような格好──要は上裸である。

「名乗りを上げて居ないのは流石に不格好というもの。聞かれてないが名乗りをあげるとしよう。我が名はダグザ、破壊と再生を司るケルトにおける最高神だ。名をよく覚えておけ?地獄の主神ケルヌンノスに迫られても保険となるからな!」

 ケルトの主神はそう上から目線の言葉を綴るが、それが神という、人間には全く理解することが出来ない、絶対的な存在なのだろううに感じた。が、それで死んでいい理由には到底ならなかった。

 刀を握る手は未だにその腕から離れてはいない。

 ヨロリヨロリと立ち上がる一人の会社員一般人は、異国の神に反旗を翻さんがために、自国の剣を握る。

 自分の傍らには2ヶ月の間、常に共に戦ってきた剣豪将軍が付いている。それだけで理由は十分であった。

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Last Rey/Ancient Fate 蒼山とうま @Aoyama_Toma

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