第4話 業火の中で
雪と常闇が覆う屋敷の地下で、桐望たちと合流してから、体感10分は経ったであろうか。
ロンメルの魔詛で生成し放った、第二次世界大戦時の灰色の軍服と、同じ色の鉄兜を被ったドイツ兵のような偵察兵が、偵察で手に入れた詳細を報告に戻ってくると、その資料を広げて、ロンメルと襲津彦が、碁石を動かしアーダコーダと策を練っている。彼は口を真一文字に結んでいた。その目は明らかに、机に散らされた資料を睨みつけている。
無論、政綱も地図上に置かれた幹線道路を指さしながら、2人と話し合う。ロンメルが首を横に振り、白石を、幹線道路の両側にあるビルが建っている場所において話す。それを腕を組みながらみている襲津彦。
その頃桐望は、上で響子とレイの避難用車両の最終確認とカーナビでルートの設定を行っている。
その一方で、義輝は、響子の服を握って離さないレイの頭を優しく撫でる什造を見て、何だか朗らかな気持ちになった。
まだ幼く無邪気なレイの姿が、義輝の息子・
もし我が子が早世することが無ければ、こんな風に、自分や
「什造、子の成長を見守るというのはどんな気分なのだ?」
「ん?あぁ、ちっこかったときの自分を見てる感じがするぞ。義輝には子どもはいなかったのか?」
「かつて、一人の息子と三人の娘は居たのであるがな。我は
珍しく肩を落とす義輝に、什造はそっと肩を叩く。そしてこう言葉を紡いだ。
「子どもの成長を見届けられなかったのは義輝が悪いんじゃない。その夜にお前を殺した奴が悪い。そいつは地獄に落ちるべきだ」
「そ、そうであるか…」
珍しく義輝の足が竦む。普段は平凡中の平凡な什造だが、この時だけは義輝にも伝わる怒りがあった。
今からおよそ440年前。自分の子の未来を案ずることも出来ないまま、永禄の変で松永久秀や三好三人衆をはじめとする裏切り者たちによって殺され、家族との永遠の別れ。愛した息子は早くに亡くなり、せめて娘たちだけでもと思った直後に起こったこれである。その後、彼女らがどうなったかは、義輝には知る由もない。皆殺しにされたかもしれないし、どこかで生きのびたかもしれない。
その義輝を振り回した人たちや、運命に什造は激怒している。娘の頭を撫でながら、怒りから来る涙が、ザラザラとした頬を伝っている。
「パパー?泣いてるのー?」
レイが顔を上げて問いかける。什造は「うんん、泣いてないよ。これはね、汗なんだよ。目から出てる汗さ」と優しく答えた。
什造はゆっくりと立ち上がり、薄暗い地下室を見渡す。埃をかぶった本が本棚に所狭しと敷き詰められ、ロウソクが淡い光で、その背表紙を照らし出している。日本の古い本から、今では高そうな外国の色の剥げた紅の分厚い本。そのうちの一冊の背表紙は、や色褪せのせいでよく見えないが、かろうじて“Four”の文字は確認できた。
木製の板が上に動く音がして、聞きなれたブーツの足音が降ってきた。
「什造、響子さんとレイちゃんの護送用意が整った。ロンメルが斥候部隊を編成、偵察をさせていると同時に屋敷に通じる道という道に砲兵隊を配備したが──ここがバレるのも時間の問題だろう」
什造はその声を聞くと、安心と同時に本当に上手くいくのかという疑問の念が頭をよぎる。
もし桐望の護送が失敗したら?
そう考えると思わず唇を噛みたくなる。だが、やると決めたからにはかけるしかない。死界が追いつかぬように他の契約者たちと共に1秒でも長く食い止める。それが今やるべき事だということは、義輝や政綱よりも理解していた。死者の残骸をすり潰して、仲間を、家族を守る。綺麗事を陳列させているだけであるようだがそれが什造が戦う理由である。
「桐望。響子とレイを頼んだ」
「言われなくても。しっかり2人を避難してる義父の所に連れていく。終わったら俺はすぐに合流するつもりだがどうなるかは分からない」
桐望は襲津彦とロンメルに手招きをし、2人を呼んだ。そしてそれぞれのカンと、戦況に臨機応変に対応しつつ、戦線を押し上げるように指示を出した。ロンメルは「了解」と、襲津彦は「おう」と返事して、ハシゴを登り地上へと向かっていく。彼らが外に出たであろう頃に、外からは小刻みに揺れる重低音のエンジンの振動音が聞こえ、それが徐々に遠く小さくなっていった。
ロンメルと襲津彦が去った数十秒後に、桐望が先行してハシゴを登る。それにレイを背中に背負った響子が続く。上からエンジン音が聞こえ、それが遠ざかっていくのが聞こえ、什造は桐望が2人を乗せて去っていったのを感じた。
ロウソクは、そのロウを溶かしつつもまだ灯りを保っていた。種火のような赤い炎に照らされた左半身に揺れる影。什造は、義輝と政綱と顔を合わせ、相槌を打ち、静かにそのロウソクを吹き消した。
* * *
日本屋敷から這い出た3人は、若浦市市街地へと向かう。道中に出会った翠緑のドラゴンは、猛毒の煙を吐き、蒼色のドラゴンは猛吹雪を吐いた。
「什造!」
義輝が叫んだ。それに什造は「分かってる!」と言って返して、
黒と紫の魔詛のレーザーのような光は、吸い込まれるかのように、蒼色のドラゴンを貫いてその命中部位に、大きな風穴を開けた。ゴォォォっと空をを鳴らしながら、その10メートルはあろうかという巨躯がコンクリートの地面に叩きつけられ、鈍い音を立てながら、朱色の血飛沫が周囲に散った。一体倒したかと思うも束の間、また一体、もう一体と、猛毒を吐く緑色のドラゴンや、桐望と合流する前に叩き落とした、あの業火を吐く、朱色のドラゴンの
面倒くさい、と呟くように思った什造は、まだ感覚が戻らない右腕をダラリと揺らしながら、ドラゴンの前に立った。
灰色の雲とビルの外壁で囲まれた空間に、色とりどりのドラゴンという、訳の分からない状況に、什造や義輝、政綱の3人は思わずため息をつく。絶望からではない。タイミングが最悪、幸先が悪かったからだ。
什造と義輝、政綱それらの脳を串刺しに、あるいは抉り取るか消し炭にしながら進む3人は、つい2時間前くらいまで什造が仕事をしていた、オフィスビルにたどり着いた。
車が車道の端に綺麗に整列して止められて、信号は黄色を点滅し続ける。一面のビルのガラス窓は灰色の雲を映し出し、瓦礫はいつの間にか消えていた。
ビルの隙間を冷たい風が吹き、什造の体に当たる。コートを着ているとはいえ体の芯まで凍りそうだ。
「什造。すまないが俺はここからは別行動をさせて頂きたい」
ふと政綱心配そうな顔を浮かべながら言った。
「それはどうしてだ?」
「戦況が一切分からぬ故、他の契約者が心配だ。劣勢ならば加勢する所存。なに、貴殿には義輝殿がついておられる故心配は無い」
什造は一瞬だけ困ったような表情を浮かべた。什造自身、天地がひっくり返ろうとも、政綱がいきなりこのような事を言い出すとは思っていなかったからである。しかし、この若浦市自体が死界の侵攻を受けていて、なおかつ守霊同士の通信も彼らの魔詛によってジャミングされているならば心配するのも無理は無い。人間でいえば、隣国の武力侵攻とサイバーテロが同時に起こったようなものだ。
「ちょっと待ってくれ。義輝、頼めるか?」
「あい分かった」
義輝は自身の通信回路を使い他の守霊との通信を試みた。──だが、結果は無惨にも空振り。
酷いノイズ音が通信回線を埋め尽くし、声どころか微かな信号すら掴めなかった。
「什造。駄目だ、全くもって何も聞こえぬ」
「そっか…」
什造は義輝の報告を聞き、残念そうに肩を落とした。これでは報連相どころの話ではない。依然としてこの強力なジャミングが続いているということは、死界の計画の一環である可能性が高い。理由はよく分からないが、理屈よりも先に思考がそこに辿り着いたのだ。いや、この際理詰めする程の暇もないと言った方が正しいだろうか。
「分かった。政綱、くれぐれも気をつけてくれ」
その目は、政綱を期待していた分の落胆と、無事を懇願する気持ちが複雑に混ざり合い、感情がぐちゃぐちゃになったような感じになっていた。
「心得ているつもりです。されば」
政綱は軽くお辞儀をすると、空高くジャンプしてビルの屋上を伝って飛んで行った。
「義輝。俺たちも行こう」
「心得た」
女性と間違える程の美青年と別れた什造と義輝は、ビルの谷間を駆け抜けて骸兵をなぎ倒し、ゾンビの首を刎ね、ドラゴンを屠殺して他の契約者のところまで急いだ。
時折、返り血がコートに着きながらも、足を回すのをやめない。1秒でも早く、早く。
幸いにも、死界側の派手な攻撃による瓦礫の粉塵が目印となり、契約者の居場所はすぐに確認できた。
襲撃を受けていないかのように綺麗な一角を走り抜け、戦闘形跡があるが、骸兵の残骸が一切ない一角もくぐり抜けた。
パイプ管が走るビルの谷間をすり抜けて辿り着いた先は、幹線道路の国道4号線。ビル群の間を通り抜けるかのように、まっすぐ引かれた道路だ。そこでは什造の想像を遥かに超える、激しい戦闘が繰り広げられていた。
道路や道路沿いの建物の壁には、無数の血痕がこびり付き、その上には、幾人もの人々が倒れている。原型を留めぬほどに粉々にされた者も散見され、その光景はまさに地獄絵図そのものだった。
「そこの!何ボサっとしてるんだ!
誰かが怒鳴った。多分、什造と同じ契約者の一人だろう。
「自発的に来たのにその仕打ちはないでしょぉー!」
什造は叫び声に反論しながらも、その声に感化されるように戦場へ飛び込んだ。
その戦場は、什造が今まで経験してきた骸兵との戦闘とは打って変わって、無茶ぶりの多いものだった。簡単に例えるならば、名前も性格も分からない赤の他人の寄せ集めチームで、ワールドカップ決勝戦レベルのサッカーチームとサッカー対決をしろと言われているようなものだ。こちらはパスを出しても、誰が受け取るか、パスを誰に回すかどうかすらも分からない。守るべきゴールもお互い曖昧なまま。それでも相手は完璧な布陣で迫ってくる。そんな死界に対して、契約者たちは息を合わせる間もなく、個々がバラバラに動き、敵の攻撃に次々と倒れていく。とてもでは無いが目も当てられない惨状だ。
もっとも、ついさっきまでほぼ単独行動をしていた什造が言える立場ではないが。
要は、グダグダなのである。
「おい、そこのお前!そっちの骸兵は任せた!俺は右から回る!」
「お、おう!任せとけ!」
指示を出した什造は「義輝!」と叫びながら右手から回り込もうと歩道を走る。
「如何した什造」
「さっきのあの斬撃でここら辺のをはっ倒せない?」
「我に魔詛を十二分に回してくれるなれば、打ち倒すことも出来るやもしれぬが。什造自身に危害が来るぞ」
魔詛の使い過ぎには
自身の魔詛蓄積量を大きく上回る量の魔詛を消費すれば、
頼りない彼は、迷う暇などない。いや、死界がそうさせてくれないのだ。だからこそ、己が為せる最善を尽くそうと、什造は思った。
若浦市中心地のある一角。交差点を挟んでロンメルと、彼が自身の魔詛で召喚したアフリカ軍団と
「突撃砲、撃ち方用意。撃てッ!」
第二次世界大戦中のドイツ軍が使用した、III号突撃砲──のっぺりとした、わらじのような物に大砲とキャタピラをつけたような車両が3両、横に並んでいる。雨ざらしの鋼鉄のような装甲が軋みを上げて砲を仰いで、その灰色の車体を砲火炎で燃やす。
地面と触れたその刹那、鉄くずと熱波、そして炎が骸兵を吹き飛ばす。ある骸兵は空高く花火のように打ち上げられ、またある骸兵は体を粉々にされ、血を撒き散らした。
「Panzer vor」
砂漠の狐が出した号令で、彼の搭乗するティーガーIはその鈍重な車体を前へと動かして、それに他の戦車や歩兵が続く。
ロンメルは、III号突撃砲らが先程放った砲弾の着弾点を双眼鏡で覗いて、ゆっくりとそれを下ろす。
その顔は強ばっていた。
ワラワラと沸いて出てくる骸兵どもは、二度目の死を恐れていないようにも見える。いや、一切の表情が変わらないと言うのが適切であろう。
肉の焦げる匂いも、骨の砕ける音も、奴らには関係がない。なぜならば奴らは既に生ではないのだから。
「襲津彦、右に雑魚が一個中隊分。排除できるか?」
首につけた咽喉マイクを指で押し、生前に行った通信のようにして
怒涛の如く弓を打ち放つ襲津彦は、ロンメルから飛ばされた敵軍接近の報を受け、今にでも決環を撃ち込もうと待機している(決環とは、簡単に言えばゲームやアニメでよくある必殺技のことである)。
「やあやあ我こそは!
「あれだな?右から来る雑魚どもってのは。この襲津彦様が直々に焼き払ってやんよ」
襲津彦は玉砕覚悟かと思われるほどに、勇ましく突撃してくる骸兵を見て呟く。背中に背負った矢筒から黄色い羽の矢を一本取り出し、番え、キリキリと弦を引いて照準する。
「距離はざっと一里二百間ってとこか?ロンメルみてぇに兵を召喚出来ねぇから荒っぽい手段になるが…。まぁ建物なんざ壊してなんぼだからな!」
襲津彦は弓を敵の方ではなく、その頭上目掛けて、斜め45度に構える。
「シャーシャー言ってんじゃねぇぞ!まとめて燃えて死ね!決環、
そう叫んで襲津彦が弦から手を離す。ピンと張られた弦は戻り、それに押し出されるように黄色の羽根の矢は飛翔した。それのコンマ秒の後、地面から黄金色の矢が次々と飛び出す。それは、潜水艦から撃たれたミサイルのようであった。
勇猛果敢に突貫する骸兵は、次から次へとその矢に倒れ伏す。ある
「卑怯なるぞ!一騎討ちで勝負せい!」
「黙れ!一騎討ちがお望みならその雑魚どもを下げろってんだ、鎌倉武士紛いのゲロ野郎!」
襲津彦の一喝一蹴に、佐野は少し怖気付く。
恐怖からでは無い。襲津彦の高圧的な態度に屈服したからでもない。
では理由は何か?
決まっている。鬼より恐ろしい鎌倉武士と知っていながら、それをあえて煽るような事を言う男。その度胸がとてつもないということは、鎌倉武士の端くれの佐野でも理解出来た。しかしながら、彼だって武士である。売られた喧嘩は買う、それが正々堂々戦う
「よろしい!ならば、この兵どもを下げれば一騎討ちをなされるか!」
「あぁいいぜ?やってやるよ」
カカカ、という具合に喉を小刻みに震わせて笑う。その笑い方は、あたかも悪魔が取り付いたかのようであった。
「骸骨どもと
紅の大鎧に身を包んだ佐野は、左腰に帯びた大太刀を鞘から引き抜いて構える。銀の歯に暴炎が映し出され、
対する襲津彦の剣───
一体何を企んでいる、と佐野は睨んで彼に訴える。しかしながら彼はと言うと、首を傾げたあとに口角を上げ、さらには歯を見せて笑った。完全に煽っているのだと、彼は感じ取った。
ならばいい、そちらがその気ならば。
彼は大太刀を八相に構えると、ブツブツと何かを言い始めた。
襲津彦が耳を研ぎ澄ましてそれを聞く。耳の中に聞こえてきたのは念仏だ。あの「南無妙法蓮華経」という念仏があの鎌倉武士の口から発せられているのだ。
「ひとつ、ふたつ…」
みっつ、というのと同時は彼の足があった地には風と、元の場所から後方に蹴り飛ばされたコンクリートの欠片だけが残された。
「また火葬されてぇのか?んならまぁ、ぶちかますとしますかぁ!」
矢を番えて斬り掛かる彼に照準する襲津彦の目は、三韓征伐に赴いたその時とまったく同じ目。
それは、正々堂々の戦争と狂犬じみた彼が認めた証拠でもあった。
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