第四話 静かな夜に惑う

 裏口から入ってすぐの扉を開くと、そこは事務室だった。三脚のデスクがコの字に向かい合う形で並んで、そのうち右側と奥の二つにパソコンが置かれている。残る左のデスクは書類やバインダー、スケッチブックが適当に積まれて物置状態だ。古びた室内灯は少し暗いけれど、零士はそれを気にしていない。突き当りの壁には「ガガワングランプリ」なる賞レースで、この店が大賞を受賞したことを示すポスターが堂々と掲げられている。恐らく、この芽河市で最も人気のある飲食店であることを示す名誉なのだろう。勝利を誇示するように叫んでいるビーバーの劇画調のイラストがかわいい。

 他には、書類棚の上に置かれたテレビや、小さめの冷蔵庫がある。零士は冷蔵庫の中から缶の野菜ジュースを取り出して、ごくごくと飲み始めた。空調から生ぬるい風が吹いて部屋を暖めているとはいえ、あんなに冷たほうなものを飲んでお腹を壊さないのだろうか。そんなことを考えながら見つめていると、視線に気づいた彼が怪訝な顔をした。

「なんだよ、飲みたいなら新しいの飲めよ」

「そういうわけじゃない」

「あっそ。とりあえず、適当に座れよ」

 てきとう。床に座って待てばいいのかしら。膝を畳もうとしたら、零士が部屋の隅を指さした。丸椅子が二つ重なっている。慣れない手つきで二つを分離させようとして、ガタガタと手間取った。やっとのことで外せた小さな椅子は固くて、お尻が冷たい。

 私が丸椅子に苦戦している間にジュースを飲み終えた零士は、書類が積み上げられているデスクから回転椅子を持ち出して私の向かいに座った。肘を膝において前傾姿勢になり、その顔に挑発的な笑みを浮かべる。

「お前、愛理っつったよな」

 人相の悪い零士が笑うと、とても真っ当な人間には見えなくて恐ろしい。「その道」の人間はこういう笑顔を浮かべるのだろうか……。私は生唾をのみ、動揺を隠すために聞き返した。

「あなたは零士よね。ピザの配達員なの?」

「こっちは副業だ。本業は吸血鬼狩りヴァンパイアキラー

 先ほどの戦いを思い出す。血を操り、不死身の吸血鬼に傷を与えた恐るべき戦闘術。見た目と裏腹に……いいえ、見た目通り凶悪な力を扱う人間だった。

「|吸血鬼狩り、実在していたのね。御伽噺だと思っていたわ」

「もちろん、実在するぞ。吸血鬼も、吸血鬼狩りヴァンパイアキラーも」

 口を開きかけた零士から言葉を奪ったのは、駐車場で会った老人だった。零士を椅子から追い出して、私と向かい合う形で座る。

「零士、そろそろ事のあらましを教えてくれ。この嬢ちゃんは何者なんだ?」

「それを今聞いてるところなんだよ。ったく、間が悪いぜ」

 調子を崩されて彼は僅かに機嫌を損ねた。老人はそれに構うことなく私に向き直る。

「俺は宮内源助。この店の店長オーナーで、コイツのお目付け役だ」

 源助さんは壁にもたれかかって腕を組む零士を親指で示し、強面の表情を崩して笑顔を作った。人懐っこさが良く見える優しい印象を受け、同じ強面の笑顔でも零士とは大違いだ。優しく自ら名乗ってくれた礼に、私も意を決して身分を明かすことにする。

「私はひのえ愛理あいり。多分、吸血鬼」

「ほう、珍しい苗字だ。……な、ナニィ!?吸血鬼だと」

 驚きのあまり源助さんは立ち上がり、キャスター付きの椅子が遠くへ転がった。逡巡の末、私を連れてきた零士に視線を投げる。

「ど、どういう事だ、零士」

「今回の標的、ブラックマンがコイツを追いかけてた。奴を逃したから、なんかの手がかりだと思って連れてきた」

「だからってお前、吸血鬼を連れてくるか!?」

「……俺も今知ったんだよ」

 零士は苦い顔をした。彼の考えは読めなかったけれど、私のことを吸血鬼そのものとは思っていなかったようだ。

「どうして吸血鬼から逃げていた?仲間割れでもしたのか?」

「あの男は、私の血が欲しいの」

 すると、零士は冷ややかな視線で私を見下ろした。

「お前の血がどれだけ美味いのか知らねェが、吸血鬼は吸血鬼から血を吸わねえ。つくならもっとマシな嘘にしろや」

 疑いと嫌悪の感情を隠すことなく、彼は私を侮蔑した。

「私だって好きで狙われているわけじゃない。それに、理由だってわからないもの」

「じゃあ、なんでここに来た?俺が吸血鬼狩りだって知ってて、だまし討ちでもするつもりだったのかよ」

「そんなこと……!」

 するはずがない。そう言い切れるだろうか?零士は嫌悪感を抱き、源助さんも困惑の表情を浮かべている。私の言葉は彼等には信じられない。何故なら私は、吸血鬼の頂点「真祖」の娘なのだから。

「……貴方の言うことはもっともだわ。零士」

 溜息と共に肩ががくりと落ちた。零士は急に塩らしくなった私に面食らったようで、驚いて固まっている。

「やっぱり用事は引き下げる。手間を取らせてごめんなさい」

「おい、ここまで勿体ぶってそりゃねェだろ」 

 席を立ち、部屋を出ようとした私の腕を零士が掴む。私の体が震えていることは彼にも伝わってしまった。

「お前、なに隠してんだ。なんで強がる。なんに怯えてる? はっきり言わなきゃわかんねえよ」

 きゅっと唇を噛み、彼の目を見つめ返す。言っても伝わらないとわかっている。なのに、黒い瞳の中に沈む青い夜が美しくて、私は彼に頼りたくなってしまった。

 けれど、それは間違いだった。私たちは決して相容れることはない存在なのだから。

「関係ないわ。だって私は吸血鬼ばけものの子だもの」

 彼の腕を振り払い、背を向けて逃げ出した。事務所の電灯はすぐに遠のいて、満月の光が道を照らす夜の街へと走り続ける。

(どうして)

 走り続ける私は、脳裏に彼の最後の表情が焼き付いていた。何かから逃げている私を知ろうとする彼は、嫌悪や疑念ではなく、心から私のことを心配してくれているような気がして。理由のわからないその優しさを利用するのが恐ろしくなって、私は彼からも逃げ出したのだ。

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金の天秤 レンズマン @kurosu0928

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