第2話 柚木崎雄吾の告白①
柚木崎雄吾、身長164cm。好きな食べ物はカニカマ。
いつも一緒にいる友達は、たつやと三浦くんの二人だけで、嫌いな人はいない。もちろん彼女もいない。今のところは、という但し書きがつくのは、いつか自分にもそんな日が来るんじゃないかという、根拠のない期待だけが胸の奥に生きているからだ。平日の16時に流れる昔のドラマの再放送をリアルタイムで観るため、授業が終わるとほぼ全力疾走で自転車をこぐ。そんなささやかな日課に、自分の生活の大半が占められている。
そんな僕に、「高校一年生」という新しい肩書が増えたのは今年の四月のことだった。
家から近くて、自転車で通えるから。それだけの理由で選んだ高校は、滑り止めの私立より少し背伸びがいる程度の学力だったが、不思議と努力らしい努力をせずとも合格することができた。
合格発表の日には、掲示板の前で自分の番号が見つかるまでの間、ほんの少しだけ不安で胸がざわついたけれど、いざ“あった”と分かった瞬間、そこでようやく肩の力が抜けたことを覚えている。
僕が入学した高校は進学よりも実技を重視し、専門的な技能を身につけて卒業していく生徒が多い場所だ。地元の大きな工場や建築関係に就職する卒業生がほとんどだと聞き、まるで未来のルートがすでに用意されているような学校だった。
将来の夢が特にない僕にとっては、そこに行けばいつか「自分のやりたいこと」が見つかるかもしれない。そんな淡い期待と、自分でもよくわからない焦りが入り混じった曖昧な理由で入学を決めたのだ。
入学式当日。
経済的理由も相まって「成長を見越して買った大きすぎる学生服」に包まれながら、やたらと静まり返った講堂に足を踏み入れた。
地元の中学から進んできた生徒が多かったので、見覚えのある顔ぶれも多かったが、初めて見る生徒もちらほら。新しい先生、新しいクラス、新しい空気。
自分がこれから歩く道の先に、何かが待っている気がした。
――何かが変わるのかもしれない。
そんな漠然とした期待を抱いたことを、今でもはっきり思い出せる。
優しくて世話焼きの母親。仕事で家にいないことが多いが、休みの日には必ずどこかへ連れて行ってくれる父親。近所でも仲が良いと評判の兄。
何の波風も立たない、穏やかすぎる日常。それを当たり前のように享受しながら、どこかで“変わらない毎日”に少し飽き始めていたのも事実だった。
そして、僕の中で「何かが変わった」のは、夏休み目前の七月。
資格試験の合格発表の日だった。
それはガソリンを扱うために必要な資格で、この学部に入った以上、全員が取得を求められる。半ば強制のようなものだが、持っていれば今後も役に立つかもしれないし、とりあえず勉強しておいて損はない。そう思い、入学から今日までの数カ月、授業の一環として淡々と勉強を続けていた。
努力……と言えるほどではなかったが、積み重ねた分は確かにあったのだろう。
結果は、無事に“合格”。
合格の喜びよりも安堵の方が大きかったが、僕は心地よい緊張を時間と共に流していた。
事件は、その後起こった。
昼休みになり、いつもの友達と「どうだった?」と談笑している最中、教室の黒板付近のグループから、小さく鼻をすする音が聞こえた。
「……俺、落ちた」
絞り出すような声だった。
後から聞けば、クラス40人のうち、4人ほどが不合格だったらしい。決して難しい試験ではないとはいえ、落ちる人がまったくいないわけでもないのだ。
「落ちることもあるって」「次受けたら絶対大丈夫だって」
周囲の生徒たちが口々に励ます。
今思い返してみても、とても良いクラスだったと思う。
比喩ではなく言葉通り、本当にその場にいた全員が口々に励ましの声をかけていた。
確かにそうだ。これは一発勝負の資格試験じゃないし、取れないほど難しい資格でもない。むしろ今回、問題の傾向をつかんだことで、きっと次はもっと合格に近づくはずだ。
彼は「ありがとう」と涙を袖で拭い、そして続けた。
「……俺、絶対地元の○○工場に就職したいから。ずっと子どもの頃からそこで蛍の研究をしてる人に憧れてて、この高校に入学したのも、新卒入社はここの卒業生が一番多いって聞いてたからだし。この資格も入社の必須条件って聞いたからさ」
彼の言う工場は、地元の人間なら知らない者はいないほど大きな場所だった。身近なサランラップや医療器具、果ては住宅用の建材の作成までも行っている場所で、そこを目指し、専門科目を学ぶためにこの学校へ来る学生も多い。そこに就職できれば将来は安泰、と大人達が口々に話す一種のゴール地点とも感じられる場所だった。
彼の赤裸々な告白に、周囲の同級生たちはさらに声を上げて励まし続ける。
「すごい」
そう思ったのは確かに事実だ。
ただ、その輪の中で彼を称賛すると同時に、僕は小さな刺のようなものが引っかかるのを感じていた。
この学校に入ってきた人間の多くは、みんな“なりたい自分”を思い描いている。
将来に向けて努力している。
迷いなく夢を語れる。
このクラスには、そういう人間が意外なほど多かったのだ。
──この学校に入ってくる人たちは、皆それぞれに「未来」を見据えている。
僕のように「近いから」「なんとなく」で入学した人間の方が少なくて。
それぞれが自分の人生のかたちを、本気で考えていた。
一人一人に、将来があって。
一人一人に、物語があって。
そんな当たり前のことを、まるで初めて知ったように僕は胸の奥で反芻した。
ふと、息苦しさを覚えた。
それは配送の際にずれないように同封されるたくさんの袋に押されているような、耳元で膨らみ続ける風船を押し付けられているような。心臓に直接おもりを括り付けたような、鈍い息苦しさだった。
昼休みの終わりを告げるチャイムが響き、彼が涙を止め、教室が日常のざわめきを取り戻しても、その違和感だけは僕の中に残り続けていた。
その日の午後、教室ではもう何も特別なことは起こらなかった。ただ、僕の帰り道の空気だけが、ほんの少しだけ違っていた事を覚えている。
それから—―
僕は、学校に行けなくなった。
夜廻りのなごりで 冬馬 @uma1928
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