第3話 酒盛り、堪能する

「ハァ? 武器は要らない??」


 陽が傾き、家屋や人々の影が伸びていく大通り。その往来を歩くサイカは、驚いた様子でギュウタンの漏らした言葉を繰り返した。


 彼女の横に並んだ銀髪幼女は、悪漢から奪ったサーベルを肩たたきのように扱いつつ、頷く。


「うむ。わしの極めたい武の道は、徒手空拳じゃからのぅ」

「つまり『武道家』ってことですか? 今の時代、化石に等しい職種ですよ、それ」


 ギュウタンの剥き出しになった色白の細腕を、丸眼鏡越しにまじまじと観察する。


「しかしあの戦いっぷりに反して、筋肉は全然無いのも不思議なのよね……」

「ほっほっ、簡単な話じゃよ」


 疑問を投げかけたサイカに、少女は柔らかく微笑み、空いた手の平を彼女へと向けた。


「ほれ、試しにここに拳を打ち込んでみるがいい」


「え? こ、こう……?」と戸惑いながら、小さな的を目掛け、よれよれのパンチを放つ。ぺちん、となんとも情けない音が鳴った。


「うむ。サイカよ。お主は今、どうやって拳を打った?」

「どう、って……腕の筋肉を使って、ですかね?」

「まぁ、それが普通の感覚じゃな」


 ギュウタンは「ちょっと持っておれ」と彼女にサーベルを手渡した。


「武道家……少なくとも儂の流派では、正拳突きの打ち込みに全身﹅﹅を使うのじゃよ」

「全身を?」


 首を傾げるサイカの眼前で、少女は足を肩幅ほどに開き、構える。


「後ろ足で地を蹴り。腰を捻り。前足で踏ん張り。左脇を閉め。右肩を回し。肘を伸ばし。手首を固め。指を握り込む。ひとつひとつ、その細かな動作の連続によって『正拳突き』という技となる」


 説明に合わせ、ゆっくり時間を掛けて右拳を虚空へと伸ばした。


「もちろん筋肉があるほど強力になるが、最も大切なのは『全身の連動』じゃ」

「はあ……」

「たとえ華奢な身体でも、全身の動きがしっかりと噛み合えば——」


 足を戻して、構え直し——


 ——パァンッ!


 瞬く間に打ち出された正拳突きが、空気を破る音を放つ。


「——とまぁこのように、威力のある一撃となるわけじゃよ」

「す、すごい……」


 眼鏡に負けないくらい目を丸くして、驚嘆の声を零していた。


「しかしあいにく、儂もまだまだ未熟者よ。全ての動きが寸分の狂いなく噛み合った極地。それこそが儂の思い描く“武の真髄”——」


 可憐な声でそう言うと、ぺこりと一礼した。


「ゆえに、得物を持っておると動きが制限されたり、体幹が変わってしまうのじゃ」

「なるほど……。それで、武器は要らない、というわけね……」


 得心した様子のサイカは、手渡された曲刀に目をやる。


「それでしたら、このサーベル、私に任せてもらっても構いませんか?」

「む? 別に構わんが……」

「よしっ! ちょっと待ってて下さい!」


 深緑のおさげ髪を振って町の大通りを見回した彼女は、すぐさま武器屋を発見。一目散に駆け込むと、店先の店主にサーベルを見せながら何か熱弁するような身振り手振り。少しして、ギュウタンの元へと満面の笑みを浮かべて戻ってきた。


「お待たせしましたっ!」

「お、おう……。そんなに待っておらんがの……」


 目をパチクリさせている幼女に、彼女は「はい、これ!」と手のひら大の革製巾着を差し出す。ズシリと重たいそれを受け取り中を覗くと、金貨や銀貨がたっぷりと詰まっていた。


「こ、これは……?」

「さっきのサーベルを売却した分! 身なりを見るに、お金が無くて困ってるんじゃないかな、と思いまして」


 ギュウタンの穴開き麻袋のような服に目線を向けながら、サイカは返事を待たずに話し続ける。


「あ、安心して下さい! 相場価格の一割増しで売りつけて来ましたから! さっき助けてもらったお礼です!」

「そ、そうか——」

「それと空腹でしたよね!? まだまだ返し足りないですし、この町でオススメのお店に案内しますね! こっちです、こっち!!」


 息つく暇もない早口の言い終わらぬ内に、彼女はギュウタンの腕を握って歩き始めた。


 引きずられながら「若い頃の婆さんよりも強引な子じゃのう……」と小声でボソリと呟くも、サイカの耳には届かなかった……。




   ◇ ◇ ◇




 酒場の店内は焦茶の木材を切り出して作られた柱とはりが剥き出しで、天井から吊り下げられた幾つものランタン——その蝋燭ろうそくの揺れる薄明かりが、まばらに入った客たちの頭上を照らしている。


「お姉さん、ビール二つお願ーい!」


 丸テーブルに着いたサイカは、そばを通った白い給仕服の女性に声を掛けた。


「あ、いや、わしは水で——」

「いいからいいから!」


 向かいの席に座ったギュウタンの言葉を上書きし、さらに「アレも下さーい!」と壁に並ぶ木札のメニューを指差す。


 承ったウェイトレスが離れるのを確認したのち、サイカはギュウタンに顔を寄せた。


「飲食店で水を頼むなんて、不作法者だ、って思われちゃいますよ」

「そ、そうなのか?」

「あと、店によっては生水でお腹壊すこともありますからね。時々感じるんですけど、ギュウタンって常識が所々欠けてませんか?」


 その指摘に、銀髪幼女の表情が少し強張こわばる。


「それなんじゃが——」


 周囲を見回し、陽気に騒ぐ他の客たちがこちらを気にしていない事を確認し、続ける。


「儂、この世に来たばかりなんじゃよ」

「……は?」


 おさげ髪を揺らし、困惑した顔をするサイカ。


「それって、えっと、転生者……ってことです?」

「転生……?」


 今度はギュウタンが困惑する。


「たまにいるんですよ、別世界から来た、って人。その大半が非常識でやりたい放題で、あんまりいい印象は無かったんですけど……」


 テーブルに視線を落としていたサイカだったが、顔を上げて微笑む。


「あなたのような心根のまっすぐな転生者もいるんだ、って考えを改められました!」


 その表情と言葉を受け、少女の顔も自然と綻ぶ。


「はーい、お待ちどうさまでーっす!」


 ハスキーな女声と共に、なみなみと泡が注がれた木樽ジョッキをドンと二つ置かれた。「それとこちら、コーンポークの腸詰め焼きね!」と大皿が差し出される。


 皿に乗った四本のウインナー。ひき肉がパンパンに詰まった皮は脂でテラテラと輝き、粗挽きの塩と胡椒が満遍なく振りかけられている。立ち昇る湯気と香りが鼻腔をくすぐり、自然と唾液が口中を満たしていく。


「これ、すっごく美味しいんですよ! ほら、食べて食べて!」


 そうサイカに促されるまま、ギュウタンは腸詰めのひとつにフォークとナイフを突き立てた。パリッと容易く裂けた表皮から、瞬く間にジュワッと肉汁が溢れてくる。


 だがギュウタンはやや複雑な表情をしつつ「い、いただきます……」と遠慮がちに口へと肉を運ぶ。


 咀嚼そしゃくするごとに、脂の旨味が舌に広がる。美味いと感じつつも、それでも幼女は渋顔のまま。


 しかしゴクンと飲み下した途端、その表情がパッと明るくなった。


 ——お、おお!? これだけ脂ぎっておるのに、胃もたれする気配が微塵もせん! これが……これが若さか……!!


 前世で九十九歳だった彼が、半世紀以上ぶりに得た「美味いものを思う存分食える」という感動。その衝撃は、幼女の澄んだ目から一筋の流星が溢れるほどであった。


「え、な、泣くほど美味しかった?」

「うむ……。まるで、極楽におる心地じゃ……」

「そ、そう? ほら、ビールも飲んで飲んで!」


 言われるがまま、木樽をグイと煽る。ホップの香りと微炭酸のアルコールが、肉と脂を一気に洗い流していく。(※見た目は銀髪幼女による未成年飲酒ですが、実年齢は成人済みなのでご安心ください)


 ——プリン体を気にする必要も無い……! 若いって、最高じゃな!!


 元の世界では痛風持ちだった。


「ほれ、儂ばっかに食わせておらんで、お主もどんどん食わぬか!」

「ええ! 料理もガンガン注文しちゃうわね!」

「うむ! 肉でも魚介でも、どんと来いじゃ!」


 そうして成人女性と幼女による酒宴は、夜遅くまで続いていった——。




   ◆ ◆ ◆




「すんませんッ! いただいた武器、奪われちまいました!」


 石造りの城館、奥に長い謁見の間で、一人の男が絨毯に膝をつきこうべを垂れていた。その大柄な姿は、昼間に町の路地で人を襲おうとしていた巨漢に間違いない。


 彼を見下ろす位置に、別の男が立っている。痩身で浅黄色のストレートな長髪。冷淡な表情には苛立ちの色が浮き、腰紐には直刀の鞘を差している。


 その骨張った左手が、まるで舌打ちするかのように、チキ、チキ、と鯉口を鳴らす。


「貴様……仔細を話せ……洗いざらいだ……」

「へ、へいッ!」


 怒気を孕んだ身の凍るような声を受け、大男は口を忙しなく動かし始める。


 小柄でボロ布を着た銀髪幼女のこと。体格差をものともしない身のこなし。恐れ知らずな胆力。男は覚えている事を、己に落ち度がないことを喧伝すべく虚飾して話す。


 その間も変わらぬリズムで鳴らされていた音が、やがて止まる。


「……して、おめおめと逃げて来た、と」

「ぶ、武器が無きゃ勝てそうにない相手でしたから……」


 大男は恥じらいもなく頭を何度も下げる。


 痩身の男は、ひとつ長い溜息を吐くと、懐から取り出した何かを巨漢の眼前へとほうった。


「それで新しく買い直せ」


 チリン、チリン、と跳ね回る金貨。その枚数は、六つ——。


「へ、へへへ、悪いなぁ」


 汚い笑いを浮かべながら、大男が躊躇いなく金に手を伸ばす。


 煌めきが一筋走る——。


 長髪を舞わせた男は、右手を素早く振り、血払いを済ませた刀を腰へと戻す。


 鞘と鍔がぶつかる音ののち、物言わぬ肉となった身体がドサリと床を打った。


 男は誰にでもなく、ボソリと呟く。


「——おのれの人生をな」


 部屋の奥へと向き直った痩身の男は、片膝をつき背を折る。彼の頭頂部、その先には、豪奢な椅子に腰掛ける者の影があった。


「領主殿、いかが致しましょう」


 畏まった口調で、男が問う。


「探せ——」


 年若い、青年のような声が返ってくる。


「邪魔者なら斬れ。判断はお前に任せる」

「はっ。仰せのままに」


 男は深く一礼して立ち上がると、踵を返し、死体には一瞥もせず、謁見の間を後にした。


 領主と呼ばれた者は、椅子へと深く座り直し、そして、嗤う。


「おそらく、転生者だろうな。ククッ。恨むなら、俺より後に現れたことを恨むんだな。はっはっはっはっ!」


 青年の高笑いは、夜の石室に冷たく響き渡った。



 

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転生ロリジジイ、無刀取りで無双せり! 下田 空斗🌤 @Ku_Mo99

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