本所、旧上岡邸

 するってえと黄表紙きびょうしの旦那はその足で本所ほんじょ上岡うえおか邸に行ってみた。さるの刻、昼の3時に出かけて着いたのはとりの刻になろうかとする5時前。


 初秋しょしゅうと言えど残暑の厳しい折り、汗が肌にまとわりつく。


「やれやれ、今日はやたら湿気しけるねぇ秋だってのに暑くてたまんねぇや」


 上岡邸は町中を少し外れた所にあった、あの皿数えの幽霊が出るってんで土地の者は近寄りはしない。旦那も新作のネタだと軽い気持ちで行ったが、どうにもそこだけ空気が違う。


 こういうあばら家だって雨風はしのげる、銭の無ぇ旅の者が軒下で間借りするモンだが人どころか、コウモリやネズミすら居りゃしねえ。すると…


 ごぉぉ〜ん


 と寺から時の鐘がなる、だ。お天道様は西に沈んで赤から次第に青みがかって、釣瓶つるべを落としたようにストンと暗くなる。


「参ったね、提灯はあっても火種が無ぇや」


 するとポッと旦那の横で火が灯る。


「あ、すみませんね。火を頂戴ちょうだいしますよ」


 と手馴れた感じでロウソクに火を灯し、旦那はそこでハッと気付く。


「ちょっと待て、俺以外誰も居ねえよなぁ?」


 すると井戸の周りにポッ、ポッと人魂が2つ3つ現れて井戸を照らす。すると浮かび上がるように死装束の女が悲しそうな表情ツラして。


「いちまぁ〜い、にまぁ〜い」


 と数えはじめる。うわぁ!よせよオイ!


 旦那の頭にフッと浮かんだのは番町皿屋敷のお菊さん、9枚まで数えると10枚目が無ぇとその場に居た奴が呪われちまう。逃げたくても脚がすくんで動け無ぇ。


「さんまぁ〜い、しまぁ〜い」


 お恵は数えるのを止めやしねぇ、ヤベぇヤベぇヤベぇ、ココに居たらマジでヤベぇ、逃げなきゃ逃げなきゃ!頭じゃ分かってンだが膝が震えてどうしようも無ぇ。うわぁ、どうしようどうしよう、それでもお恵は数え続ける。


「ごまぁ〜い…」


 そこで思わず口に出た。


「お恵さん、今何時なんどきでえ?」


「へぇ、で。ななまぁい、はちまぁい、くまぁい、じゅうまい……10枚?」


 お恵9の皿を2度見して。


「1枚、2枚、3枚、4枚、5枚。今何時なんどきで?へぇで。7枚、8枚、9枚、10枚…あれぇ?」


 お恵は小首をかしげて数えなおす。


「1枚、2枚、3枚、4枚、5枚。今何時なんどきで?へぇで。7枚、8枚、9枚、10枚…」


「お恵さん」


 旦那は井戸を指さして


「肝心の10枚目は(井戸の)そこにあるんじゃ無ぇのかい?」


「ああ、そうでした。私が井戸に落としたんです」


 そういうとスウッと姿はき消えて、静かだった草むらからは秋の虫のが聞こえてきた。黄表紙の旦那は足早に長屋に戻り次の日。


「え?あの上岡邸に行ったんで?」


「ああ、咄嗟とっさ誤魔化ごまかしてどうにかけむに撒いたよ」


 と、昨夜の顛末てんまつを話し、旦那はしみじみと。


「げに、女の情念とは恐ろしいものよなぁ」


「旦那、痴情のもつれじゃァ無ぇんだから妄念もうねんじゃねえのかい?」


「綺麗に締めたかったが、こいつぁ残念だ」


 時皿という、滑稽こっけいな怪談噺。これにて。


            [幕]

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創作落語[時皿] 狸穴亭銀六 @ginnrokumamiana

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