お菊の妹、お恵

 江戸の昔、黄表紙きびょうしという仕事がございまして。今でいう漫画家とかラノベ作家と言えば分かりやすいでしょうかね?世相を風刺した…新聞に載ってる風刺画の方が近いかも知れませんな。


「黄表紙の旦那ぁ知ってるかい?皿数えの井戸」


「ああ、番町ばんちょうのアレだろぅ?1めぇ2めぇと数えて1枚足りねぇって言う」


「実はな、あの皿数えの井戸。もう1つあるらしいンだよ」


「え、あんな物騒なモンがもう1個あるのかい?」


「置いてけ堀なんてそこかしこにあるんだから、そんな井戸がもう1個あってもおかしくあるめぇよ」


「そういうモンかねぇ?」


「でな、こいつぁ俺ン所の大家に聞いた話だけどよ。今はお取り潰しになった旗本の青山様に奉公してたお菊さんにはよが居たってんだよ」


「四ッ谷のお岩さんにおそでって妹が居たのは知ってるが、お菊さんにも妹が居たんだねぇ」


「なんでも上岡うえおか様ン所に奉公に行ったそうで名前が[おけい]って言ってたなぁ」


「ふむ、様の家に奉公した、おの妹の、おさんか。うえおか、きく、け…また綺麗に並んだもんだね。そのお恵さんも無礼討ちで斬られたクチかい?」


「いや、お恵さんの場合はちょっと違うらしいんだ。俺もね、大家さんから聞いた話なんだけどよ。お菊さんの妹なだけあって器量は良くて仕事も真面目だったんだ、ただ…」


「ただ、どうしたい?」


「チョイとオツムがユルくてよ、ちょいちょいしくじったり、数を間違えたりしちまう。上岡様も奥様もその辺は承知の上で奉公させてたんだが、当の本人は落ち込んで2日は引きずってしまう程らしいんだ」


「それが井戸とどう関わるンでぇ?」


「上岡様も10枚1組の皿を持っててな、お恵さんは井戸の隣で洗ってたんだとよ。その途中、手をつるっと滑らせて1枚井戸に落としちまった」


「それで斬られ…て無ぇんだよな、まあ、茶でも飲みねえ」


「済まねえな。お恵さんは斬られるのを覚悟して上岡様に手前てめぇの不始末を正直に喋った、上岡様も殿様から拝領し、家宝としてた10枚組の皿を欠けさしたとあってはどんなお咎めがあるかは分からねぇ。でもよ、上岡様ぁ御上おかみにこう言った」


『殿様より拝領せし10枚1組の皿、不手際で1枚無くしてしまいそうろう家人かじんの不手際はそれがしの不手際。斯様かような安い首一つと引替えに一族郎党、奉公人に至るまで何卒なにとぞ恩赦おんしゃ頂きたく、どうか、どうか!』


「青山様とは偉い違いだね。で、上岡様の首1つで済んだのかい?」


「いや、殿様も出来た御方でよ」


『皿より命を大事にするはじんに厚き心、余はこの様な家臣が居て感服かんぷくした。しかしこのままでは他の者に示しがつかぬ、今日より7日、蟄居ちっきょ謹慎きんしんを申し渡す』


『ははー』


「ってんで上岡様ぁ許された訳だ」


「うん、それでまだ井戸の幽霊とどう繋がるンでぇ?」


「話の肝はこっからよ、蟄居するってぇ事は体面を気にするお武家様にとっては恥だ、流石に竹で門を囲った訳じゃァ無ぇが、あるじが手前のせいで恥をかかせたと気に病んだお恵さんは、それを苦に近くの川に身投げしちまったんだ」


「あ、井戸じゃ無ぇんだ」


「慌てるンじゃねえ。それから毎夜毎夜、井戸からお恵さんのすすり泣く声がしてよ、こう…1枚2枚と数えて1枚足りねぇって数えるんだよ」


「はぁ〜、やっと繋がったよ。そんで上岡様ぁどうなった?」


「皿ぁ数えるのが毎夜ってんで、奥様が心労で寝込んじまってよ、上岡様も坊さん読んでお経を上げて貰ったが効き目が無ぇ。終いにゃ殿様に頼み込んでその家を引き払ったそうだ、大川の向かいの本所ほんじょにある草まみれの武家屋敷知ってるだろ?そこがくだんの上岡様の御屋敷よ」

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