揚げよ! か◯億 ~カツ王への道~

黒冬如庵

揚げよ! か◯億 ~カツ王への道~

◆◆◆


【前置き】

 

この物語は千葉県某所に実在する分厚いカツが超絶美味しい名店とは一切関係がない。いいね?

アッ、ハイ。

 

◆◆◆


 世界を脂の名のもとに支配すべし!


「第15回 闇の裏とんかつ大制覇王輪舞」──それは、選ばれし銘柄豚と人間だけが立てる、油煙と怨念とカロリーが渦巻く地獄のキッチンバトルだった。


 会場は千葉県某所の廃ショッピングモール地下。

 もはや保健所にも存在すら忘れられた謎の調理場である。

 照明はチカチカ、排気ダクトはべっとべと、床にはいつ拭かれたか分からない廃油のぬめり。

 

 そこへ、白い割烹着をなびかせながらひとりの若者が歩を進めた。手には包丁ケース、背中には店名入りの前掛け──その名も「とんかつ か◯億」。


「ほぉ──ここが、闇の『裏』とんかつ大制覇王輪舞……。思ったより、脂っこいな」


 若き代表・御徒 億人(おかち おくと)、通称『か◯億の若旦那』。

 二代目店主見習い心得にして、揚げ油の温度を肌感で測る男。額には汗、鼻には古びたラードの匂い、そしてみなぎるはずの力はなぜか抜け気味。

 それでも目だけはギラついていた。


 受付のイカスお姉さん──いや、どう見てもヤクザの経理担当の姉御──が、億人のエントリーシートを見て眉をひそめる。


「店名、『か◯億』? 伏せ字って何よ。名ばれ対策のつもり?」

「いえ……うちの親父が「うちはまだ全国テレビ放送の覚悟ができてねぇ」って」

「今どきテレビって……ここ、全世界闇ネット配信だけど?」

「マジ?」


 億人の背中を、汗と脂と、やっちゃったなあ感がついーっと流れ落ちる。

 だが彼は、千葉のとんかつ屋の未来を背負って来たのだ。

 ここで闇ネット配信というチキンな理由で逃げ帰っては、店の常連たちに顔向けできない。

 店のメニューには『チキンカツ』などないのだ。

 

 なにより、親父の「とんかつはなぁ、ロマンだ」という、意味が分かるような分からないような持論を裏切ることになる。


 会場中央には、円形の鉄製バトルキッチン。

 周囲には観客席──と言う名の業務用パイプ椅子──がリング状に組まれ、ギャラリーたちはすでにビールとキャベツを手に大盛り上がりだ。

 中には『ヒマラヤの岩塩』を装備した古強者さえいる。

 

 場内アナウンスが響く。


『レディーース・アンド・ジェントンマアン!! 本日はようこそお越しくださいました! これより、「第15回 闇の裏とんかつ大制覇王輪舞」、準々決勝ブロックB──『脂身の墓場』を開始します!』


──なんだよ、ジェントンマアンって。そりゃ油脂多めな人ばっかだけど。


 客席から歓声とも悲鳴ともつかないアブラギッシュな雄叫びが上がる。

 油の匂いに混じって、金と欲望と悪玉コレステロールの香りが立ち込める。


『まずは挑戦者ァ! 千葉県某所、住宅街の片隅でひっそりと──いや、わりと繁盛している噂の名店! とんかつ か◯億の若き代表! ロースの申し子! “脱力の億”ことぉぉぉ……おーかーちーーー! おくとぉぉぉ!!』


「脱力の億って誰だよ!? そんな二つ名、メニューに書いてないぞ!」


 億人は思わずアナウンスにツッコミを入れつつも、観客の前に姿を現す。

 ぱらぱらと拍手が起こり、中にはスマホで検索している者もいる。「か◯億 食べログ 星」「有名なん?」などとざわつき始める。ほとんどが初耳だが、なぜか最前列のサラリーマン三人組だけが涙目で手を振っていた。


「若旦那ぁー! 極厚ロースカツ定食、うまかったっすー!」

「300グラム! 300グラム!」

「負けても値上げだけはやめてくださーい!」


 常連だった。

 でも物価高の昨今、値上げなしは厳しい。


『対するはァァァ! 連覇なるか、悪魔の揚げ油! 『コレステロール将軍』の異名を持つ男! 肉厚至上主義、サラダは敵、血管に挑戦状を叩きつける漢のとんかつ! その名も──阿久津 背脂(あくつ せあぶら)ぇぇぇ!!』


 リング反対側の扉が爆発的に開き、もはや人間かどうか怪しい巨漢が現れた。

 腕は丸太、腹はギリシャ神話レベルの山脈、笑顔は生命保険料が跳ね上がりそうなたぷたぷのそれ。

 奴が一歩踏み出すたびに、床の油たまりが波打つ。


「ふん……貴様か。千葉の小さな店が、よくぞここまで来たもんだ」

「いや、今回が初参加なんですけど」

「Go◯gleで調べたわ! 初参加で準々決勝とは、生意気な小僧よ! どこの肉屋のコネだ!」

「親父が肉屋と飲み友達です。ほら◯戸にあるあそこの交差点の」

「むう、あそこの紹介ならヤムを得まい!」


 阿久津はガハハと笑いながら、背中にしょったドラム缶サイズの油タンクをドンッと床に置いた。

 ラベルには「特製・闇ラード」とだけ書いてある。

 絶対に健康診断でE判定が出て、怒られるやつ。


『ルールを説明せねばなるまい! 制限時間30分! テーマは『ロースとんかつ』! 客席審査と謎の闇スポンサー審査員の合計ポイントで勝敗を決する! なお、使用する豚はすべて事前に倫理的に──たぶん──なんやかんやされている!』


 なんやかんや、で片づけられた。

 大丈夫なんだろうな? 動物◯護団体とか?

 時々とんでもなくナナメなクレーム電話来るからな。

 今どき電話だよ?


「億人、まさか怯んではおるまいな?」

 リング外から声が飛ぶ。

 振り向けば、そこには誰あろう『か◯億』の店長──億人の父・御徒 億三(おかち おくぞう)が、いつもの汚れた白衣姿で腕を組んでいた。

 

 もう少し身ぎれいにしてもバチは当たらないと思う。

 飲食店なんだから。


「お、おやじ……! 来てたのか」

「当たり前だ。うちの看板背負ってんだ。仕事サボってきた」

「サボんなよ──店は!?」

「常連に任せた。新業態『自分で揚げてセルフ方式』だ」

「──保健所、怒るぞ?」


 親父の生き様は、相変わらず自由すぎた。

 だが、その目は真剣だ。


「聞け億人。ここで勝てば、千葉のとんかつの未来が開ける。負ければ──」

「負ければ?」

「“あそこの店、闇大会で敗退したとこだよね”って、変な噂だけがネットに残る」

「プレッシャーのかけ方が現実的すぎるぅ! いやだなあ、ネット時代」


 ゴング代わりに、巨大フライヤーの電源が一斉にオンになる。

 

 ジュオオオオオオオ──ッ!


──こ、これはごま油ブレンド日◯オイリオ特製揚げ油ホの3番!


 闇会場の空気が、一気に揚げ油の香りで満たされる。

 観客の胃袋が敏感に反応し、一斉にゴオオと腹の虫が鳴った。


『それでは──バトル、フライィィィィ──スタート!!』


 億人は素早くロース肉のケースを開き、筋を見て、色を見て、香りを嗅ぐ。


「……悪くない。ちょっと脂が多いけど、甘みはありそうだな。だったら──」


 彼は包丁を握り、軽く瞑想した。肩の力を抜き、意識を指先に集中させる。親父直伝、“力を抜いて、刃だけを立てろ”の教えだ。

 

 シャッ、シャッ、シャッ──。

 

 ロース肉の筋に沿って、包丁が踊る。

 余計なスジを切り、脂身の厚みを均一にしながら、食べたときに『重さ』ではなく『満足感』が来るように整形していく。


 対する阿久津は、豪快に肉塊をドンッとまな板に叩きつけた。


「ロースはなぁ! 厚けりゃ厚いほど正義! これがオレの──“大陸プレートアルティメットカット”だ!」


 奴は片手で肉をつかみ、そのままぶった切る。

 厚さは軽く5センチを超えている。

 火の通り、大丈夫なのか。その厚さでは二度揚げでも……。

 その不安をよそに、観客席から歓声が飛ぶ。


「出たー! 大陸プレート!」

「去年の優勝メニューだ!」

「歯が折れても本望のやつ!」


「この人ら、顎の筋トレに命かけすぎだろ……!」


 衣付けに入る。

 億人は、小麦粉を薄くはたき、卵液をくぐらせ、パン粉をまとわせる。

 その一連の動きは、無駄が一切ない。

 むしろ、どこか太極拳のような、ゆっくりした柔らかい流れだ。


「若旦那、もっとガツンといけよ!」

「そうだー! カツなんだからガツンとー!」


 客席のヤジが飛ぶ中、億人は首だけで返事をした。


「ガツンとくるのは噛んだ瞬間の満足感だよ。準備は、脱力でいいんです」


 阿久津はと言えば、パン粉の山にロースを豪快に投げ込んでいる。しかも粗挽きのざくざくパン粉だ。めっちゃ油吸いそうなやつ。


「パン粉はな! 魂の砂風呂だ! 埋もれろロース! 生まれ変われ背脂!」

「物理的に埋めすぎでしょ!」


 やがて、油の温度が最高潮に達する。キッチン中央の巨大フライヤーに、赤いランプが点る。

 

『目標温度180度! 揚げごろォォォ!』


 億人は、箸を油に浸し、じゅわっと出る泡を見つめる。耳を澄まし、油の音を聞く。その瞬間──彼の表情がふっと緩んだ。


「……今だな」


 彼はロースを静かに油へ滑り込ませる。

 

 ジュッワァァァァ──。


 高音でも低音でもない、心地よい中音の揚げ音。衣の周囲から細かな泡が立ち上り、やがて気泡がリズムを刻み始める。


阿久津は、ドラム缶から直接油をすくい、自前の鉄鍋にぶちまける。


「いくぞォ! “悪魔の二百十度”ぉぉぉぉ!!」

「いや絶対焦げるでしょ、それ!」


 派手な炎が上がり、観客から悲鳴と歓声が同時に沸く。火柱の向こうで、阿久津が大笑いしている。


「焦げるギリギリ! これが香ばしさの秘訣よォ!!」

「アクリルアミド爆増だよっ!」


 揚げ時間が進むにつれ、億人のロースは黄金色に変わっていく。

 表面はカリッと、内部はまだ白く柔らかい。油の音が、じゅわじゅわから、ぱちぱちへ、そして再び静けさへと変わる。

 その変化を、億人は全身で受け止める。

 彼の背中から、汗と脂と、謎の脱力オーラがもわっと立ち上った。


「億人……トンカツが見えてきたな」


 リング外から、親父の低い声が飛ぶ。


「ああ……親父。いくよ。店を継ぐ覚悟の──一撃だ」


 億人はロースを油から引き上げる。

 その瞬間、時間がスローモーションになった。

 衣からぽたぽたと落ちる油の雫が、まるで鳳凰の羽のように光を散らす。

 観客の目が釘付けになり、阿久津でさえ、思わず揚げ鍋から目を離した。


「な、なんだ……この気配……!?」


 億人は、カツ包丁を握り直す。

 脱力、深呼吸、一歩前へ。


「──“滅脂ロース鳳凰撃(めっしロースほうおうげき)”」


 光を纏って刃が唸る。


 サクッ。


 その音は、雷鳴よりも静かで、しかし会場の全員の鼓膜を直撃した。

 ロースは見事な一定の厚さに切り分けられ、断面からは透明な肉汁がじわりとあふれ出す。

 だが、不思議なことに、皿にはほとんど油が滲まない。


「バ、バカな……! 揚げ物なのに、皿がテカってねぇ!?」

「……脂が、どこいった?」


 どよめきが起こる。


 億人は静かに答えた。


「“滅脂ロース鳳凰撃”──それは、包丁を超高速振動させ、脂身のカロリーを摩擦熱で蒸発させる極限のカット。さらに、鳳凰の形に切り込みを入れることで、空気力学的に脂がゼロになる究極の技。カロリーを憎み、油を憎まず。油と和解し、油に合掌する……か◯億秘伝の最終奥義だ」


「合掌いるのか!?」


 親父のツッコミが飛ぶが、観客の誰も笑っていない。

 皆、ただその黄金ロースを凝視していた。


 阿久津も、己の巨大な大陸プレートカツを皿にドンと乗せ、ドヤァ顔で構える。


「フハハハ! たしかに見事だ。だが、オレのカツは違う! 脂も衣も、全部まとめて正面突破! “人類リミットブレイクカツ”だ!」


「名前がもう医者に怒られるやつ!」


 試食タイムが始まる。

 闇スポンサーたち──サングラスに黒スーツの男たちや、謎にゴールドカードを振り回すグルメブロガー、そしてなぜか紛れ込んでいる近所のおばちゃんなどが、慎重に一切れずつ口に運ぶ。


 最初に阿久津のカツを噛んだ審査員のこめかみには、汗がにじむ。


「う……旨い……。旨いが……重い……! 背徳的だ……! これは、週一どころか年一の覚悟が要る……!」

「歯ごたえが……すごい……。あごが鍛えられる……でも旨い……! 健康診断票の涙が見える……!」


 次に、億人のロースが配られる。

 一口噛んだ瞬間、審査員たちの表情が変わった。


「……え?」

「……軽い……。軽いのに……旨味が押し寄せてくる……」

「胸に来ない。胃にも来ない。だが、心にくる……!」


 近所のおばちゃん審査員が、感極まったように叫んだ。


「これなら、ランチで食べて、すぐにケーキバイキング行けるザマス!」

「無理!?」


 客席のサラリーマン常連たちも目を輝かせる。


「いつものだ……! 昼に食っても、午後イチ会議で眠くならない、あのか◯億のロースだ……!」

「会議中、上司の声が子守歌にならない唯一のとんかつ……!」


 阿久津は悔しそうに歯ぎしりをした。


「くっ……! バカなぁ……! 揚げ物で、胸焼けしないだと……!? それでもとんかつかァァァ!?」

「そうだよ。軽いのに満足できるとんかつこそ、現代社会の健康志向が求めるカツなんだ!」


 健康志向にカツ、合わない。


 億人は一歩前に出た。

 その姿は、割烹着のままなのに、なぜかヒーローのように見えた。脱力しているのに、背筋だけは真っすぐだ。


『審査結果、出ましたァァァ!』


 場内アナウンスが再び響く。

 巨大スクリーンに、闇スポンサー得点と客席投票が表示される。


 阿久津 背脂:総合得点 91点

 御徒 億人(か◯億):総合得点 93点


 一瞬の静寂。

 そして──爆発する歓声。


『勝者ァァァァァ! か◯億の若旦那ぁぁぁぁぁ!!』


 億人は、力が抜けてその場にへたり込みそうになりながらも、何とか踏みとどまる。

 リング越しに、阿久津が油と贅肉に塗れた手を差し出した。


「……認めよう。お前のカツ、旨かった。脂に頼らぬ軽さ、だが確かな満足感。オレの“悪魔カツ”とは別の、高みだ」

「将軍……」

「ただし──」


阿久津は指を突きつけた。


「次は負けんぞ。今度は、ヒレで決着をつける」

「いや、もうやめません? お互い健康が」

「黙れ! とんかつは命の炎だ!」


 親父・億三がリングに上がり、億人の頭をくしゃくしゃっとなでる。


「やったな、億人」

「おやじ……。か◯億のロース、通用したよ」

「当たり前だ。うちのロースは、脂と共に来たりて、脂と共に滅び、そして──脂を超えて神に至る」

「何そのポエム」


 客席から、ひとりのグルメブロガーが叫ぶ。


「これより、千葉のとんかつといえば──か◯億の名を挙げねばならないだろう!」

「そうだ!」

「千葉のロースは、か◯億の双肩にかかっている!」

「責任重すぎるわ!」


 億人は頭をかきながら、苦笑した。


「……まあ、いいか。千葉のとんかつ、背負ってみますかね」

「言ったな若旦那!」

「今録音したからな!」


 常連がスマホを掲げている。証拠は残った。


 闇会場の照明が落ちる。

 油の香りはまだ残っているが、さっきまでの殺伐とした空気は、どこか満ち足りた空腹感と期待感に変わっていた。


 かくして、「第15回 闇の裏とんかつ大制覇王輪舞」に殴り込みをかけた、千葉県某所のとんかつ屋「か◯億」の若き代表は、見事に一勝をもぎ取った。

 

 そしてこの日から──


「千葉のとんかつの未来は、とんかつ屋『か◯億』の双肩にかかっている」


 という、だいぶ荷の重いキャッチコピーが、勝手に街を駆け巡ることになるのだった。

 


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あとがき

作者はとんかつが好きです。

トンカツが大好きです。

甘い背脂のロースカツなど、もうたまらない。

大葉を挟んだチーズカツには涎さえ出る。


そんな作者は日々、インドカレー武者修行のかたわら、『滅脂ロース鳳凰撃』の習得に励んでいるのですが、一向にものになりません。


それに狂気という背脂をチャッチャしたらこうなりました。


※当たり前ですが、これはフィクションです※


実在の極厚ロースカツが大変美味しい店との関わりを疑われる場合は、疑うに足るソースの提供をお願いします。

カツだけに。


拝手。

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