『俺達のグレートなキャンプ187 ヤクザの犬を預かっちゃった!よし、慎重に可愛がろう』

海山純平

第187話 ヤクザの犬を預かっちゃった!よし、慎重に可愛がろう

俺達のグレートなキャンプ187 ヤクザの犬を預かっちゃった!よし、慎重に可愛がろう


「今回のグレートキャンプは――」

石川が両手を大きく広げて叫んだ瞬間、富山はすでに嫌な予感で眉間に深いシワを刻んでいた。キャンプ場の駐車場。周囲には家族連れやカップルが和やかにテントを設営している。その平和な風景の中で、石川だけが異様なテンション、まるでロックフェスの司会者のようなハイテンションで叫び続ける。

「ヤクザの犬を預かっちゃったので、慎重に可愛がるキャンプだぁぁぁぁ!!」

声が山々にこだまする。いや、こだまどころか、近くでコーヒーを淹れていた中年男性がマグカップを取り落とした。ガシャーン、という音が妙に大きく響く。

「は?」富山の声は完全に裏返っていた。「いや、は? ちょっと待って石川、今なんて――」

「ヤクザの犬!」千葉が目をキラキラさせて復唱する。「うわぁ、石川さん、今回も飛ばしてますね! どんなキャンプも一緒にやれば楽しくなる、僕のモットーですから!」

「いや待て待て待て千葉、肯定するな! 肯定するなぁぁぁ!」富山が千葉の肩を激しく揺さぶる。千葉の体が前後にぐらんぐらん揺れる。

石川は車のトランクを開けた。そこには――いた。柴犬だ。茶色い毛並みの、ずんぐりむっくりした柴犬が、キラキラした瞳でこちらを見つめている。首輪には「ジロウ」という名札。そして、その横には――

「これ、これぇぇぇぇ!?」富山が指差したのは、名札の裏に小さく刻まれた家紋のようなマーク。どう見ても極道系の組織のエンブレムだ。「本物じゃないか! 本物のヤクザの犬じゃないか!」

「いやぁ、偶然でさぁ」石川が頭をかきながら、これ以上ないほど軽い調子で説明を始める。「昨日、ガソリンスタンドで給油してたら、隣に高級車が停まったわけよ。で、中から強面のおじさんが出てきて――」

「やめて、もうその時点で関わっちゃダメなパターンじゃん!」富山の声が一オクターブ上がる。

「で、そのおじさんが『ちょっとトイレ行ってくるから、この子見ててくれる?』って。俺、断れない性格じゃん?」

「嘘つけ! お前普段から好き勝手やってんだろ!」

「そしたらさぁ、戻ってきたおじさんが『兄ちゃん、動物好きか?』って聞くから、『キャンプでよく野生動物見ますよ』って答えたら、『おお、キャンプか! いいねぇ!』って意気投合しちゃってさぁ」

石川の説明を聞きながら、富山は両手で顔を覆う。指の隙間から覗く目は完全に絶望の色を帯びている。

「で、『実は今週末、急な出張でジロウの面倒見れなくてさぁ。ペットホテル全部満員でよぉ。兄ちゃん、預かってくれねぇか?』って――」

「断れよぉぉぉぉ!!」富山の叫びが再び山々にこだまする。今度は隣のテントサイトの家族全員がこちらを振り向いた。お父さんが子供を自分の後ろに隠す。

「でもさぁ、おじさん困ってたし。それに――」石川がニヤリと笑う。その笑顔は完全に確信犯だ。「これ、グレートなキャンプのネタになるじゃん!」

「ネタって言うな! これはネタで済む話じゃないんだよ!」

千葉が車に近づき、ジロウの頭を撫でる。ジロウはしっぽをブンブン振って、舌を出してハァハァしている。まったく、極道の犬とは思えないほど人懐っこい。

「可愛いなぁ、ジロウ」千葉が満面の笑みを浮かべる。「石川さん、これは楽しいキャンプになりますよ!」

「だぁぁぁぁ! 千葉まで!」富山が地団駄を踏む。その振動で近くに置いてあったクーラーボックスがガタガタ揺れる。

石川がジロウを抱き上げる。ジロウは石川の顔をペロペロ舐める。

「よーし、じゃあジロウ、俺達のキャンプサイトへようこそ!」

「待って待って!」富山が石川の前に立ちはだかる。「せめて、せめて計画を立てよう? 『慎重に可愛がる』って言ってたよね? だったら計画が必要でしょ!」

石川が首を傾げる。「計画?」

「そう! 計画!」富山がスマホを取り出し、メモアプリを開く。その手が小刻みに震えている。「まず、ヤクザの犬を預かるってことは、何か問題が起きたら――起きたら――」

言葉が続かない。富山の顔が青ざめていく。想像したくない未来がフラッシュバックのように脳裏をよぎる。

「大丈夫大丈夫!」石川が富山の肩をポンポン叩く。「おじさん、めっちゃいい人だったよ。『何かあったらこの番号に電話してくれ』って、名刺くれたし」

「名刺!? ヤクザの名刺!?」

石川がポケットから名刺を取り出す。富山が恐る恐る覗き込む。そこには達筆な文字で『龍誠会 若頭補佐 田中龍二』と書かれていた。

「田中さん、優しそうな人だったよ」

「名前と肩書きが完全に矛盾してるぅぅぅぅ!!」

千葉がジロウを石川から受け取る。ジロウは千葉の腕の中でも尻尾を振り続けている。

「でもさ、富山さん」千葉が真剣な顔で言う。「預かっちゃったものは仕方ないですよね。だったら、ジロウにとって最高のキャンプにしてあげましょうよ」

富山が深呼吸する。一回、二回、三回。

「……わかった。わかったわよ」富山が観念したように肩を落とす。「でも、本当に慎重に、慎重にやるからね。ジロウに何かあったら、私達――」

「セメントで固められて東京湾に沈められる?」石川が軽い調子で言う。

「縁起でもないこと言うなぁぁぁぁ!!」

こうして、史上最もハイリスクな『俺達のグレートなキャンプ』が始まった。

三人はテントサイトへ向かう。石川が先頭を歩き、千葉がジロウを抱っこし、富山が不安そうに後ろをついていく。まるで、何か危険な儀式に向かう行列のようだ。

「あ、石川さん、今回のサイトは――」

「もちろん、一番奥の静かな場所を予約してあるぜ!」石川が親指を立てる。「周りに迷惑かけないようにな!」

「珍しく配慮してる……」富山が小声でつぶやく。

しかし、サイトに到着した瞬間――

「うわぁぁぁ! 広っ!」千葉が歓声を上げる。

そこは確かに広かった。広すぎるくらい広かった。そして――

「なんで隣のサイトとの境界線に黄色いテープ張ってあるの!?」富山が指差す。

石川が設営したテントサイトは、まるで工事現場のように黄色い「立入禁止」テープで囲まれていた。

「いやぁ、ヤクザの犬預かってるって言ったら、管理人さんが気を利かせてくれてさぁ」

「気を利かせるって、そういうことじゃないでしょ!? 普通に断られるレベルでしょ!?」

「でも許可もらえたからセーフ!」

「セーフじゃないぃぃぃ!」

富山の叫びが響く中、石川と千葉はテキパキとテントを設営し始める。ジロウは地面に降ろされ、サイト内を嬉しそうに走り回っている。

「あ、見て見て! ジロウ、すごく楽しそう!」千葉が笑顔で指差す。

確かに、ジロウは全力で走り、全力でクンクン匂いを嗅ぎ、全力で尻尾を振っている。その姿は、まさに「わんぱく」という言葉がぴったりだ。

富山も少しだけ表情が和らぐ。「まぁ、確かに可愛いけど……」

その時――

ジロウが突然、立ち止まった。

耳をピンと立て、何かを見つめている。

三人が視線を追うと――

「……リス?」

そう、木の根元に一匹のリスがいた。ドングリを両手で持って、こちらを見ている。

次の瞬間――

「ワンワンワンワンワン!!」

ジロウが全速力でリスに向かって走り出した。

「あぁぁぁぁ! ジロウ!」

三人が同時に叫ぶ。

リスは慌てて木を登り始める。ジロウは木の下で飛び跳ね、狂ったように吠え続ける。

「落ち着け、ジロウ! 落ち着けぇぇぇ!」石川が走って追いかける。

「ダメだよジロウ! リスさんは友達だよ!」千葉も走る。

「そういう問題じゃないでしょ! 周りに迷惑でしょ!」富山も走る。

三人がジロウを囲むように近づくが、ジロウは完全に興奮状態だ。吠え続け、跳び続ける。

隣のサイトから、若いカップルが不安そうにこちらを見ている。男性が「大丈夫ですか?」と声をかけようとして、女性に「やめときなさい」と腕を引っ張られる。

「ごめんなさい、すぐ静かにさせますから!」富山が頭を下げる。

石川がジロウを抱き上げようとするが、ジロウは身を捩って逃れようとする。

「おお、元気だなぁジロウ!」

「元気とか言ってる場合か!」

千葉がポケットからおやつを取り出す。「ジロウ、おいで! おやつだよ!」

ジロウの耳がピクリと動く。おやつの袋をガサガサ鳴らすと、ジロウはようやくリスへの興味を失い、千葉の方に走ってくる。

「よしよし、いい子だ」千葉がおやつを一粒あげる。ジロウは嬉しそうにムシャムシャ食べる。

石川が深呼吸する。「ふぅ、危なかった」

「危なかったじゃないでしょ! これが『慎重に可愛がる』キャンプなの!?」富山が両手を腰に当てて睨む。

「いやぁ、想定外だったわ。でも大丈夫、これから気をつけるって」

「気をつけるって、具体的にどう――」

その時、管理棟の方から軽トラックがやってくる音が聞こえた。エンジン音がだんだん近づいてくる。

軽トラックが彼らのサイトの前で止まる。運転席から降りてきたのは、60代くらいの管理人だ。白髪混じりの髪、日焼けした顔、作業着姿。

「あ、管理人さん!」石川が手を振る。

管理人は困った顔で近づいてくる。「あの、石川さん……」

「はい!」

「さっき、他のお客さんから苦情が……」

富山の顔が真っ青になる。「すみません、すぐに――」

「いや、苦情ってほどでもないんだけど」管理人が首を掻く。「ただ、そのワンちゃん、結構声が大きいみたいで。これから夜になると他のお客さんも休みたいだろうし……」

「はい、気をつけます! 絶対に気をつけます!」富山が深々と頭を下げる。その勢いで首がポキッと鳴る。

管理人は優しく微笑む。「まぁ、元気なワンちゃんだねぇ。でも、できるだけ静かにしてもらえると助かるよ」

「はい、本当に申し訳ございません」

管理人が去っていく。軽トラックのエンジン音が遠ざかっていく。

沈黙。

重い、重い沈黙。

富山がゆっくりと、本当にゆっくりと石川の方を向く。その目は完全に笑っていない。

「石川」

「は、はい」

「私達、この時点でもう詰んでない?」

「だ、大丈夫だって! ジロウはいい子だから! さっきのは興奮しただけで――」

「ワンワンワン!」

ジロウが再び吠え始めた。今度は何に反応したのか――?

「あ、蝶々だ」千葉が指差す。

確かに、白い蝶々がひらひらと飛んでいる。そして、ジロウはその蝶々に向かって全力疾走を始めた。

「あぁぁぁぁ! またぁぁぁぁ!」三人の悲鳴がハモる。

こうして、『慎重に可愛がる』はずのキャンプは、開始三十分で早くも崩壊の兆しを見せていた。

昼食の時間。

石川が焚き火台を設置する。その手つきは流石ベテランキャンパー、無駄がない。パチパチと薪が燃え始め、心地よい炎が立ち上る。オレンジ色の炎が揺らめき、木の焦げる甘い香りが漂う。

「よし、じゃあ昼飯作るか! 今日はダッチオーブンでローストチキン――」

「待って」富山が手を上げる。「ジロウは?」

三人が同時にジロウを探す。視線をキョロキョロと巡らせる。

ジロウは――テントの影で寝ていた。丸くなって、小さく寝息を立てている。

「よかった……」富山が胸を撫で下ろす。

「疲れたんだね」千葉が優しく微笑む。

石川がダッチオーブンを取り出す。「じゃ、静かに料理しようぜ。起こさないように――」

その瞬間。

ガタンッ!

石川がクーラーボックスを倒した。大きな音が響き渡る。

ジロウの耳がピクッと動く。

目を開ける。

「あ」石川が固まる。

ジロウがムクリと起き上がる。伸びをする。あくびをする。そして――

トコトコと焚き火の方に歩いてくる。

「ちょ、ちょっと待って! ジロウ、そっちは――」富山が慌てて立ち上がる。

ジロウは焚き火に興味津々だ。鼻をヒクヒクさせながら、どんどん近づいていく。炎から五十センチ、四十センチ、三十センチ――

「危ない!」

石川が飛び出した。

文字通り、飛び出した。

まるでアクション映画のワンシーンのように、石川は宙を舞い、ジロウの前に着地する。両手を広げ、完全に壁となってジロウを遮る。

「ジロウ! ダメだ! 火は危険なんだ!」

石川の顔は真剣そのものだ。額に汗が浮かび、眉間にシワが寄っている。まるで要人警護のSPのような眼光。

「石川! そんな近くに――」富山が叫ぶ。

しかし、ジロウは石川の横をすり抜けようとする。

「させるか!」

石川が横に跳ぶ。再びジロウの前に立ちはだかる。

ジロウが右に行こうとする。石川が右に跳ぶ。

ジロウが左に行こうとする。石川が左に跳ぶ。

まるでバスケットボールのディフェンスだ。いや、それ以上だ。石川の動きは必死すぎて、もはや滑稽なレベルに達している。

「ジロウ! 頼む! 焚き火はダメなんだ! お前が火傷したら、俺が――俺が――」

その時。

石川の足が焚き火台の石に引っかかった。

「うわっ!」

石川の体が後ろに倒れる。スローモーションのように見える。

そして――

ジュッ!

石川の手が焚き火の縁に触れた。

「あっづぅぅぅぅぅぅ!!」

石川が飛び上がる。文字通り飛び上がる。地面から三十センチは浮いた。

「石川!」千葉が駆け寄る。

「大丈夫か!?」富山も駆け寄る。

石川は手を押さえて、顔を歪めている。「い、痛っ……でも、でも、ジロウは無事だ……!」

ジロウは――まったく火に興味を失っていた。というか、石川が騒いだせいで怖くなったのか、テントの方に戻っていく。

「お前、バカか!」富山が救急箱を取り出しながら叫ぶ。

「バカだよ! でもジロウが火傷したら、田中さんに何されるか――」

「それ以前の問題でしょ! 普通に犬を守るのはいいけど、こんな体張って――」

千葉が保冷剤を持ってくる。「石川さん、とりあえずこれで冷やしてください」

石川が保冷剤を手に当てる。「あぁ、冷たい……冷たいけど気持ちいい……」

富山が深呼吸する。「もう、ジロウはリードに繋ぐ。いい? 繋ぐの。これで勝手に動けないから」

「で、でも、それじゃジロウが可哀想――」

「可哀想なのはお前の手だよ!」

こうして、ジロウはテントの柱にリードで繋がれることになった。ジロウは少し不満そうだが、おやつをもらってご機嫌になる。単純だ。

石川は火傷した手に軟膏を塗り、ガーゼを巻いている。「ははは、これくらい大したことないって」

「大したことあるでしょ」富山が呆れた顔で言う。

「でも、グレートだっただろ? 体を張ってペットを守るって、映画みたいだっただろ?」

「映画なら撮り直せるけど、これは現実だからね?」

千葉がダッチオーブンに鶏肉を入れ始める。「でも、石川さんの咄嗟の判断、カッコよかったですよ」

「だろ?」石川がニカッと笑う。

富山は何も言わず、ため息をつくだけだった。

昼食後。午後三時頃。

「よし、じゃあ次は――」石川が立ち上がる。手には分厚い包帯が巻かれている。「ジロウを川に連れて行こう!」

「川!?」富山の目が見開かれる。

「そう! 犬は水遊び好きだろ? ジロウも喜ぶはずだ!」

千葉が拍手する。「いいですね! 川遊び!」

「待って待って」富山が二人の前に立つ。「川って、あの川? キャンプ場の横の?」

「そう、あれ」

「あそこ、結構流れ速いよ? ジロウが流されたら――」

「大丈夫! 浅瀬で遊ばせるから!」

富山が迷う。眉をひそめ、唇を噛む。でも、ジロウは確かに元気そうだ。少し運動させた方がいいかもしれない。

「……わかった。でも、絶対に深いところには行かせない。いい?」

「了解!」石川が敬礼する。包帯を巻いた手での敬礼は、どこか間抜けだ。

三人はジロウを連れて川に向かう。キャンプ場の脇を通る小道を下っていく。木々の間から川のせせらぎが聞こえる。涼しい風が吹き、葉っぱがサラサラと揺れる。

川に到着。

水は透明で、川底の石がはっきり見える。水深は浅いところで膝下、深いところでも腰くらい。流れは確かに少し速いが、浅瀬なら問題なさそうだ。

「よし、ジロウ、行くぞ!」

石川がリードを外す。

「ちょっと! リード外すの!?」富山が叫ぶ。

「だって、リード付けたまま泳がせたら危ないじゃん!」

「それもそうだけど――」

ジロウが川に入る。

最初は恐る恐る。前足を水に浸ける。冷たい水が肉球に触れる。

「ワン?」

ジロウが不思議そうに水を見つめる。

そして――

バシャバシャバシャバシャ!

突然、大はしゃぎで水の中を走り始めた。水しぶきが飛び散る。キラキラと光る水滴が宙を舞う。

「おお! 楽しそうだ!」千葉が笑う。

「よかった……」富山も少し笑顔になる。

石川が川に入る。「よし、俺も一緒に――」

その瞬間。

石川の足が滑った。

川底のコケに足を取られたのだ。

「うわぁぁぁぁ!」

ドッボーン!

石川が盛大に転ぶ。水しぶきが上がる。まるで爆弾が落ちたような水柱。

「石川!」

千葉と富山が駆け寄る。

石川がザバッと起き上がる。全身びしょ濡れだ。髪から水が滴り、服がぴったりと体に張り付いている。

「だ、大丈夫……?」富山が心配そうに声をかける。

「あぁ、大丈夫……って、ジロウは!?」

三人が同時にジロウを探す。

ジロウは――浅瀬で元気に遊んでいた。何も問題ない。石川の派手な転び方にも気づいていない様子だ。

「よかった……」石川が胸を撫で下ろす。

しかし、次の瞬間。

石川の顔が真っ青になる。

「待って……待って待って待って……」

「どうしたの?」千葉が首を傾げる。

「ジロウは無事だけど……俺が転んだ……」

「うん、それは見た」

「つまり……俺の監督不行き届きで、危険な目に遭わせかけた……?」

富山が嫌な予感を覚える。「石川? まさか――」

石川が自分の左手を右手で掴む。

「指を……詰めるしかない……!」

「はぁぁぁぁ!?」

富山と千葉の声が完全にシンクロする。

「だって! ヤクザの犬を預かって、危険な目に遭わせかけたんだぞ!? これは、けじめを――」

「待て待て待て待て!」千葉が石川の手を掴む。「ジロウは無事だから! 何もなかったから!」

「でも、もし何かあったら――」

「なかったでしょ! なかった!」

富山が石川の頬を両手で挟む。ぐいっと力を込めて、石川の顔を自分の方に向ける。「いい? 落ち着いて。深呼吸して。ジロウは無事。あなたも無事。誰も怪我してない。いい?」

「で、でも……」

「でもじゃない! そもそも、指を詰めるって、どうやって詰めるつもりだったの!? ナイフ!? 斧!?」

「その……薪割り用の斧が――」

「ダメぇぇぇぇ!!」

富山の叫び声が山々に響く。近くで釣りをしていた男性が、驚いて竿を落とす。

千葉が石川の肩を掴む。「石川さん、落ち着いてください。僕達、犯罪者じゃないんです。普通のキャンパーなんです」

「でも、ヤクザの犬を――」

「預かってるだけです! 殺し屋になったわけじゃないんです!」

石川の目に理性の光が戻ってくる。「そ、そうだな……俺、ちょっと錯乱してたかも……」

「ちょっとどころじゃないでしょ!」富山が石川の胸を拳でドンドン叩く。力は入っていないが、その必死さが伝わってくる。「ヤクザの犬を預かったからって、私達がヤクザになるわけじゃないの! わかる!?」

「わかる……わかった……」

石川がへたり込む。川の浅瀬に座り込み、両手で顔を覆う。

「俺、どうかしてた……神経質になりすぎてた……」

千葉が石川の隣に座る。「大丈夫ですよ。誰だって、プレッシャーがかかると変になりますから」

「でも、指詰めようとするか? 普通?」

「まぁ、それは……石川さんらしいというか……」千葉が苦笑する。

富山もしゃがみ込む。「もう、本当にバカなんだから。でも、ジロウのこと、ちゃんと考えてくれてるのは伝わったよ」

「富山……」

「だから、もっと普通に可愛がろう? 慎重にって、こういう意味じゃないから」

石川が顔を上げる。目が少し潤んでいる。「あぁ……そうだな……」

三人が顔を見合わせる。そして、同時に笑い出す。

バカみたいな状況だ。ヤクザの犬を預かって、焚き火で火傷して、川で転んで、指を詰めようとして。

でも、これが『俺達のグレートなキャンプ』だ。

「ワン!」

ジロウが三人の方に駆けてくる。尻尾をブンブン振って、嬉しそうに吠える。

石川がジロウを抱き上げる。「ごめんな、ジロウ。お兄さん、ちょっと変なこと考えちゃって」

ジロウが石川の顔を舐める。ペロペロと、無邪気に舐める。

「許してくれたみたいだね」千葉が笑う。

「よし、キャンプ場に戻ろう。夕飯の準備しないと」富山が立ち上がる。

三人はジロウを連れて、キャンプ場へ戻る。石川はびしょ濡れのまま歩く。その姿は少し滑稽だが、どこか清々しい。

夕方。午後五時頃。

キャンプ場に戻った三人は、夕飯の準備を始める。石川は着替えて、またテキパキと動いている。火傷した手は相変わらず包帯が巻かれているが、気にせず作業を続ける。

「今日の夕飯は――カレーだ!」

「おお! キャンプの定番!」千葉が拍手する。

富山が野菜を切り始める。トントントン、とリズミカルな音が響く。ジロウはテントの横でおとなしく座っている。リードに繋がれているが、もう暴れる様子はない。疲れたのだろう。

「ジロウも大人しくなったね」千葉がジロウの頭を撫でる。

「今日一日、散々走り回ったからな」石川が笑う。

「ほんと、こっちも散々走り回らされたわよ」富山がため息をつく。

カレーの良い匂いが漂い始める。スパイスの香り、野菜の甘い香り、そして肉の香ばしい香り。それらが混ざり合って、食欲をそそる。

その時――

「ワン、ワン!」

近くから犬の鳴き声が聞こえた。

三人が顔を上げる。

隣のサイトから、大型犬を連れた家族が散歩に出かけるところだった。ゴールデンレトリバーだ。立派な体格、フサフサの毛並み。

そして――

「ワンワンワンワン!」

ジロウが吠え始めた。

「あぁ、まずい!」富山が立ち上がる。

ゴールデンレトリバーもジロウに気づく。こちらを見る。そして――

「ワンワンワン!」

吠え返してきた。

「ダメだジロウ! 喧嘩売っちゃ――」

その瞬間。

石川が動いた。

いや、動いたというレベルではない。

石川は、まるで弾丸のように、ジロウとゴールデンレトリバーの間に飛び込んだ。

両手を広げ、完全に壁となる。

「させるか! ジロウを傷つけさせはしない!」

石川の目は真剣だ。いや、真剣を通り越して、もはや狂気じみている。額に青筋が浮かび、歯を食いしばっている。

「え、あの……」隣のサイトのお父さんが困惑した顔で言う。「うちのゴールデン、大人しいんですけど……」

「関係ない! 万が一があるかもしれない!」

石川はジロウの前で、まるで要塞のように立ちはだかっている。

ゴールデンレトリバーは――尻尾を振っている。明らかに敵意はない。むしろ、遊びたがっているように見える。

「石川、ちょっと落ち着いて」富山が近づく。

「落ち着いてる! 俺は冷静だ! でも、ジロウを守るためなら、俺は――」

「別に戦う必要ないから!」

千葉が隣のサイトのお父さんに頭を下げる。「すみません、うちの友達、ちょっと過保護で……」

お父さんが苦笑する。「いえいえ、ペットを大事にする気持ちはわかりますから。じゃあ、散歩行ってきます」

ゴールデンレトリバーと家族は去っていく。

石川はまだジロウの前に立ったまま、臨戦態勢を解いていない。

「石川」富山が肩に手を置く。「もう行ったよ」

「……え?」

「行った。危険は去った」

石川がゆっくりと振り返る。確かに、もう誰もいない。

「あ、あれ? 俺、何してたんだ?」

「SPごっこ」千葉が笑う。

「ごっこじゃない! 本気だった!」

「本気でやることじゃないでしょ!」富山がツッコむ。

石川がへたり込む。「はぁ……また、やっちゃった……」

「やっちゃったって、自覚あるんだ……」

「だって、ジロウが他の犬に傷つけられたら――」

「だから、あのゴールデン、めっちゃ優しそうだったでしょ!」

千葉がジロウを撫でる。「ジロウ、大丈夫? 怖くなかった?」

ジロウは――すでにリラックスしていた。というか、石川の過剰反応にポカンとしている様子だ。

「お前な、もうちょっと冷静になれよ」富山が呆れた顔で言う。

「わかってる……わかってるんだけど……」石川が顔を覆う。「なんか、ジロウのこと考えると、頭がおかしくなるんだ……」

「それ、完全に親バカならぬ、一時預かりバカだよ」

千葉が笑う。「でも、石川さんの気持ちはわかりますよ。大切なものを守りたいって気持ち」

「千葉……」

「ただ、やり方がちょっと極端なだけで」

「極端どころじゃないでしょ!」富山がツッコむ。

こうして、夕飯時も石川の過保護っぷりは止まらなかった。

カレーを食べている最中も、石川はジロウから目を離さない。ジロウが少しでも動くと、「どうした? 何か欲しいのか? トイレか? 散歩か?」と立ち上がる。

「石川、ご飯食べて」富山が諭す。

「でも――」

「食べて。ジロウは大丈夫だから」

結局、石川はカレーを三口しか食べられなかった。常にジロウを見守っているからだ。

夜。午後九時。

キャンプ場は静かになっていた。他のキャンパー達も自分のテントに戻り、焚き火を囲んで語らっている。星空が美しい。無数の星が瞬いている。

石川、千葉、富山も焚き火を囲んで座っている。ジロウはテントの中で眠っている。

「はぁ……」石川が大きなため息をつく。

「疲れた?」千葉が聞く。

「疲れたっていうか……なんていうか……」石川が焚き火を見つめる。「こんなに神経使ったの、初めてかも」

富山が笑う。「そりゃそうでしょ。朝から晩まで、ジロウのこと気にしてたんだから」

「でも、無事に一日終わりそうだな」千葉が空を見上げる。

「あぁ……明日の午前中に田中さんが迎えに来るって言ってたし」石川がスマホを確認する。

富山がコーヒーを啜る。「正直、最初はどうなることかと思ったけど、なんとかなったわね」

「まぁ、石川が火傷して、川で転んで、指詰めようとして、SPみたいになったけどな」千葉が笑う。

「言うな……全部思い出すから……」石川が顔を赤くする。

三人が笑う。疲れているけど、どこか清々しい笑いだ。

「でもさ」石川が真剣な顔になる。「ジロウ、可愛かったな」

「うん、可愛かった」千葉が頷く。

「本当に」富山も同意する。

「また、預かってもいいかもな」

「やめて」富山が即答する。「もう二度とごめんだから」

「えぇ~」

「えぇ~じゃない! あなたの心臓が持たないでしょ!」

三人がまた笑う。焚き火の炎が揺れる。パチパチと薪が弾ける音が心地よい。

こうして、長い長い一日が終わろうとしていた。

翌朝。午前十時。

「来た……」

富山が呟く。その声は緊張で震えている。

キャンプ場の駐車場に、黒い高級車が停まった。ピカピカに磨かれたボディ、スモークガラスの窓。明らかに普通のキャンパーの車ではない。

車のドアが開く。

出てきたのは――田中龍二。

石川が昨日会ったヤクザだ。黒いスーツ、サングラス、オールバックの髪。絵に描いたようなヤクザスタイル。

そして、その後ろから――もう一人。

若い男性が降りてきた。こちらも黒いスーツ。いかつい顔つき。

「うわぁ……」千葉が小声で言う。「二人で来た……」

石川達三人は、疲労困憊の顔で立っている。目の下にクマ、髪はボサボサ、服もシワシワ。石川の手には包帯、富山の顔には疲労の色、千葉は少しふらついている。

田中が近づいてくる。その足取りは重々しい。

「おはようございます」石川が声を絞り出す。

「おう、石川の兄ちゃん。世話になったな」田中が軽く会釈する。

「い、いえ……こちらこそ……」

「ジロウは元気だったか?」

「はい! 元気でした! すごく元気でした!」石川の声が裏返る。

田中がジロウを見る。ジロウは千葉の腕の中で尻尾を振っている。

「よしよし、ジロウ。いい子にしてたか?」

田中がジロウを受け取る。ジロウは嬉しそうに田中の顔を舐める。

「ははは、そうか、楽しかったか」田中が優しく笑う。その笑顔は、意外にも温かい。

若い男性がジロウを触る。「若頭、ジロウ元気そうっすね」

「あぁ、兄ちゃん達がしっかり面倒見てくれたんだろう」

田中が石川を見る。

「ありがとうな。助かったよ」

「い、いえ……当然のことを……」

田中がポケットから封筒を取り出す。分厚い封筒だ。

「これ、預かり賃だ。受け取ってくれ」

「え、いや、そんな! お金なんて!」石川が両手を振る。

「いいから。ジロウの面倒、大変だっただろ?」

富山と千葉が石川の肩を見る。石川の包帯を巻いた手、疲れ切った顔。

「……ありがとうございます」石川が封筒を受け取る。

田中が車に向かう。「じゃあ、俺達は行くわ。兄ちゃん達も、これからも楽しいキャンプしてくれよ」

「はい! ありがとうございました!」三人が深々と頭を下げる。

車が発進する。窓からジロウが顔を出し、「ワン!」と一声吠える。まるで、別れの挨拶のように。

車が見えなくなるまで、三人は頭を下げ続けた。

そして――

「終わった……」

石川がへたり込む。文字通り、その場に崩れ落ちる。

「終わったね……」千葉も座り込む。

富山は立ったまま、空を見上げる。「生きてて、よかった……」

三人は無言で座り込む。疲労感が全身を包む。でも、どこか達成感もある。

しばらくして――

「なぁ」石川が口を開く。

「ん?」

「封筒、開けてみていい?」

「……開けてみて」

石川が封筒を開ける。

中には――札束。

「うわぁぁぁぁ!」

三人の叫び声が山々にこだまする。

「じゅ、十万円!?」千葉が目を丸くする。

「一日で十万!?」富山も驚く。

石川が笑う。「グレートだ……これは本当にグレートなキャンプだった……」

「いや、もう二度とやらないからね!?」富山が釘を刺す。

「えぇ~、でも十万円――」

「十万円もらっても嫌!」

千葉が笑う。「でも、楽しかったですよ。大変だったけど」

石川が立ち上がる。「よし、じゃあこの十万円で、次のグレートなキャンプの資金にしよう!」

「それは賛成!」千葉が拍手する。

「私も賛成だけど、次は普通のキャンプがいいな……」富山が小声で呟く。

こうして、『俺達のグレートなキャンプ187 ヤクザの犬を預かっちゃった!よし、慎重に可愛がろう』は幕を閉じた。

そして、三人はテントを片付け、次のグレートなキャンプのことを考え始める。

「次は何しようかな~」石川が楽しそうに言う。

「普通のキャンプ!」富山が即答する。

「普通じゃグレートじゃないだろ?」

「グレートじゃなくていい!」

千葉が笑う。「でも、次も楽しみですね」

三人の笑い声が、キャンプ場に響く。

こうして、また新たなグレートなキャンプが始まろうとしていた――。

(完)

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『俺達のグレートなキャンプ187 ヤクザの犬を預かっちゃった!よし、慎重に可愛がろう』 海山純平 @umiyama117

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