終末はおじさんも天使とゲームで過ごしたい

へのぽん

第1話

[1]

「わたしは闘いの天使です。あなたを地上最強にしてあげます」

「遠慮しときます」


 会社から帰る途中、ガード下でよくわからない二人組に襲われたとき、死ぬかどうかの間際に美しい女が現れて、中村に微笑んだ。


「あなたは選ばれたのです」

「申し訳ない。もう死ぬんで別の若者に言ってあげてください」


 中村が壁伝いに歩くと、ヒールの音がコツコツと響いていた。


「わたしが信じられないの?」

「だからもう死ぬ言うてるねん」

「死なせません」

「死なせてくれ。三十数年生きてきてろくなことないねん。嫁にも捨てられ、俺が頼られてるのは会社くらいやねん。会社も兵隊としてや。死ぬときくらい穏やかにしてくれや」

「これからの世界、あなたを必要としている人々のために生きるのです」


 中村は不思議に怖くない。震える手で煙草をつけようとしたが、血塗れの手がうまく動かない。


「騙されてへんぞ。鍋やフライパンなんて買わんぞ。あ、何かの宗教か?死ぬからいらんぞ」


 中村の首筋に液体が這う。これは刺されたところから背広に染みた血だ。後頭部にかけて流れてきた。意識も遠のいてくる。高架の上を走る列車の轟音も遠くで聞こえてくる。

 女の吐息が目に触れる。


「あなたは世界を守るのです」

「だから嫌や言うてるねん。アメリカでも守れん世界を何で俺が守るねん。俺は仮面ライダーやアベンジャーズやないねん」

「だから今から英雄になるのです」

「おまえがなれや」

「もちろんわたしも闘うために来ました。でもあなたもわたしと共に闘うのです」

「断る。ふわふわしてきたな」

「約束してくれるなら、このわたしの艶やかなボディで癒してあげるわ」


 中村は薄汚れた高架下、うるさい湿っぽい声の方を見た。死ぬ前の幻覚にしては素晴らしい美人だ。


「あ、おまえはキャバクラの霞やな。誰の誕生日か知らんけど、勝手にドンペリなんて入れやがって。同伴でアホみたいに寿司食うたやろ」

「違います」

「死ぬ前くらい俺も嫁と娘の美しい思い出に浸りたいやん」


 救急車の音が聞こえてきた。こんなところで搬送されて入院して、もし救命なんてされた日には有給もなくなるし、治療費もいるしやってられるか。中村は立とうとして壁に背を預けた。逃げてやる。死ぬまで逃げてやる。


「わたしがあなたに力を与えるの」

「殺されたいんか」

「何であなたに力与えて殺されなきゃならないのよ」

「だからもっと前途のある若い奴とか、アニメ化できそうなハンサムとか、ボインに声かけたれや。白髪の混じったおっさん予備軍に力なんて与えても世界なんて守るかっ!」

「メタ発言はやめて。見た目はおっさんでも、あなたに艶があるわ」

「おまえもおっさん思とるんやんけ」

「聞いてよ!」

「やかましい。俺は救急車には乗らん。逃げきってみせる。娘に会うて死ぬんや。娘は塾の帰りなはずや」


 娘の顔を遠くからでも見たい。誰に似たのか勉強がよくできた。


「わたしはおっさんラブなの!若い子には萌えない。この世の女なんてすべて敵なの。あなたはわたしのタイプにストライクなのよ」

「パパ活か。俺はだまされへんぞ」

「枯れた、うだつの上がらない、ちょっと口の悪い、メガネ」

「しばくぞ」


 娘にパパ活などさせたくはない。別れたとはいえ、保険金は娘にはいるはずだ。浮気した嫁に!?


「現に死んでないじゃないの。刺されて流血してるのに走れるのはなぜなの?」

「愛の力や」

「わたしの愛ね」

「やかましいわ。おまえは西中島南方のファミレスで勧誘でもしとけや」


 大阪の地下鉄西中島南方駅の近辺は勧誘のメッカである。

 中村はネクタイを緩めてアンダーパスから繁華街へ通じる道を駆け抜けた。血塗れでも気づかれない。

 夜の街では誰も血塗れなんて気にしていない。だからこそ娘の顔を一目見てから死にたい。


「もうあなたは死ねないから」

「刺されたとこ痛いやんけ」

「痛みはあるわよ」

「そもそも何から世界を守るねん。俺は英語もできん。低偏差値の高卒や。ヤンキーでもないのに卒業怪しくて笑われたんや」

「ようやく味が出てきたのよ」

「昆布みたいに言うな。で、世界は何に襲われてるねん」

「神よ」

「……」


 一瞬、立ち止まると、


「おまえら神様と仲良しなら俺の人生どうにかしろや!」


 中村はロングの黒髪をなびかせた美人の顎を殴りつけた。


「あら?」


 美女は逃れた。


「ステキよ。わたしをオフィリアとでも呼んで」

「あかん。幻覚や。とにかく娘の顔見て死にたい。できることなら不倫相手も殺したいけど」


 両手刈りで倒された。仰向けになると、歓楽街の居酒屋や風俗店、アーケード、たぶんどこかへ行く飛行機の灯、遠くの空中庭園、巨大な駅の光がぐるぐるしていた。


「暴れないで!」

「俺は娘に会いたいねん。何してくれてるねん。オフィス」

「オフィリアよ。これからよろしくね」

「よろしくしたないっゅうねん。入院してもカネないぞ」


 救急車で病院をたらい回しにされた挙げ句、さして大きくもない場末の病院へ運ばれた。

 

[2]

 深夜、中村はカーテンで仕切られたベッドの上で目を覚ました。たぶん暗いから夜中だ。何となく下半身が重い。腕には点滴が。脈拍の音も聞こえていた。

 下半身に視線を向けると、そこには薄紅の頬をした看護師がまたがっていた。顔は整い、こういうことさえしなければモテるはずだが。


「静かにして」


 猫のように腰を伸ばして顔を近づけてきた。


「気持ちいい?」

「別に」

「わたしは気持ちいい」

「おまえ頭おかしいんか。こんな薄汚れた死にかけの野郎にまたがって腰振るのがいいのか。彼氏は」

「いる。でも今はいない」

「瞬間に生きてるのか?」

「この病院は管理が甘いし。他のベッドのじいさんは眠剤で寝てるわ」


 途切れ途切れに話した。中村は射精すれば死ぬなと思いつつ、悪くはない死に際だなとも考えた。腕も動かせないし、乾いた口をナメクジのような舌が濡らしてくれた。

 彼女の下腹部が震え、うなじに回してきた腕が締め付けてきた。下着の形が病院支給の寝間着越しにもわかる。首筋に吐息が跳ねた。


「おじさん、好きよ」


 看護師はゆっくりと離れて、ポケットに自分の下着を入れた。体温計を脇に挟んで、三十秒の間に唇を押しつけて来た。

 体温は三七.六℃だ。

 あるじゃないか。


「浮気したら許さないわ」

「熱冷ましてくれ」

「他の病室も回るから後でね」

「解熱剤くれ」


 下半身を清潔タオルで拭かれ、尿道カテーテルを挿入された。他の病室でも被害者がいるのか。


「大丈夫。わたしは看護師なんだから何でもできるのよ」

「カメラ」


 中村は天井についているカメラを顎で示した。


「見られてるんやないか」

「録画したの持ってくるわね」

「いらんわ」

「静かにして。お水飲む?」


 水差しで飲まされた。顔こそ違うのだがくくった黒髪に見覚えがあるような。しかしこんな淫乱なことがあるのだなと首を傾げた。


「死んだらどうするねん」

「死なせないわ」

「おまえ!」

「静かに。この子に化けるの大変なんだから。この子の仕事しないと後でかわいそうだわ」

「よそでもやるんやろ」

「やらないわよ。わたしが選んだのはあなたなんだから。あ、妬いてくれてるの?」

「行けよ」

「イクわ」

「とんだ天使やな」


[3]

 あれからどれくらいの時間が経ったのかすらわからないが、信じられない。まさか刺されて生きているなんて。たいした怪我でもなかったのか。よくわからないが逃げよう。あの女神とやらは頭がおかしい。

もし自分が世界を守るとすれば、おそらく敵は奴だ。カテーテルと点滴も抜いた。パルスメーターは外せばすぐわかるが、構わない。起き上がると、こめかみをわしづかみにされてベッドに押しつけられた。頭蓋骨ご割れそうに軋んだ。若い医者が中村の喉に注射を突き立てた。


「貴様は生きていては困るんだ。この液体は体を溶かす」

「溶ける前に理由を教えてくれ」

「我々天使が人類を滅ぼす」

「天使?マヨネーズの」

「あれはキューピッドだ。人は知恵をつけすぎた。だから滅ぶのだ。最後の審判の前にな」

「天使とキューピッド間違う俺に知恵があると思うか?」

「正論ではあるがな。殺さずともいいかもしれん。犬や猫と同等だ」


 突然、医者の体が壁に押しつけられた。さっきの看護師が喉をつかんでいた。中身はオフィリア。


 もうゲームとやらははじまっているのか?と自問自答した。そんなことをしたところで何も変わらない。

 オフィリアが飛び込んできた。


「この下級天使がっ!わたしのバディに何してくれるの」


 顎が砕けた。中村は突き刺さった注射を抜いて、医者の体に突き刺して液体を押し込んだ。針のところから皮膚がただれて、半液体とともにネバネバしたものが落ちた。


 バイオハ◯ードか?


 彼女の手が心臓を突き刺したと思うと、かすかな光が出てきて、彼女は指でつまんだ。


「あ~んして」


 血塗れの指を唇に近づけたが、中村は唇を固く結んだ。すると彼女は自分の舌に乗せて強引に口づけをしてきた。ぬめっとした舌と押し込まれた粒は、ヤケドするくらい熱くて、慌てて飲み込んだ。玉が食道から胃へと落ちるのがわかった。


「熱っ」

「奴の命よ」


 医者の肉塊を離した彼女は、体をくねらせた。


「わたしも気づかないなんて。口移しで欲しいんなら言ってよ」


 彼女は逃げようと話した。ここはすでに敵にバレているから、ひとまず体制を立てなおそうと。


「歩けない。俺のことは構わずにおまえだけ逃げてくれ。お互いに命があれば例のバーで飲もうぜ」

「いやん。照れちゃう」

「要するにほっといてくれや」

「転移するわ」


 看護師に抱かれて、黒い闇に包まれたまま舐め回された。あちこち舐めるのも転移とやらのうちなのかよ。舐めるのは趣味だと。


 どこだ。


 暗闇から抜けると、古い新興住宅の中古の一軒家の狭い階段にいた。


「俺んちやんけっ!しかも嫁も娘も引っ越しした後の!」


 もう一年前だ。クリスマス前、会社から帰宅すると、嫁と娘が消えていた。タンスの中のものも中村のもの以外すべてだ。なぜかわからないまま震える指でスマホを押したが、嫁は少しして出た。ごくごく簡単に言うと、「別れる」とのことだ。


「どうして」

「あなたといる未来が見えないの」

「誰か好きな奴がいるのか」

「さよなら」


 すぐ同棲していると聞いた。結局浮気していたんじゃないかと頭に来たが、娘と会いたいと申し出たものの嫁から本人が会いたくないと言っていると伝えられた。


「寒いわね」

「うるさいな」


 リビングに降りた。再婚相手の乗っている高級車や家を見てどうでもよくなった。風呂に湯を入れようと蛇口をひねると、ボイラーがボッと響いた。コタツに嫁がいた。


「ナメとんのか」

「写真見て化けたんだけど」


 頭をはたいたところ、スカッと手の平が通り抜けた。


「体ないんか」

「体があれば受胎告知なんてできないわ。壁にぶつかるじゃないの」

「じゅたいこくちて何やねん」

「知らないの?大天使も知られていないのね。普通の天使ならなおさらか」

「看護師はどうしたんや」

「病院にいるわ」

「セックスしたのは夢か」

「わ・た・し」

「おい。人の体でしたんか」

「久々にしたから脳天まで来たわ」

 

 オフィリアは自分の体を抱いて恍惚の表情をした。


「嫁の顔やめてくれ」

「あ、そうなの?」

「おまえの顔はないんか」


 わずかに俯いていた彼女は顔を上げると、ガード下で会った顔になっていた。これも昔に死んだ人の顔の使いまわしだと話した。


「人類を守るの。敵は人類をゼロにしようとしているのよ。神と言われているわ」

「待てや。おまえら天使やろ。神様のパシリやないんか」

「わたしは神を見たことがない」


 彼女はぐっと顎を上げた。自慢げにいうことではない。


「今人類を滅ぼそうとしている奴が神だと言える?」

「知らんがな」


 中村はお湯を止めた。


「滅ぼそうとしてる神様がほんまの神様ならどうするねん」

「悪魔になるのかな。で、人類のために闘わなければならないと決めたわけなのよ」

「反逆やんけ。で、何でおまえらが人類のために働こうとしてるねん」

「善」

「あのな」


 中村は顔を近づけた。


「おまえが俺にしてること思えば、おまえを無条件に『善』とは思えんねん」


 衝撃がした。新興住宅一帯がえぐられていた。オフィリアに抱かれるようにして全裸で夜空にいた。


「何やねん。お湯入れたのに」

「二人で入れないの?」

「誰やねん」


 中村は叫んだ。


「他人まで巻き込むなや。てか他人ならええ。俺を巻き込むなや」

「安全なところへ行くわ」

「はじめから安全なところへ行けや」

「娘さんと会いたいと言うから来たのよ」

「おるわけないやんけ」


 とにかく裸同然の中村は、クロゼットの服を着た。普段着がどうしても背広になるのが悲しい。


「娘とはクリスマス何欲しいか話してたんや」


 不貞腐れ気味に呟くと、オフィリアは悪気はないのにと答えた。どこかの壁を突き抜けて見たことのない豪華な一室に飛び込んだ。


「動けるぞ」

「そりゃ人の命を食べたんだから」

「あ?」


 ボブで腰のくびれの強調された制服の女が首筋を甘く噛んできた。


「待て。触れられるということは実在してるんだろ。おまえ、それはあかんぞ。コスプレやないぞ」

「どうして?あなたもたいてい聖人でもないじゃない」

「乗っ取られた彼女の身にもなってみい。知らん奴とセックスするんやぞ。おまえは心がないんか」

「人類なんてどうでもいいわ」

「世界守る義理ないやんけ」


 とろんとした目でジャケットを脱いでブラウス姿になった。こいつは単なる淫乱な天使にすぎないのてはないか。そもそもなぜ天使同士で争っているのか教えてもらわないと。


[4]

「落ち着いて」

「落ち着いてるわよ」


 確かにいろんな意味で落ち着いているような気もする。しかし天使同士で闘わなければならないとはどういうことだ。


「ゲームよ」 


 オフィリアは濡れた瞳でネクタイを外そうとした。


「人類のことよね。天使同士で争うのではなくて、人とバディを組もうということなの。勝った方が神へ進言できる」

「迷惑な話や」

「迷惑ではないわよ。あなたたち人類は呑気なものね。終末を意識したことは?」

「金曜はわくわくしてた。休みの前は土日予定なくても」

「何の話?いい?ラグナログでは神ですら滅ぶわ。あなたたちは意識していないの。だからたまにこうしたことが行われる」


 人類の存亡を賭けたゲームのようなことが、世界各地でも行われているということだろうか。


「今回は日本エリアが会場。わたしはあなたをバディに選んだ。天使に選ばれたバディは、ゲームに勝てば天使になれる。かつてわたしも選ばれて天使になれた。あなたも」


 オフィリアは逃げようとする中村を押し倒して、力ずくで押さえつつスカートのホックを外した。髪をわしづかみにして、キズに指を突っ込んで動きを止められた。足でスカートを脱ぎつつヘビのように絡まってきた。


「痛い……」

「もちろんわたしと一緒に闘うわよね。ゲームよ。世界で行われている。殺すか殺されるか。勝てば終末は来るわ」

「来るんか?防ぐんやなくて?」

「人類がこのままいたとして神のためになるとは思わない。わたしたちが勝てば審判を神に進言できるのよ」


 中村はオフィリアに体の隅々まで堪能された。快楽とともにキズも癒えていく気がする。彼女は恍惚な表情を浮かべつつ舌で舐めてきた。こうすることで天使としての力を与えているのだということだ。


「どんな力が得られるねん?」

「インパクトに耐えたわ。あんな複数人の急な攻撃、わたしだけの力で防げないわよ」


 ベルパーソンの顔をしたオフィリアは、しなやかな猫のように頭を押し付けてきた。


「ちょっと待て。あんたは女だよな」

「失礼ね」

「違うねん。もしバディが男だとするやん。というか天使に性別あるの?」

「あるわよ。もっと上位に行くと性別はおろか姿すらないけど。地上にいるわたしたちは性別を持つ。人は天使の世界で起きたことを後追いしているのよ。だからジェンダーも天使の世界で起きたことよ」

「いいんやけどや。バディを選ぶとき同性ならどうなるの?どう力を注ぐの?」

「天使によるんじゃない?」

「マジな話や。エッチしなくても力を注げるの?」

「わたしは知らない。わたしはこうして力を注がれたの。オフィリアという彼女に」

「あんたに仲間は?」

「いないわ。パーティー組むとかはあるんだけど」

「組んだ後は?」

「皆殺しよ。敵なんだもの」


 彼女は怠そうに体を起こした。熱いお湯を浴びられるのは幸せだとヨタヨタと風呂へ入った。もちろん中村は急いで服を着ると、広い風呂を遠巻きにして部屋から出た。

 ひとまずスリッパで逃げた。こんなことに付き合っていられるもんか。エレベーターに乗ると眼下に街の光が溢れていた。

 ガラス越しに影がよぎった。

 男が夜空へ飛んだ。


「天使同士やってろ」


 エレベーターが止まると、途中階フロアのフロントにいた人が近づいてきた。


「お客様、どちらへ」

「上に人がいるんやけど」


 突然、彼が拳銃を抜いた。殺されると思った瞬間、リボルバーから放たれた弾が見えた。


「見える!あたっ!」

 

 逃げられるのは別だ。

 すべて体に浴びた。


「痛いやんけ!」


 右の拳で殴ると、敵は拳銃で受け止めてナイフで突き刺してきた。トドメを刺される。天井が揺れて、窓が粉々に割れた。驚いた敵とは逆に、何かあるかと思っていた中村は動じないで、後ろから腕で首を絞め続けた。振り回された。骨の砕ける音が響いて、敵はぐったりと動かなくなってしまった。


 疲れた。


 とはいうものの、敵は死んではいないかもしれない。窓から飛び込んできた男の首がフロントの後ろの絵にめり込んだ。


「誰か行ったやろ?」


 窓から飛び込んできたオフィリアが顎を上げて、中村を見下すように立ち尽くしていた。まだ濡れた体にブラウスを掛けていて、撃たれて刺されて動けない中村は、彼女の裸足で頬を踏みつけられた。


「逃げようとしたわね」

「トイレ探してて。ほら。君が風呂に入っていたからさ」

「ここが安っぽいビジネスホテルに見えた?トイレは別にあるわよ」


[5]

 中村は繁華街から少し離れた生け垣に腰を掛けて、条例違反の煙草に火をつけた。


「このゲームとやらに何人参加してるかわからんのか」

「自分たち以外は敵。だからこの繁華街にいる連中をすべて殺してもいいんだけど。もし探すのが面倒ならばやってしまえば」

「すでに人類滅ぼしてるやん。ゲームの意味なくなるやろ」

「勘違いしないでよ。ゲームのルールは人類を守るわけじゃない」

「わからん」

「あなたとわたしが生き残ればいいのよ。わたしはより上位、あなたは肉体の器から離れられる」


 中村は興味がなさそうに煙草の灰を落とした。まったくとんでもないことに、三十代で巻き込まれた。


「こういうのは中二病とか学生がやるんじゃないのか。薄給のサラリーマンがすることなのかよ」

「おカネのこと心配してる?」

「人生のことや。見てみ。メガネも壊れて見えんやないか」

「メガネくらい何よ」

「俺のアイデンティティやねん」


 このゲームはセラフィム、ケルビム、スローンが運営しているらしい。もしかしてオフィリアも知らないもっと別の天使が運営してるのかもしれない。不正防止の極秘らしい。


「何で俺がこんなこと……」

「終末が近いのよ」

「週末にこだわるやん。そもそもおまえら働いてるんか。いつもふらふらしてる奴は平日の方が遊べるやろ」

「平日?」

「水曜とか映画館安いんやろ?レディスデイとかで。ジェントルマンデイとかないんか。アウトレット行っても人も少ないし」


 インバウンドのせいなのかどうか国際的で賑やかな世界だ。外国人が増えてはいるが、彼らはインバウンドなのか出稼ぎなのか。こうして考えると、日本は戦後の世界の工場になるのではないかと思える。


「そもそもあんたらは海とか図書館とかCDショップとかでおるんやないんか」

「天使の好みよ。そもそもわたしは今の歌手は誰が誰かわからない。誰がいい?わたしは」

「静かにしよう。あちこち痛いねん。まずゲームに勝つためにどうすればええんか考える」

「レベル上げ」

「誰の」

「二人の。特にあなたの」

「どれくらいかかるねん」

「百年くらい?」

「アホか。考えてみ。三十数年で剣もない、魔法も使えんのや。これから百年かけても普通にもならんわ」


 頭に来たまま、片方の鼻をつまんで鼻をかむと血が出てきた。


「おまえはバランスとか考えんとキャラ選ぶタイプやろ」


 絶対にそうだ。キャラのイラストだけで選んで敗北し続けるか、もしくはえげつなく強くなるかだ。オールマイティを選べよ。RPGで勇者を選ぶ奴ではないな。盗人なんか選んで途中でやめる性格だ。


「あ、やめればええんやないか?」

「え?」

「このゲーム自体やめようや。コツコツ暮らせばええねん。村人Aとして。ほっといても進んでいくんやろ?他は他で殺し合えや」

「襲われるわ」

「静かにしてようや。参加者どれくらいか知らんけど埋もれよう。くそ強い奴らがおらんとこで暮らせばええんや」

「地獄行きたいの?」

「何でやねん。俺生まれてちっとも悪いことしとらんがな。他人様に迷惑かけとらんわ」

「悪いことしてないって。あなたは他人の魂を食べたんだから、もう立派に悪魔よ」


 オリフィアは指差した。


「おまえがやったんや」


 中村は溜息を吐いた。

 話しているだけムダだ。


「今日何曜日?」

「金曜日」

「ひとまず週末楽しもう」

「終末楽しむなんて、さすがはおじさま。若造にはできないくらいいい度胸してるわ。青臭いの嫌い」

    

おわれ

 



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