『ザ・フェード:セカンド・ライフの境界線』
@yanagikavuki
『ザ・フェード:セカンド・ライフの境界線』
🎭 1.切り刻まれた衣装と、見えない刃
楽屋の喧騒から逃れるように、七海は隅にある自分のロッカーに歩み寄った。今日は人気歌番組の収録日。彼女の顔には、トップアイドルの完璧な笑顔が張り付いていたが、その内心は張り詰めた糸のように今にも切れそうだった。
衣装ロッカーの鍵を開け、今日着るはずのフリルとレースで飾られたステージ衣装を取り出す。その瞬間、七海の顔から血の気が引いた。
衣装のスカートの裾、そしてウエストの繊細なレース部分が、ハサミかカッターのようなもので細かく、そして故意に切り刻まれていた。 すぐには気づかないが、ステージで照明が当たれば、間違いなく悲惨な破れとして露呈するだろう。
背後の鏡越しに、エースとその取り巻きたちが、クスクスと喉の奥で笑いを噛み殺す、嘲笑う声が聞こえた。
七海は衣装を抱きしめ、深く息を吸い込んだ。慣れすぎた出来事だった。
彼女は切り刻まれた衣装を隠し、衣装部屋へ向かう。年配の衣装担当者に、またも「移動中にどこかに引っかけてしまいました」と嘘をつく。
「七海さん。またですか。あなた、最近どうも衣装を汚す頻度が高いように見えますが……」
衣装担当者は、訝し気な目で七海を見上げた。その冷たい視線が、嘘がバレていること、そして「嘘つき」として見られていることを七海に告げていた。
「申し訳ありません。すぐに着替えます」
七海は頭を下げ、新しい衣装を受け取る。楽屋に戻る道すがら、彼女の心は悲鳴を上げていた。
(七海・心の声):毎日、こんなことをされて、嘘をつき続けて、私の方がおかしくなりそう……。この檻の中にいたら、私はいつか、本当に薬物で心を壊すか、誰にも気づかれずに自滅する。
そして、その日、収録を終え憔悴した七海を、ひとりの男が静かに見つめていた。彼女のマネージャーだ。彼は七海が抱える闇、グループ内のいじめ、そして最近つきまとうストーカーの影を知っていた。マネージャーは、七海が破滅する前に、最後の救いの手を渡すことを決意する。
彼は誰にも見られない場所で七海に近づき、誰にも聞こえない声で囁いた。
「七海さん。もし、本当にすべてを捨てて、自分の言葉で笑える場所に行きたいと願うなら。この名前にだけ、連絡をしてください……『セカンド・ライフ』」
🔪 2.取引:冷徹な「審査」と契約
数日後。七海は、マネージャーから渡された最後の言葉を頼りに、都心の高級会員制バーの奥にある、**「ザ・フェード」**の隠し部屋にたどり着いた。
部屋には、元警視庁公安関係者であるジンと名乗る男が待っていた。七海が腰を下ろす間もなく、ジンは表情を変えずに、目の前に分厚い契約書を滑らせた。
「ようこそ、七海さん。『ザ・フェード』へ。我々は、依頼人の存在を生きたまま世界から消去する専門家です」
七海が契約書を手に取る前に、ジンは冷徹に口火を切った。
「失礼ながら、我々はすべての依頼を受けるわけではありません。特に、あなたの案件は**『組織的犯罪』に繋がります。あなたの証言が事実であるか、最終的な『リスク査定』**を行う必要があります」
ジンは、七海を値踏みするように見つめ、核心を突いた。
「我々が把握しているのは、あなたがグループ内でいじめを受け、ストーカーの被害にも遭っていること。そして、所属事務所が違法薬物を用いた実験、および資金洗浄に関与している疑いです。七海さん、あなたの口から確認させてください。その薬物乱用は、グループ内でどの程度横行している?」
七海は息を詰まらせた。この男は、自分が見てきた闇を全て知っている。
「……エースの子は、完全に依存しています。パフォーマンスを維持するために、薬がないと立っていられないほど。私は、次に投与される対象だと、遠回しに聞かされていました」
「事務所のトップはその事実を?」
「知っています。むしろ、薬物の莫大な収益が、事務所の裏金の核になっているのだと思います」
ジンは七海の言葉に一切動じることなく、無感情に頷いた。彼の背後にあるモニターの文字が、**[リスク査定:A- → A]**へと変わるのを、七海は気づかなかった。
「よろしい。あなたの告発の信憑性は確認できました。あなたの抱える闇は深く、我々が動く**『対価』に見合う。この契約にサインすることで、あなたは公的には自殺で死亡したと公表され、新しい人物として完全に別の場所(海外)**で生活を始めます。ただし、元の人生に戻る権利は、永遠に失われます」
七海は、契約書に滲む自分の汗を感じた。これは、命懸けの取引であり、人生の完全な抹消を意味する。しかし、この覚悟なしに、自分の言葉で笑える場所にはたどり着けない。
「……はい。あります」
彼女は、ペンを取り、追いたい夢への第一歩として、その分厚い契約書に自らのサインを刻んだ。
🎭 3.極限の恐怖と、依存の芽生え
契約から一週間。七海にとって、毎日は極限の演技と自制の繰り返しだった。彼女は心身を削って「孤独な天使」を演じていたが、その演技の裏側で、現実は彼女の限界をさらに試した。
ある夜、収録後の楽屋。七海は、人気のエースが、トイレの隅で顔を蒼白にし、手の震えを抑えようと必死になっているのを目撃した。エースの瞳は光を失い、焦点が合っていない。薬物乱用による、明らかな中毒症状だった。その凄惨な光景に、七海は次に自分が辿る運命を直視し、嫌悪感と身の毛のよだつような恐怖に襲われた。
数日後、七海は事務所のエレベーターホールで、決定的な光景を耳にしてしまう。七海を担当する社員が、全身にタトゥーを入れた怪しい二人組と、低い声で言葉を交わしていた。
「……今回、七海のデータもそろそろ出せます。報酬は予定通りで結構だ」
それは、七海たちが裏組織の実験動物として売買されているという、ジンが告げた闇の事実を、彼女自身が証明してしまった瞬間だった。恐怖心は一気に募り、七海は呼吸すら困難になるほどのパニックに陥った。
その夜、七海は緊急でジンに連絡を取った。隠し部屋に駆け込んだ彼女は、極度のストレスで涙が止まらなかった。
「ダメです……ジンさん、もう無理。私、薬で壊されるか、実験の証拠として殺されるか、どっちかです……怖くて、呼吸ができない……」
七海は、プロのコンサルタントであるジンに、兄にすがるように泣き言を吐き出した。
ジンは、いつもの冷徹さで、しかし毅然とした声で七海を諭した。
「呼吸を乱すな。ここでパニックになれば、あなたの命だけでなく、我々の命、そしてあなたの夢も全て終わる。あなたは逃げる決意をしたはずだ。感情を管理しろ。それが、自由を勝ち取るためのプロの仕事です」
彼は七海の背中には触れなかったが、その絶対的な平静さと冷静な命令が、七海のパニックをゆっくりと鎮めていった。この状況で、七海を突き放さず、解決へ導こうとする彼の存在だけが、七海の世界の唯一の**「真実」**となった。
(七海・心の声):『……私を、こんな風に諭して、助けてくれる人なんていなかった。彼は、私をただの商品として扱わない。彼は私を、守ってくれている。この感情は、愛ではないだろうか?』
七海は、恐怖の中で救世主となったジンに対し、**極度の依存と、それに伴う「愛の錯覚」**を覚えた。
ジンは、七海の瞳の中に、依存と感謝が混ざった熱狂的な光が宿ったのを見逃さなかった。彼は、彼女が自分に抱き始めた感情に気づきながらも、「彼女の夢を達成させる」という兄としての使命を全うするために、その感情を無視することを選んだ。
🎭 4.最終の暗号と、偽装死への布石
七海は、ジンの指示に基づき、**「助けを求めているが、誰にも届かない」**という悲劇の物語を完成させるための最終段階に入った。
公の場での虚ろな演技と並行して、彼女のSNSの投稿は一変した。さらに、偽装死を決行する数日前、七海はゲリラ的に短いライブ配信を行った。
憔悴し、明らかに痩せた七海が、無理に笑顔を作ろうとするが、すぐに消えてしまう。彼女は画面越しにファンからのコメントを読んでいるふりをして、特定のファン層だけが拾えるような**「暗号」**を発した。
「皆さん、『舞台の幕』は、いつか下ろさなきゃいけないんですよ。……でも、私の名前を逆から読んでみてください。『ミナナナ』。……**『居ない』**と、読めますよね」
それは、彼女の名前「七海(ななみ)」を逆から読むという、単純だが意図的なアナグラム的な暗号だった。
この配信は瞬く間にSNSを駆け巡った。
特定班リーダー(SNSより):「七海のライブ、完全にヤバい!『ミナナナ=居ない』って、これ、もうすぐ消えるってことの、自殺をほのめかすサインだろ!事務所はなぜ動かない!」
世間の関心と懸念が最高潮に達した週末。七海は最後の仕事を終え、誰にも見送られることなく、自分のマンションに帰宅した。そして、「ザ・フェード」が用意した精巧なドールに、最後の仕上げを施すのを見届けた。
そして、数日が過ぎた月曜日の昼過ぎ。
七海が数日前から連絡が取れず、仕事もドタキャンが続いたため、七海を担当するマネージャーが合鍵を使って部屋に入った。彼は七海の才能を愛していたが、事務所の闇には逆らえない無力な人間だった。
ドアを開けた瞬間、マネージャーの顔から血の気が引いた。鼻を突いたのは、異様な腐敗臭。週末を挟んだことで、部屋の空気は粘りつくように重かった。
マネージャーは恐怖に顔を歪ませながら、部屋の奥へ進んだ。リビングのカーペットに横たわっていたのは、もはや人間だと認識するのも困難なほど変色し、膨張した物体。それが、七海そっくりに作られた精巧な特殊メイクドールだと気づく余裕は、彼には微塵もなかった。
恐怖と、「事務所にとって最悪のスキャンダル」というショック、そして違法薬物実験が露見することへの恐れが入り混じり、マネージャーは現場を汚さないよう気を配る間もなく、その場で震えながら警察に連絡した。
現場に到着した警察官の中に、ジンが手配した協力者が紛れ込んでいた。彼は、元刑事時代の人脈と裏のコネクションを駆使して、現場を巧妙に規制した。
遺体(ドール)の鑑定は**「身元確認が困難な遺体」として処理され、七海が残したSNSのメッセージや、仕事での虚ろな様子が加味された。事務所の薬物問題に火が及ばないよう、「過労による精神的疲弊が原因の自殺」**というシナリオで速やかに捜査は終了。
こうして、アイドル・七海の存在は、世間から悲劇的に消去された。
🌪️ 5.社会の喧騒と、都合の良い忘却
七海が自殺したというニュースは、瞬く間に列島を駆け巡った。
人気絶頂のアイドルの突然の死、そして生前に示されたメッセージ性の強いSNS投稿。これほどセンセーショナルな事件にもかかわらず、警察の捜査は驚くほどあっさりと幕を閉じた。ジンが手配した警察内部の協力者が、**「過労による精神的疲弊」**という単純な結論で、事件を処理したためだ。
これに真っ先に声を上げたのは、七海の**「最期の暗号」に気づいていた特定班のファンたちだった。彼らはSNSで「これは事務所による隠蔽だ」「警察はなぜ動かない」と声を上げ、陰謀論めいた動画をアップロードするユーチューバー**も後を絶たなかった。
しかし、事務所は**「本人の体調不良による痛ましい結果」**という声明を繰り返し、エースや他のメンバーは涙ながらに七海を悼むコメントを出すだけで、徹底して口を閉ざした。そして、警察も静寂を貫いた。
大きな声は、やがてかき消されていった。
人々は、次のスキャンダル、次のトレンド、次の人気アイドルへと関心を移す。七海ナミの悲劇は、週刊誌の紙面から消え、SNSのトレンドからも外れ、やがては「ああ、あの時死んだ子ね」という過去のゴシップとして消費されるだけになった。
誰もが、**都合の良い「孤独な天使の自殺」という物語を信じた。そして、巨大なシステム(事務所の闇)は、「情報の鮮度が失われるまで耐える」**という現代の冷たさを利用し、完全に勝利を収めたのだ。
🚢 6.最後の夜明け:すれ違う愛と、自由への船出
夜明け前の横浜港。冷たい潮風が七海の頬を容赦なく叩き、貨物船の油と、錆びたチェーンの匂いが鼻腔を突いた。世界全体が霧に包まれ、静かで、七海とジン以外の人間が存在しないかのような錯覚を覚える。
七海の傍らには、新しいパスポートと、追うべき夢のための資金。そして、いつものように感情を表に出さないジンが立っていた。彼女が乗るのは、人目につきにくい大型貨物船の船室だ。
ジンは七海をまっすぐに見つめ、最後の指示を淡々と告げた。
「新しい人生のIDカードです。名前は、『ユキ』。今後は、その人物として生きてください。決して、振り返らないように」
七海は、その冷徹なプロの言葉を聞きながら、極限状態の中で彼に抱いた**「依存と愛の錯覚」**に、胸が締め付けられるのを感じていた。
(七海・心の声):『この人は、私の命を、存在全てを救ってくれた。彼の冷静な声がなければ、あの時私は壊れていた。彼のいる世界だけが、私にとっての真実だ。彼の手を離したら、私は本当に一人になる。この感情を、私は愛と呼ばずにはいられない……』
しかし、彼の瞳は、ただ**「計画の成功」と「依頼人の夢」**だけを見つめている。彼女の感情が、彼に届くことはない。
七海は意を決して顔を上げた。
「あの……本当に、ありがとうございました。一生、この御恩は忘れません」
彼女の感謝の言葉に、ジンは動じなかった。彼は、彼女の瞳の中に、依存と感謝が混ざった熱狂的な光が宿っているのを見て取っていた。
ジンは、いつもの冷たい表情を崩し、微かに、そして深く安堵したような笑みを浮かべた。
「達者でな、ユキ。……幸せになれよ」
それは、プロのコンサルタントとしてではなく、過去に守れなかった妹の姿を重ねた、兄が妹を送り出す心からの言葉だった。
(七海・心の声):『違う。私が欲しかったのは、この優しい突き放し方じゃないのに』
七海は、すれ違いを感じながらも、感謝と決意を込めて笑顔を返した。船の汽笛が重く鳴り響き、七海はタラップを昇り始めた。
ジンは、七海が船室の奥に消えるまで、その場を動かなかった。七海の乗った船が静かに港を離れ、霧に溶けて完全に消えたとき、彼は胸ポケットからスマートフォンを取り出した。
「計画完了。七海ナミの存在は、公的にも、裏社会のリストからも消去されました」
彼は、最後に静かに、しかし力強く呟いた。
「……ユキ。お前の夢は、俺の最後の正義だ」
【エピローグ】
数年後。七海は新しい国で、新しい名前「ユキ」として暮らしていた。
彼女は、子供たちに希望を与える小さな文化施設を建てるという夢の実現に向けて、着実に一歩を踏み出していた。ステージでの眩しい光も、嫉妬も、薬物の影もない。あるのは、自由な空と、彼女自身の力で掴んだ未来だけだ。
彼女は時折、遠い日本の夜景を思い出す。そして、あの港で見た、兄のような優しさに満ちた、すれ違いの笑顔を。
その笑顔は、七海に**「依存」を教えたが、同時に「自由」**という本当の宝物も与えてくれたのだ。
『ザ・フェード:セカンド・ライフの境界線』 @yanagikavuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます