食書症諸相
ニル
食書症諸相
1 はじめに ―
食書が飲酒や喫煙と同様の嗜癖として世間に浸透しているものの、その依存に対する支援や治療というものはあまり認知されておらず、食書に対する偏見も多い。食書は依存が進むと
今回の取材が決まったのは、筆者のそうした考えを聞いた、知人の精神科医からの紹介がきっかけである。
なんでも、 ミシガン州に食書症患者の療養施設も兼ねる図書館があるのだそうで、数年ぶりに再会した彼から訪れてみてはどうかと筆者に勧めて、紹介状も書いてくれた。ルポライターである筆者は、なるほどとても興味深い施設だと好奇心を掻き立てられた。ちょうどひとつの仕事を脱稿したばかりで取材対象を探していたところ、図書館「グリーンベイ食書症支援図書センター(以下、G-BALという。)」へアポを取ったのである。
なお、滞在に当たり当該施設とオンラインでオリエンテーションを受けたところ、担当者は私の申し出にやや困惑気味であった。聞けば、大抵は食書が日常生活に支障をきたした者が、周囲の支援者に半ば押し切られるようにして入所するのがその図書館だからだという。とはいえ、筆者から取材依頼とその経緯を説明すると、すんなり理解を示してくれたあたり、決して閉鎖的な精神病等というわけではないことがうかがい知れた。
かくして、本稿はその食書症患者療養図書館の概要とともに、そこで出会った食書症患者たちの、あるいは職員から聞いた珍しい症例について紹介するルポルタージュである。
2 食書症(Biblio-phagic Addiction)とは ―食書の正しい理解―
症例を紹介していく前に、そもそも食書症とはどういう疾患であるのか、ご存知でない読者に向けて簡単に説明しておこう。すでに詳細を既知の方々は読み飛ばしていただいて構わない。
食書とは、主に書籍を口に含みたがり、場合によっては飲み込んで実際に食べてしまう行為のことである。細かな診断基準は割愛するが、要は食書欲求に歯止めが効かず仕事や学業がままならない、食べた本の内容以外の会話が成立しなくなるなどのコミュニケーション不全に至れば、概ね食書症と診断が下ることが多い。食書症が進行すると、幻聴や妄想などの離脱症状の経験、食書に対する異様な執着からなる自傷他害など、日常生活に重大な支障をきたすおそれもあるとされる。疾患の類型としては、APA(アメリカ心理学会)発刊のDSM9においては非関連物質障害群に、WHO(世界保健機関)の提示するICD17においてはF63(習慣及び衝動の障害)に分類されており、依存の一種というのが一般的な見解だ。
余談だが、食書症が精神疾患として認知され始めたのは、二〇四九年の俳優デヴィッド・フォレストによる妻の殺人未遂事件だろう。食書への依存が進行し、廃人のようになり活動休止をしていたデヴィッドは、妻から食書を制限されて激昂し自前のリボルバーで妻に発砲した。アルコールやドラッグ、ギャンブルよりは症例は少ないものの、この事件によって食書症という依存症が世間に知られることとなったといえよう。
3 G-BALについて ―本を食べても怒られない場所―
先に述べたように、食書が嗜好の範囲から逸脱すれば重大な事件をもたらす要因にもなり得る。G-BALでは食書症患者の治療・療養・社会復帰支援を行っている。
当該施設はミシガン州はスペリオル湖のほとり、市の過疎化と行政地区の統廃合によって廃館した市立図書館をNPO法人「食書症支援の友」が買い取って現在の形に収まった。図書館棟の一部は一般開放されており、正面から見ればガラス張りから書架や読書スペースが垣間見えるいかにも行政施設といった風体の五階建てだ。その裏の療養区画は申請なしでは入館できず、訪れた筆者に緊張感を抱かせた。だが一度療養区画に足を踏み入れれば、芝生を敷いた広い中庭、棟内外に設置された読書ラウンジ、板敷きの温かみのある内装などなど、食書症患者たちを単に世間から隔離するばかりの施設ではないことがすぐに分かった。
なお、G-BALにおける食書は書籍の原本ではなく、軟質オブラートを応用した特殊な印刷紙と可食性インクによる一冊の書籍の謄本を作成し、食書に用いているとのことである。これにより、患者同士で蔵書を食書し合うといった衛生面の課題、食書のたびに新しく蔵書を仕入れるという経費面の課題もクリアしているといえよう。
施設長のハリソン氏によれば、G-BALの理念を大まかに言うなれば、入所者の食書への依存を日常生活を送れるレベルに調整することにあるという。また、食書症の進行によって低下した社会性の回復支援も欠かせない。さらに入所者の中には、食書を止められない己への恥の感情、苛立ち、焦りなどからうつ病等の二次障害に至ることもある。そのためG-BALにおいては食書症の寛解治療のほかにも入所者のセラピー、入所者同士のグループワークも行っているという。
4 事例紹介
ここからは、筆者がG-BAL滞在する中で実際に見聞きした食書症患者について、いくつかの事例を紹介していく。入所者の個人情報保護のため、仮名処理の上取材時点での年齢と性別のみ記載、また詳細な経歴は省略した。
なお、この記事には食書症への偏見や差別を助長する意図はない旨、改めて注釈しておく。多様で個別具体的な事例が、読者の食書症への理解の一助になれば幸いである。
Case1. K・M氏(七十代、男性)
はじめに紹介するのは、入所して十年の古参入所者K・M氏だ。彼は元大学教授であり、妻の死をきっかけに食書嗜好に目覚めて症状が悪化、息子の勧めでG-BALに入所した。症状もG-BALにおいても珍しくない、ごく一般的な(というのが一般から逸脱した食書症患者を示す言葉として正しいのかは疑問だが)入所者だ。ただし、施設イチの悪食であることをのぞいて。
G-BALにおいては、食書の時間や頻度は、食書症の進行度によって異なる。K・M氏は週に一度日曜日の昼前に二時間、決まって食書をする。認知症傾向が見られ始めているとのことだが食書衝動自体は安定しており、通常であれば退所も可能な状態である。彼が十年入所し続けているのは、ひとつはG-BALへの毎年相当額の寄附金を納めている親族の希望と、そして何より彼の食書対象の特殊性が理由である。
彼はとにかく、絶版した古書や奇書を求める。G-BALの蔵書でない書籍も多い。そのため、ハリソン氏は度々州各地の図書館に問い合わせて彼の希望する図書を取り寄せているのだそうだ。年齢やもともとの知能指数、感情統制力の高さから粗暴化することはないが、ひととおりの書籍では飽き足らない知的好奇心を持つ彼は、定期的に希望の食書対象を与えなければ抑うつ状態がぶり返してしまうため、施設の蔵書で我慢してもらうというのも厳しい。そうした理由で退所が困難な彼にとって、G-BALはさしずめサナトリウムといったところだ。蓄えは多くあるようなので、あと十数年はG-BALを利用するに困らないというのが幸いなところであるが。
Case2. D・W氏(四十代、女性)
食書症にも性差があるということを、恥ずかしながら筆者はG-BALに滞在して初めて知った。D・W氏は三十歳の頃に当時勤めていた食品メーカーで足切り解雇されて失職しうつ病を発症、その後すぐに五年交際していた恋人と破局して自殺企図に及んだこともあり、一時期は心身が非常に不安定な状態であった。
そんなD・W氏が出会ったのは、二〇五十年代前半にヒットしたファンタジーロマンス小説「ニュームーンウルフズ(エドモンド・F・カーター著、全十五巻)」である。彼女はこのシリーズのペーパーバック、愛蔵版、連続ドラマの特装ディスクなどなどを収集し、こと書籍に関しては何度も読み返しては生きる希望を見出した。その著者の他の小説を読むに至ったのは当然の流れであるところ、彼女の場合はそれだけに飽き足らず、著者であるエドモンドの取材記事やSNSの投稿までも収集し、印刷してスクラップ帳を作る没頭ぶりであった。そんな彼女がエドモンド作品を食書するに至ったのもまた、当然の帰結であると察するに余りある。
D・W氏はG-BAL入所二年目だ。退所後は食書嗜好者の自助グループのある都市に転居する予定であり、現在就労先の調整中である。食書時間終了後に彼女はインタビューに応じてくれた。現在は非常に落ち着いており、G-BAL入所前後の最も食書衝動の統制が困難であった時期の精神状態を振り返ってくれた。以下は彼女の話した内容の一部である。
「初めはお気に入りの本を読み耽るだけだった。けれど物語に没頭して縋るほど、この物語を生み出してくれたエドモンドの存在の大きさを感じるようになったの。私にとってエドは救世主も同然だった。彼の創る物語ならなんでも読みたいという気持ちが、彼のことならなんだって知りたいという気持ちに変化していったの。彼の物語が好きなのか、彼自身に惹かれるのか、今でもわからないわ。ただ言えるのは、私は今でも彼の物語を読んでいるひと時だけが私の人生であると思えてならないということ。彼の物語を取り込むと、生きる希望が血と共に巡っていく。そんな幸福を感じる。……まあ、彼の物語とともに生きるためにはこの食書衝動とうまく距離を取らなければいけないことは、今では分かっているけれどね」
そう語る彼女ははにかむように笑っていた。ちなみに、彼女が語るような食書中または食書後の多幸感の経験は、多くの患者に共通する心身反応である。
ここで食書症の性差の話題に戻ろう。食書症患者の性別ごとの割合は、男性五割女性四割、その他が一割と言われており男性患者が若干高いものの、女性食書症患者が少ないとはいえない比率となっている。一方、G-BAL職員によれば、少なくともこれまでの入所者の事例を概観してみると、女性患者はD・W氏の例に見られるように特定の著者に限局した食書嗜癖を持つことがかなり多いとのことである。G-BALにおいては、性差に着目した治療・支援方法の確立に向けて、こうした女性患者特有の傾向とその背景要因について、外部機関と協働研究を行なっているとのことである。
Case4. H・M氏(故六十九歳、女性)
H.M氏はG-BAL創設一年目に入所した患者である。実のところ、彼女は四年前に退所しその一年後に末期癌で他界したため、筆者が直接にインタビュー等の調査に当たることはできなかった。しかし物書きとして非常に興味深い面もある事例のため、職員から話を聞かせてもらった範囲において是非紹介させていただくこととする。
H・M氏は二〇三〇年代後半から二〇五〇年代年代まで活動していた小説家兼ジャーナリストだ。彼女の食書対象とはずばり、彼女自身の書き上げた原稿に他ならない。初めに来所相談に訪れたのも、彼女がなかなか小説の原稿を提出しないことに悩んだ編集者なのだそうだ。自分の書き上げた初稿は一月かけて食書しなければ決して脱稿せず、再校後のゲラもしっかりと食書して吟味するまで修正を上げない。彼女の執筆活動を支援するため、ハリソン氏が原稿を急かすこともあったという。編集者をはじめとした彼女とともに仕事をする者たちにとってはたまったものではないだろうが、同じ文筆業を飯の種にする者からすれば、頭の中に完成された最も刺激的な本をいの一番に食書できるのは作者の特権だと思わなくもない。彼女の食書の時間は、さぞ至高であったろうと勝手ながら共感するところがある。
H・M氏は、癌の進行によって四年前に親族のもとに引き取られるまでの実に十八年間をG-BALで過ごした。ハリソン氏は、彼女をもはや友人のように思っていたそうで、G-BALの一般開放書架だけでなく、施設長室の書棚にもH・M氏の寄贈した彼女の書籍が並んでいる。
Case3. C・A氏(十三歳、男性)
十八歳未満の未成年者の食書症事例についても挙げておこう。C・A氏は彼の食書症による心身の発達面を心配した両親が、わざわざ他州からG-BAL近隣都市に転居して療養を開始したという、涙ぐましい経緯がある。ただし、これは彼の家庭がそうした愛情をかけるだけの経済的な余裕があったためであり、全ての食書症児童の親がそうすべきで、またそうしなければ親失格であるという考えは誤りである。
話をC・A氏の症例に戻そう。彼の食書対象はSF小説と科学図鑑だ。食書対象のジャンルの限局性は、成人して発症した食書症患者においても珍しくない特徴だが、こと未成年者に限ってはほとんど、九割は食書ジャンルの限局性がうかがわれる。職員によれば、こうした傾向には発達特性の偏り、いわゆる発達障害との関連が近年の研究によって示唆されている。C・A氏も例外ではなく、3歳の頃に自閉スペクトラム症の診断を受け、療育を受け続けてきたという。G-BALにおいても、彼のような若年入所者の資質面に十分配慮した支援ができるよう児童心理カウンセラーが常勤する他、月に一度嘱託医が往診するそうだ。
なお、C・A氏にも是非インタビューを実施したかったのだが、施設側から許可をとることができなかった。G-BALにおいて、成人患者と未成年患者の接触は、未成年者らの安全面及び情操保護の観点から禁止されている。たとえ取材のために滞在している筆者といえども、その規則には従わねばならぬとのことである。
未成年者の食書症治療支援は配慮事項も多いが、成人に比して寛解への速度も目覚ましい。来所当時のC・A氏は毎日のように食書を求めて暴れ、職員をなじり、設備破壊や夜尿等の症状も見られたそうだ。しかし入所から八か月目の現在、彼は週に二回夕方二時間の食書のみで、安定した生活を送ることができているようだ。父母の都合により何かと家族面会が実現せず、四ヶ月ほど親子交流が実施できていない点は気がかりであるものの、やがて社会に復帰して他の子どもたちとともに学校へ通い、夕方に父母の見守りのもとで食書を楽しむ。彼がそんな日常に帰る日は遠くないかもしれない。
Case5. P・B氏(三十代、男性)
入所したばかりの患者についても触れておきたい。
P・B氏は筆者のG-BAL滞在一週間が過ぎた頃に新しくやってきた若者だ。州立大学附属総合病院の精神病棟への入院歴もあり、同所においては粗暴傾向も目立つとのことであったが、現在は投薬治療によりそうした他害傾向は落ち着き、食書症の寛解に向けた次のステップとして病院からの紹介でG-BALへ入所した。とはいえ、日によっては情緒の安定しないこともあり、彼は現在、安静室と呼ばれる外鍵のかかる部屋に収容されている。
筆者はそれでも、このルポルタージュをより有用なものとするため、P・B氏との接触についてG-BALと交渉を続けた。その結果、彼への接触は叶わなかったものの、職員から彼について少し話を聞くことができた。P・B氏の食書対象はかの有名な「老人と海(アーネスト・ヘミングウェイ著)」のみであるという。先に挙げたジャンルや著者という範囲よりもさらに現局化した、特定の本のみが食書対象ということだ。こうした事例は多くはないが珍しいと言うほどでもないらしい。G-BALにおいて食書症患者のメンタルケアに従事しつつ、某州立大学の研究員としてより効果的な食書症に対する療法研究プロジェクトに携わるG-BAL職員によれば、一つの書籍へのこだわりは、幼少期の愛着形成の失敗体験が関係していることが近年の研究で示唆されているのだそうだ。大雑把な例を挙げれば、家庭の養育環境に問題のあった者の中で、親から唯一与えられたプレゼントの児童書、家に帰りたくないあまり入り浸った市民図書館で司書から読み聞かせをしてもらった絵本。なかには友人が家族から与えられ大切に読んでいた小説や図鑑などに強烈な憧れを抱くなど、本人の読書体験ではないところから食書に至る場合もあるのだそうだ。
彼の生い立ちについては、入所したばかりと言うこともあって担当職員以外にはあまり詳細が知られてはいない。しかし筆者の知る限りにおいては、P・B氏の入所から二週間が過ぎても彼が面会ラウンジに足を運ぶ様子はないのが現状だ。彼がなぜヘミングウェイの老人と海を食書対象とするのかは分からない。しかしふと目が覚めた深夜、安静室から彼の食書を求める叫声が響く。その甲高い声に満ちる燃えるような怒りと執念、そして悲鳴の余韻に滲む冷たい孤独感に、彼の半生を想像せずにはいられない。
今回の滞在において、P・B氏の対応に追われている職員へのインタビューにも至っていない。筆者としては、可能であればP・B氏本人へのインタビューを実施したかったものの、入所して間もないかつ投薬で粗暴傾向を抑制している若者に対して大きな負担はかけられない。心に大きな傷を抱えたまま大人になったであろう彼に、一歩間違えれば心身不安定に陥るような質問等は控えるべきであると考え、現状の情報に基づいた筆者なりの所感を述べるに留めておくこととした。
Case6. G・A氏及びJ・A氏(二十代、男性)
上述の五つの事例をもって事例紹介を終えようと考えていたが、最後にどうしても紹介したい非常に珍しく興味深い事例があることを思い出した。筆者がG-BALを訪れる二ヶ月前に退所したとのことで、先述のH・M氏と同様に職員から伝え聞いただけの事例だ。しかし彼らのことを書き記すことで、本ルポタージュの質は一層上がることは間違い無い。それによって食書症に対する読者の関心がさらに高まることになれば幸いである。
最後に紹介する事例は食書症の双子の兄弟である。兄のG氏、弟のJ氏は二十歳の夏に二人同時に入所した。驚くべきことに、彼らは別々の大学に進学し、それぞれの大学で寮生活をしていたところ、同時期に食書を開始したのだという。食書症の双子研究はまだまだ黎明期にも差し掛かっていないところ、近年の研究において、食書への依存しやすさは他の依存症群と同様に、世代間連鎖が見られることが明らかとなっている。
ある職員によれば、彼らはとても美しい風貌であったと言う。一方で二人とも小柄で田舎臭い中学生じみて、よく言えばあどけない危うさのある二人だったのだそう。彼らは入所時の個別面談において、彼らは互いのこと「食書をするまで、まるで自分の嫌なところを内面まで鏡に移したみたいなあいつが大嫌いだった」と評していたそうだ。そして、「今となっては、あいつだけが全てを共有できる唯一の理解者だ」とも。
仲の悪い双子、しかし好みも得意分野も似た二人はともに社会学部を希望したが、幸い進学先は別れた。生まれて初めて地元から離れ、鮮明すぎる鏡から解放された二人に待っていたのは薔薇色の大学生活、とはいかない。美少年じみた双子が並べばさぞ目立つだろうし、それなりに話題にもなろう。しかし一人になれば、容姿の美しさなど芋くささにかすむ。内向的な彼らは兄弟なしに大学生の華々しい社交場に繰り出す勇気はなく、狭い寮の部屋で読書に没頭した。弟の方の食書のきっかけは定かではないが、兄のG氏は大学図書館で貸し出し図書を直に食書する生徒を発見したことを機に食書に興味を抱いたのだそうだ。そして大学生活初の冬休み、二人は帰省の折に片割れが食書にはまっていることを知ることになる。以降G-BAL入所までの約半年で、急速に食書衝動を高め合うことになっていく。
「高め合う」の言葉通り、彼らは互いの食書嗜好を認知して以降毎日のように電話で食書の感想を伝え合った。彼らの食書の共有は、やがて同じ本の前半を兄のG氏が、後半部をJ氏が食書し、その体験を共有し合うという行為に発展する。
職員は彼らのこの食書行動を「相互食書」と名付けた。エスカレート、というのが正しい表現かはわからないが、食書時の彼らの相互食書は二人の世界に没入するあまり、非常に情熱的で妖しい雰囲気が漂っていたものだから、他の入所者も彼らの食書の様子を一種のリアリティショーのように眺めて楽しんでいたのだという。食書衝動自体は日常生活に差し障りのない程度に収まり、二人とも大学に復学していったとのことであるが、ついぞ相互食書は止めることができなかった。
神話のナルキッソスを思い出す。自己肯定をもたらす鏡、孤独の共有者、全てを理解するもう一人の自分。食書症が寛解した今、そうした存在と再び別れた彼らは、何をよすがに生きているのだろうか。
5 おわりに ―ああ素晴らしき食書ライフ―
以上がG-BALにおける取材調査結果である。施設規則はいくつか息苦しいものもあったが、総合的に見れば、この図書館への滞在は非常に有意義なものとなった。
さて、次の取材対象を探さねばならないのだが、ハリソン氏によれば療養所を出るには退所手続きを行わなければならないらしい。筆者は決して患者ではないのだが、取材のためとはいえ入所扱いと言うことになるのだろう。申請が通るまでの期間は非常にもどかしくストレスの募るものになると予想されるが、何せここは図書館だ。筆者の好奇心を満たす様々なジャーナルが網羅されているためしばらくは退屈しなさそうである。必要があれば入所者と同じようにセラピーを受けてもよいとのことであったので、実際に体験してみるとする。場合によっては、食書症に関する新たな記事に取りかかっても良いかもしれない。
ともあれ現在の筆者の心情としては、一刻も早くこの記事を紙面に起こしたい、ただそれだけだ。そうしてはじめて、このルポルタージュにおける筆者の目的が達成されるというものである。
最後に、協力者各位への謝辞をもって結びとする。食書への理解の浸透に対する筆者の熱意に真摯に耳を傾け、G-BALを紹介してくれた精神科医の友人、ハリソン氏をはじめとしたG-BALの職員各位の協力なくしてこのルポルタージュは完成し得なかった。そして入所者の皆さまにおかれては、今後とも心身健やかな食書生活を送ることができるよう、同じ書を愛する者として切に願っている。
食書症諸相 ニル @HerSun
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます