第10話
マイハウスの庭は、今日もロコットのものだった。
芝生のあちこちに、小さな穴が増えていく。ボクが苦労して並べた低木の間を、ロコットが尻尾を振りながら掘っては埋め、掘っては埋めている。
「……そこ、昨日整えたところなんだけどな」
「ワフ」
まるで「知ってるよ」とでも言うように、ロコットは一声だけ返して、また前足を動かす。ゲームなのに、土が柔らかい感触まで指先に伝わってくるのが、この世界の妙なところだ。
(まあ、庭はロコットの散歩道でもあるしな)
ボクはベンチに腰を下ろし、マイハウスの外観を見上げた。白い壁に木枠の窓。広い庭。テイマー用の拡張区画には、ペットを複数飼えるように柵と小屋の設置スペースまで用意されている。
まだ小屋はひとつ。ロコット専用だ。
「……もう一つ分の空き、か」
ぽつりとつぶやいたとき、視界の端にシステムメッセージが表示された。
[芦名ミライがマイハウスに入室しました]
「来たな」
ボクはロコットの頭を軽く撫でる。
「ロコット、ちょっと中に入るぞ。今日は、大事な話があるらしい」
「ワフ」
ロコットは土まみれの前足を振り、ボクの横について歩き出した。
────────
マイハウスのリビングは、だいぶ形になってきた。
フカフカのソファ。分厚いテーブル。壁一面には大きなモニター。もともとシンプルな部屋だったのを、ボクが家具ショップから少しずつ買い足して整えたものだ。
「おお、やっぱりいいね、ハヤトさんのマイハウス。ちゃんとソファが沈むタイプなの、こだわり感じるよ」
「勧めたのはミライさんだろ。『トップランカーと話すなら、まずは応接環境から』って」
「言ったねえ、そんなこと。言ったけど」
ミライさんは笑いながら、ソファにどさりと座る。クッションが大きく沈み、すぐにゆっくり戻る。
「こういう細かいところでテンションが変わるんだよ。ほら、ロコットくんも座りなよ」
「ワフ?」
ロコットはソファの端を匂い、前足だけ乗せてから、ぴょんと飛び乗った。さすがに沈み込みすぎて、半分埋もれる。
「……埋もれてるぞ」
「かわいいからよし」
ミライさんは即答した。
ボクは向かいのソファに座り、ひとつ咳払いをする。
「それで、今日は何の用件でしょうか?エナジーチャージは次の分も作っておくので、トレードならもう少し先でも」
「うん、それも大事なんだけどね。今日は別件。もっと、ハヤトさんの未来に関わる話」
「未来はちょっと重いな」
「軽く聞いてくれていいよ」
ミライさんはテーブルの上に肘をつき、まっすぐこちらを見る。その目は、トップランカーのそれだった。
「ハヤトさんさ……そろそろ、二体目のペットを考えたほうがいいと思う」
その一言に、胸の奥が小さく跳ねた。
「二体目、か」
「そう。ワタシからの提案としては、ね」
ミライさんはテーブルに指で円を描きながら続ける。
「理由は大きく二つ。ひとつは、ロコットくんのため。もうひとつは、ハヤトさんのため」
「ロコットの、ため」
ロコットは、いつものようにボクの足元へ移動し、鼻先を軽く押し付けてきた。
(聞いているのか、こいつ)
ミライさんは小さく笑って、言葉をつなぐ。
「まずひとつ目。ロコットくんの神格化の件。これは、正直に言うと危険なんだ」
「危険?」
「うん。このゲームにいるプレイヤーの多くは、オクトパスブルーと神格化に目がない。ペットが神格化するのは常識だけど、どのスキルがどう神格化してるかは、それぞれのプレイヤーの“資産”でもある」
ミライさんは指を一本立てる。
「ロコットくんが“どういう”神格化をしたのか。今のところ、知っているのはハヤトさんとロコットくんだけ。ワタシは勘である程度までは読めるけど、確信は持ててない」
「それは……助かるんだか、怖いんだか」
「だからこそ、隠し通したほうがいいの。少なくとも、今はね」
ミライさんは、ボクとロコットを順番に見た。
「でもね。弱そうなペットが一体だけって、逆に目立つんだよ。“あのペット、何かあるな”って勘ぐられる。ゲームって、そういうところあるから」
「……ロコットは弱そう、か」
「見た目ね。性能が弱いとは言ってないから安心して」
ミライさんは軽く肩をすくめる。
「だから、もう一体、強そうなペットがいたほうがいい。そっちに視線が集まれば、ロコットくんは“影”に隠れられる」
ボクはロコットの背を撫でる。毛並みの感触は相変わらず柔らかい。
(守るために、もう一体を増やす、か)
「それが、ロコットのための理由。で、二つ目はハヤトさんのためだよ」
「ボクのため」
「そう。ハヤトさんは、今のところ“幽霊採掘者”として順調だけどさ」
「その呼び方、やっぱり気に入ってるんですね」
「かなり気に入ってる。で、その幽霊採掘者としての腕が、これからどこまで伸びていくか。ワタシは見てみたいの」
ミライさんの声が、少しだけ静かになる。
「ワタシには昔さ、死獣の眷属を連れたテイマーの仲間がいたの。
不死鳥の朱雀の眷属をペットにしていた、すごいテイマー」
不死鳥。火の鳥。ゲームタイトルが、一瞬だけ頭の中で重なる。
「その人と、魔法使いと、ワタシ。三人でセブンスアローを揃えてた時期があった。
楽しかったよ。世界の端っこまで見れる気がしてた」
「……今は」
「今はワタシ一人。残りの二人は、それぞれ別の“道”に行っちゃった」
ミライさんは、それ以上は詳しく語らない。ただ、テーブルの木目を指でなぞり続ける。
「オクトパスブルーの秘密を知るとね、人は変わるんだよ。
“全員で協力すればラスボスを倒せる”
“八つ集めたら、違う方法で倒せる”
その二つのルートの間で、いろんな欲が顔を出す」
「……ミライさんは、その真ん中にいたのか」
「いたね。で、いろいろあって、今はこうして一人でやってる」
短くまとめられた言葉の奥に、どれだけの時間が詰まっているのか。ボクは想像することしかできない。
ロコットが、ボクの膝に顎を乗せる。重みが、現実感をくれる。
「だからね、ハヤトさんには、別の形で上まで来てほしいの。
前とは違うメンバー、違うやり方で」
ミライさんはようやくこちらを見て、笑う。
「トップランカーと知り合いになるのって、普通はもっと面倒くさいんだよ。
でもハヤトさんは、もうこうしてワタシと話してる。
この位置まで来たのなら、上の景色を見ていかないともったいないと思わない」
「……押しが強いな」
「自覚はあるよ」
その押しの強さに、不思議と嫌な感じはなかった。むしろ、娘に背中を押されたときに似ている。
(ロコットを守るため
ミライさんの“願い”のため
そして、ボク自身がどこまで行けるのか知るため)
いくつかの理由が、胸の中でゆっくりと重なる。
「それで、その“強そうなペット”っていうのは」
ボクが尋ねると、ミライさんの目が少しだけ輝いた。
「ここでようやく本題。
ハヤトさんにおすすめしたいのは――月の銀狼」
「月の、銀狼」
「うん。この世界には“桃太郎”をモチーフにした五大死獣って呼ばれるボスがいるんだ」
ミライさんは手を動かし、モニターに地図とイラストを次々と映し出す。
「地獄の牛鬼。太陽の金猿。月の銀狼。無敵の青龍。不死鳥の朱雀」
それぞれの姿が、簡易イラストとは思えない迫力で表示される。
「牛鬼は“鬼”。金猿は“猿”。青龍は、まあ桃太郎枠ってことでね。
朱雀はこのゲームのタイトルにもなってる火の鳥。
ラスボスは朱雀だと言われてるけど、青龍が裏ボスじゃないかって説もある」
「……タイトル、火の鳥と金の山なのにな」
「そこがミソなんだよ。金の山はオクトパスブルーを含む鉱脈の象徴。
火の鳥は朱雀。でも、物語の裏側には、もう一匹いてもおかしくない」
ミライさんは肩をすくめる。
「で、五大死獣にはボス個体とは別に“眷属”がいる。
テイムできるのは、そっちの雑魚のほう。雑魚って言っても、最強ランクの雑魚だけどね」
「最強の雑魚って、なんか矛盾してないか」
「最強の雑魚だよ。中ボス寄りって言えばいいかな。
テイマーにとっては憧れの一体なんだ」
ミライさんは指で月の銀狼のイラストを拡大する。
銀色の毛並みに、淡く青い光を宿した瞳。狼らしい鋭さと、どこか静かな気品を併せ持つ姿。
「月の銀狼の仔狼は、死獣の眷属の中でも、ハヤトさん向きの性能。
月光属性の補助スキルと、敏捷バフ。
何より、見た目がいい。これ重要」
「最後の基準が一番人間っぽいな」
「見た目は正義だよ。ロコットくんと並ぶなら、絵面的にも最高でしょ」
ロコットは自分の名前が出たことだけ理解したのか、尻尾を振って応える。
「ミライさんの昔の仲間にも、死獣の眷属持ちのテイマーがいたんだよな」
「うん。あれはあれで最高の相棒だった」
一瞬だけ、ミライさんの目が遠くを見る。その視線はすぐに戻ってきたが、わずかな影だけが残る。
「だからね、欲を言えば、ハヤトさんにも同じランクのペットを一体は持っていてほしい。
ワタシが前に見た景色の“少し先”を、一緒に見てくれる人がいたら、ちょっと救われるから」
その台詞は、冗談めかした口調のわりには、やけに真っ直ぐだった。
「……ボクなんかで、務まるのかな」
「“なんか”って言葉を使う人は、たいてい大丈夫だよ。
自分を過信してないってことだから」
ミライさんは笑う。
「それに、テイムするのは死獣本体じゃなくて眷属。
いきなり世界の命運を背負え、とは言ってないよ。
ただ、ロコットくんに“月の銀狼の弟分”みたいな存在ができたら、きっと楽しいと思わない」
「弟分、か」
ボクはロコットの頭を撫でる。ロコットは目を細めて、喉の奥で小さく鳴いた。
(ロコットのそばに、もう一匹
危険は増えるかもしれない。でも、それ以上に、世界が広がる気もする)
娘が小学生だった頃のことを思い出す。ロコットが家に来たばかりのころ。
世界が急に賑やかになった。
(あのとき、ボクたちは“ロコットと一緒の未来”を選んだ)
今度は、“ロコットと誰かの未来”を選ぶ番なのかもしれない。
「……月の銀狼の眷属って、簡単に見つかるものなのか」
ミライさんは、テーブルにマップを広げる。そこには、まだ行ったことのない森が青く光っていた。
「ここ。“月雲の谷”。
月の銀狼本体はもっと奥にいるけど、眷属はこの辺りにも出る。
テイム条件は、満月の夜に特定の行動をすること」
「特定の行動」
「そこは、実際に行ってからのお楽しみ」
ミライさんは悪戯っぽくウインクした。
「で、どうする。ハヤトさん。
ロコットくんと、月の銀狼の仔狼。
その二体を連れて歩く“幽霊採掘者”になる気はある」
ロコットが、ボクの手の甲を舐める。
(ここで逃げたら、きっと後悔する)
危険はある。面倒くさいことも増えるだろう。
でも、ロコットと一緒に歩いてきた道の先に、もう少しだけ進んでみたいと思った。
「……月の銀狼、探してみます」
ボクがそう言うと、ロコットが「ワン」と短く吠えた。
ミライさんは、満足そうに息を吐く。
「うん。その返事、待ってた」
彼女は立ち上がり、モニターの地図をタップして位置情報を共有する。
「じゃあ決まり。次の目標は“月雲の谷”。
ワタシも手伝うから、準備しておいて」
「準備って、何を」
「まずは、月光属性に弱い服をクローゼットから全部捨てるところから」
「ゲーム内で衣替えか」
「気分は大事だからね」
ミライさんの軽口に、ボクは苦笑する。ロコットは、よくわからないまま尻尾を振っていた。
マイハウスの窓の外には、ゲーム内の夕暮れが広がっている。
オレンジ色から群青へと変わっていく空の下で、銀色の狼のシルエットが、一瞬だけ幻のように浮かび上がった気がした。
(ロコット。今度は、月の下だな)
胸の奥で、ゆっくりと鼓動が強くなる。
現実のペットと過ごした日々と、ゲームの中の新しい相棒候補が、ひとつの線でつながりかけている。
ボクはロコットの首元をそっと撫でた。
「行こうな。少しだけ、遠回りしてみよう」
返事の吠え声が、マイハウスの広いリビングに響く。
その音は、現実ともゲームともつかない場所で、静かに未来の輪郭を照らしていた。
〜 完 〜
─────
作品としては途中になりますが、一度ここで完結し、自筆作品として、ブラッシュアップして出直してまいりたいと思います。
【AI小説】VRMMOでボクのトロッコスキルは問題があるスキルでした。 鳥山正人 @mako10ri
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