第4話 「壬生の朝、剣の居場所」

壬生の朝は早い。


 夜明けとともに太鼓の音が鳴り、屯所の空気は一気に張り詰める。

 昨夜の静けさが嘘のように、庭には足音と掛け声が満ちていた。


 リュシアン・ヴァイスは、少し離れた廊下に立ち、その様子を眺めていた。


 「……すごいな。朝から全力か」


 隊士たちは一斉に素振りを始め、気合いの声が空気を震わせる。

 統率が取れている。

 殺気があるのに、無秩序ではない。


 (なるほど。“狼”って呼ばれるわけだ)


 そんな感想を抱いていると、背後から声がかかった。


 「どうです? うちの朝稽古」


 振り向けば、沖田総司が湯飲みを片手に立っていた。

 いつもの柔らかな笑み。

 だが、昨夜の会話を知っているリュシアンには、もう“ただの隊士”には見えない。


 「嫌いじゃないね。

 ただ……真面目すぎて、長生きしなさそう」


 「はは、それは言われ慣れてます」


 沖田はあっさり流す。


 そこへ、土方歳三が現れた。


 「総司。白髪の。

 近藤さんが呼んでる」


 「はいはい。行こうか、リュシアン」


 「正式に名前覚える気、ないんだね」


 「覚える気がねぇから呼び方を固定してるんだ」


 即答だった。


 近藤勇は、すでに座敷にいた。


 朝の稽古を終えたばかりなのか、羽織を肩に掛け、湯気の立つ茶碗を手にしている。


 「来たか」


 穏やかな声。

 だが、その眼差しは真っ直ぐだった。


 「昨日は助かった。改めて礼を言う」


 「いえいえ。成り行きですから」


 リュシアンは軽く頭を下げる。


 近藤は一拍置いてから、静かに続けた。


 「昨夜の件……村田の様子も確認した。

 体に異常はない。だが、本人は“何も覚えていない”そうだ」


 「典型的だね」


 「……やはり、知っているのか」


 リュシアンは少し考え、言葉を選んだ。


 「知ってる、というより……

 “同じようなもの”を、別の世界で何度も見てきた」


 土方の目が鋭くなる。


 「別の世界、ね」


 「信じなくていいよ。

 ただ――京で起きてる“変質”は、自然なもんじゃない」


 近藤は静かに頷いた。


 「俺もそう思う。

 だから君を“客分”として迎える判断は、間違っていないと考えている」


 「条件はひとつ」


 近藤は穏やかに、だが明確に言った。


 「新選組の規律には縛られなくていい。

 だが、独断で人を斬らないでくれ」


 「……うん。それは俺の流儀とも合う」


 土方が腕を組んだまま言う。


 「その代わり、

 “妙なもの”が出たら真っ先に呼ぶ。

 拒否権はねぇ」


 「はいはい。便利屋扱い、ね」


 「自覚があるなら話が早ぇ」


 近藤はふっと笑った。


 「今日から、京の町を知ってもらう。

 総司、お前が案内しろ」


 「了解です」


 沖田は軽く手を挙げた。


 昼前。

 壬生の町を歩きながら、沖田は自然な調子で話しかける。


 「昨日の夜の話ですけど」


 「うん?」


 「“魔素の濁り”。

 あれ、まだ京のあちこちに薄く残ってます」


 リュシアンは足を止めた。


 「……感じるんだ?」


 「ええ。強くはないけど。

 昔ほどじゃない」


 “昔”という言葉に、リュシアンは何も言わない。


 沖田も、それ以上踏み込まない。


 「たぶん、京全体が“下地”になってる。

 一気に噴き出すことはないけど……」


 「じわじわ侵食するタイプ、か」


 「はい。

 だから、派手に動くより、まずは“知る”必要があります」


 リュシアンは苦笑した。


 「俺、来たばっかなんだけどなぁ」


 「だからこそ、ですよ」


 沖田は楽しそうに言った。


 「“外”から来た人じゃないと、

 見えない歪みもありますから」


 そのとき。


 通りの向こうで、小さな騒ぎが起きた。


 怒鳴り声。

 人だかり。


 だが、昨日のような“暴走”ではない。


 「……前兆だ」


 リュシアンが呟く。


 沖田も頷いた。


 「ですね。でも、今日は斬りません」


 「お?」


 「今日は“観察”。

 京は、思ったより広いですから」


 二人は人混みに紛れ、静かに様子を探る。


 剣は抜かれない。

 だが、確かに──戦いは始まっていた。


 壬生狼の中に居場所を得た異世界の剣聖は、

 この町で“斬らずに救う戦い”を選び始めていた。


 そしてそれは、

 やがて魔王の影へと繋がっていく。


 ──京の空に、うっすらと不穏な雲が広がり始めていた。

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異世界剣豪、転身したらほぼチート。【幕末編】 @Ilysiasnorm

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