幸福な手紙

河村 恵

からっぽの部屋

リビングに差し込む午後の光が、白い壁をまぶしく照らしている。

茉莉花はソファに座り、スマートフォンの画面を眺めていた。タイムラインには、罵詈雑言が並んでいる。


「盗作最低」

「反省してないでしょ」

「ブロンズ賞返せ」


指先が震える。画面を閉じても、言葉は頭の中でこだまし続けた。

ふと顔を上げると、部屋の静けさが耳に染みた。


グレーのソファ、観葉植物、北欧風の家具。

雑誌で紹介されたリビングは、今日も完璧に整っている。テーブルには何も置かれていない。

モデルルームのような、生活感のない空間。

完璧だった。でも、どこか息苦しい。

茉莉花は深く息を吐き、一年前のことを思い出した。


メールを開いたのは、去年の春だった。

学生時代の友人、サクラからのメールだった。

「このメールを本日19:07までに7人の人に送ってください。そうすれば7ヶ月以内に幸福が必ず訪れます」

茉莉花はため息をついた。

サクラは学生結婚をして出産し、その後離婚してニューヨークへ行ったところまで知っている。この2、3年は音信不通だった。

学生時代に流行った「不幸の手紙」を思い出した。期日までに指定の人数に送信できないと不幸になるという、脅しのようなメール。信じてはいないものの、なんとなく怖くて、友達の友達を教えてもらって送ったことがある。

サクラは送信エラーに気づかずにいて、その後、階段から転落して骨折した。それ以来、縁起の悪いことは徹底的に避けるようになったらしい。

茉莉花は、メールを自分で止めてしまおうと思っていた。

ところが、サクラの猛烈なプッシュで、送信してしまった。


翌月、茉莉花は理想の男性と出会った。

イケメンで高収入の次男。親兄弟ともに茉莉花のことを温かく受け入れてくれて、結婚の話はすぐにまとまった。25歳までに結婚したいと思っていた茉莉花は、このとき24歳7ヶ月。

その2ヶ月後には結婚し、東京の世田谷にある白亜の豪邸に住むことになった。

「幸福な手紙」のせいだろうかと一瞬脳裏をよぎったが、茉莉花は信じる方ではなかった。

けれども、自分が送信した相手が次々と夢を叶えていくのを見て、信じないわけにはいかなくなった。

「子どもの頃からの夢だったケーキ屋さんを開くことができました。茉莉花からの幸運な手紙のおかげだと思ってます。ありがとう!」


「ずっと反対されていた国際結婚。つらかったこの4年。ついに両親がOKしてくれて、今は最高にハッピーだよ。幸運な手紙の効果かな? お互い、まじで怖いくらい効いたね!」


「司法書士合格しました! 努力は必ず報われる! 幸運が味方してくれたかも。いやいや実力で合格したから」


茉莉花が書いていたブログを見て、インテリア雑誌から取材の申し入れがあった。

茉莉花はいつも家の中を綺麗に整えるのが好きだった。夫はすぐに快諾した。

「生活感を感じないキレイ空間をキープする方法」をテーマにインタビューを受けて、翌月には雑誌に掲載された。


ブログのフォロワーも増え、特に趣味のない茉莉花にはブログが生きがいのようになっていった。


そうはいっても、いつも整っているので同じ写真では飽きてしまう。

フォロワーの期待に応えようと、素敵なインテリアのフリー画像を拝借してしまったことがあった。そして、後から掲載した写真に合わせるようなインテリアにして、つじつまを合わせることもあった。


ある日、友人のブログを見た。そこには茉莉花にはない家族との素敵な休日の過ごし方が書かれていた。

フォロワー数がもう少しで、ブロンズ賞がもらえるということを知った茉莉花は、友人のブログ内容をそっくりそのまま書いてしまった。公開ボタンを押す前に、さすがに躊躇した。けれども、ジャンルが被らないからいいだろうと、公開してしまった。

その後も数名の知人友人のブログを盗用していった。バレることなく、フォロワー数は伸び、ブロンズ賞をもらうことができた。


「ブロンズ賞をいただきました」という記事を書き終えた時、メールがひっきりなしに来るようになった。

見ると、ブログが盗用であることが書かれ、原文が引用されていた。


次々に罵詈雑言が並びはじめた。

「違う、違うの。私が悪いんじゃない」

ブロンズ賞も剥奪され、ブログは停止された。

謝罪記事を書いても、「心がこもっていない」「反省しているのか」など、冷たい言葉が並んだ。


茉莉花は夫に相談しようと口を開いた。

「あのね、実は——」

夫は目も合わせずに言った。

「知ってるよ。でも、それは君がやったことだよね」

茉莉花の言葉が喉に詰まった。

「疲れてるんだ。茉莉花は自分のことは自分で処理してくれ」

夫はネクタイを締め直しながら、冷たく続けた。

「俺の昇進に関わるから、そういうことやめてくれないか」

声を荒げて出ていく夫の背中を、茉莉花はただ見送った。


完璧なリビングに、茉莉花は一人取り残された。

その時、スマホが鳴った。

「"幸福な手紙"メールが届きました」

茉莉花は画面を見つめた。


一年前、このメールで始まった、幸福そうでからっぽな生活。

茉莉花はゆっくりとメールを開いた。そして、ふと子どもの頃を思い出した。

絵を描くのが好きだった。下手でも、友達に笑われても、夢中で描いていた。

学生時代の友人たちと、夜遅くまで本音で語り合った日々。

あの頃の自分は、どこへ行ってしまったんだろう。

茉莉花は立ち上がった。

夫のいる部屋へ向かおうと、一歩を踏み出した。

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幸福な手紙 河村 恵 @megumi-kawamura

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