息子の転生

川田てんき

第1話

 和彦の息子の大輝は、半年ほど前にトラックにはねられて死んだ。


 大輝は中学の頃から十五年以上引きこもりで、深夜にコンビニに『ジャンプ』を買いに行った帰りに事故にあったのだった。

 大輝の大輝の死は悲しかったが、この先自分が老いていくことを思うと、和彦はどこかほっとしてもいた。


 ひどい父親だな。仕事を言い訳に息子と向き合おうともしなかった。もしも互いに気持ちをぶつけ合っていたら、なにか変わっていたのだろうか……。


 大輝の葬儀が終わってから、妻の幸恵とはほとんど口をきいていない。

 まあ、もともと夫婦仲は冷え切っていたし、大輝と家のことをすべて押しつけていた自分が悪いのだ。


 和彦は気持ちを整理するため、死後初めて大輝の部屋に入った。

 何気なくパソコンのマウスに触れると、画面が点灯した。


 事故の日、大輝が出かける前の状態でスリープモードになっていたのか?


 それ自体は別に驚くことではないのかもしれない。

 それでも、大輝が死んだ日の、おそらく出かける直前の状態のままになっていたパソコンが今、文字通り眠りから覚めたなんて、まるでちょっとした奇跡じゃないか。などと言ったら大げさだろうか?


 画面の脇の付箋にいくつかパスワードらしき英数字が書かれていた。

 今さら言うのもなんだが、我が子ながらなんというセキュリティ意識の低さだろう。


 しかしこれは……。果たして見てもいいのだろうか。親子でもプライバシーの問題とかあるよな。たとえ相手がこの世にいないとしても。

 それに、最後に見てたのがエッチな動画とか陰謀論とかだったら、なんだか地獄……。


 いや、俺はおまえに向き合うと決めたんだ。おまえがどんな趣味だろうと受け止めるぞ!


 和彦は意を決してパスワードを入力した。

 画面が切り替わると、文章が書かれたサイトが現れた。

 とりあえずエッチな動画ではないようだ。


 しかし、これが、大輝が死ぬ前に見ていた画面……なのか。画面を見つめながら、和彦は幽霊にでも会ったような、なんとも不思議な気がした。


 しばらくそのサイトをながめていると、それは小説家を目指す人たちが自作の小説を発表するサイトのようだった。

 

 一日中アニメを見たりゲームをしたりしていると思っていたが、こんなことをしていたのか。俺はおまえのこと、なにも知らなかったんだな。


 さらにサイトをあちこち見ていると、大輝が書いたと思われる小説があった。


 題名は『弱者無双~15年引きこもりの俺が、相手の強さを自分基準に下げる能力で世界を混乱させる~』だろうか? これが題名?

 小説の題名といえば『坊ちゃん』とか『ごんぎつね』みたいなのだろう(*和彦はあまり小説を読まないのだ)。


 よくわからん。 しかし、この題名、ほとんどネタバレしているんじゃないか。これでいいのかな?


 それは、題名からほぼ想像できるとおり、ひきこもりの男が異世界で生まれ変わる話らしかった。

 だが、ものすごく強いライバルとかが出てくるわけでもなく、どちらかというと起伏のない話が続いているように思えた。


 こういう話はよくわからないが、物語のなかくらい、もっと積極的に冒険でもすればいいのに。

 和彦は大輝にもどかしさを感じずにいられなかった。


 話は途中で終わっていた。最後の更新は大輝が死んだ週だ。転生した主人公に自分を重ねていたのだろうか?


 その話を読んでも大輝の気持ちを理解できたとは思えなかったが、それ以来、たまに大輝の部屋に来てパソコンでその小説を読んでいた。作者がいないので、これ以上話が進むことのない、永遠に終わらない物語を。


 そういえば、ネットの世界では誹謗中傷が多いと聞くので、もしかしたらひどいコメントでもあるかと心配したが、そんなものはなかった。というか、コメント自体がなかった。

 それはそれでさみしいな、大輝はどんな気持ちでこの話を書いていたのだろうか。和彦は真っ白なコメント欄を見ては、ぼんやりとそんなことを考えていた。


 そのとき、突然和彦の心にある考えが浮かんだ。自分がこの話の続きを書いたら、もしかしたら、大輝が書き始めたこの物語を、いつか誰かが読んでくれるんじゃないだろうか。

 残された言葉や思いが、そんなふうに見ず知らずの人に伝わっていくなんて、それは、なんだかとてもすごいことじゃないか。


 ああ、そうか。


 和彦はそのサイトをみながら思った。

 だから、YouTubeだのゲームだのnetflixだの、さまざまな娯楽があふれているこの時代に、それでも文字で表現しようとする人がこんなにもいるんだろう。

 大輝、おまえも一生懸命なにかを伝えようとしていたんだな。


 よし、まかせておけ。父さんが続きを書くぞ。


 ところが、思い立ってはみたものの、それから数日、なんとか続きを書こうとしたが、1行も進まなかった。


 当たり前だよな。小説なんてまともに読んだのは学生のときくらいだし……。やっぱり無理だろうか。


 和彦はすっかり弱気になった。今日も1行も書けなかったな……。ごめんよ、大輝。明日は、頑張るから。


 その夜和彦は夢を見た。


 和彦はどこまでも広がる草原のただ中にいた。

 空を見上げると青空に白い雲が浮かび、とんびだろうか、大きな鳥が数羽のんびりと上空を滑空している。

 

 地上に目を向けると数メートル先を大輝が歩いていた。

 長年の引きこもり生活で、大輝の体重は百キロ近くになっていたが、後ろから見ても楽しげで軽快な足取りだった。 


 しかし、しばらく進むと大輝は突然立ち止まり、不安そうにキョロキョロとあたりを見回しはじめた。


 その様子を見て、和彦は思った。そうだ、今度こそきちんと伝えなくては。和彦は大きく深呼吸して後ろから語りかけた。

「心配しなくていいぞ、大輝。父さんが書くから。続きを……。おまえの物語を」


 大輝はゆっくりと振り返ると、照れくさそうに微笑み、小さくうなずいた。そして前を向き、しっかりした足取りで歩き出した。


 そうか、おまえ転生するんだな。和彦はふとそんな気がした。そしてその考えを自然と受け入れた。


 元気でな。


 和彦は涙で視界をにじませながら、小さくなっていく大輝の後ろ姿をいつまでも見つめていた。(完)

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