白紙の約束

天使猫茶/もぐてぃあす

血の執筆

 あるところに若い画家がいた。

 幼い頃から体が弱く長くは生きられないだろうと言われていた彼は、しかしその命を振り絞るようにして多くの作品を描き上げていき、あまり有名ではないが絵だけで身を立てていた。

 あるとき友人の一人が彼の住居兼アトリエを訪れた。


「散らかっていて済まないね、来てくれて嬉しいよ」


 スプリングの突き出たソファの上で寝転がりながら土気色の顔に笑顔を浮かべた画家が咳の前後で吐き出したその言葉は、普通なら謙遜で使われる類のものではあったが、そのときに限って言えば言葉通りのものだった。

 室内はひどい有様である。完成した絵は部屋のあちこちに無造作に積み上げられ、締め切られた部屋には絵の具の匂いが充満し、しかもどこからか微かに薬のような匂いまで漂っていた。

 こんな部屋でどうやって生活しているというのだろうか。


「もう少しいい部屋に住むことも出来るだろうに」


 相変わらずだなと笑いつつ友人は不用意に絵に触れないように気を付けながら部屋の中を見て回る。すると、部屋の真ん中に一つのキャンバスが置かれていることに気が付いた。

 薄く下絵がしてあり、どうやら人物画のようである。だがやけに古びているそのキャンバスを見て友人は首を傾げる。


「このキャンバスはどうしたんだい? ずいぶんと古いようだけど」

「ああ、昔というか子どもの頃にある知り合いと合作の約束をしてね。そのキャンバスに二人で描こう、って。そろそろその知り合いと再会できそうだから引っ張り出してきたのさ」


 画家はそう言って笑うとまた何度か咳を繰り返し、それが収まるとそれより最近の出来事を教えてくれよ、と言って友人に話をせがんだ。




 それから一年ほどが経ったある日、友人のもとにその画家と付き合いのあった画商がやってきて、彼が死んだという知らせが届いた。絵を受け取りに訪ねていった画商が、自分の部屋の中で古いキャンバスに向かった状態で死んでいたのを見つけたのだという。

 画家の遺作となったその絵は、画家の口から噴き出たのであろう血がこびりついていて、普通ならとてもじゃないが売り物にはできないような状態であったらしい。


「だけどですね、不思議なことにその血がなんともきれいにキャンバスを彩っておりまして。色々と処置を施してから特別に売ることにしたんですよ」


 これがその写真です、と言って画商は一枚の写真を差し出してくる。


 画家の友人は血を浴びたその美しくも冷たい表情の女性の絵を見て、なるほど、古くからの知り合いとの合作はうまくいったのだなと静かに理解した。

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白紙の約束 天使猫茶/もぐてぃあす @ACT1055

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