喫茶 ルクス・シルウェにて
蒼のシレンティウム
第1話
チリンチリン。
誰かが少し重たい木の扉を開けるたびに小気味よいベルの音が鳴る。
長年、風に磨かれたような木造の店、【喫茶 ルクス・シルウェ】。ビル群に紛れるようにひっそりと店を構えている。
この店を切り盛りしているのは、柔らかい物腰の壮年の店主だ。
そして軒先には、名無しのてるてる坊主が一体。それが私だ。
これは、ここから眺めてきた、小さな記録。
◆
「マスター、カフェオレください」
「砂糖は多めで?」
「多めで!」
今日も元気な声が店に響く。参考書を広げて注文を告げている彼は、二ヶ月ほど前から通い始めた学生だ。最近は追い込みとばかりに毎日顔を見せる常連となっていた。
彼は大学受験が迫っていると、たびたび店主にこぼしていた。
注文を受けた店主は焙煎されたコーヒー豆を挽き、丁寧にドリップしていく。この香りが漂う瞬間が私は好きだ。
店主がミルクを注ぎ完成したカフェオレをそっと学生の前に置いた。カップが木のテーブルに触れて、コトリと小さな音が鳴る。
「はぁ~……落ち着く」
彼は待ってましたとばかりに一口含み、小さく漏らした。
そうして、彼は再び参考書に向き合い始めた。
この喫茶店でよくある、日常の光景を今日も眺めていた。
◆
ランチの時間が過ぎて、窓から差し込む光も少し落ち着く頃。チリンチリンとベルが鳴り、常連の彼女がやってきた。週に二度ほど顔を見せる彼女はいつものカウンター席に腰掛ける。
「マスター、アメブラとフレンチトーストお願いします」
「はいよ。
彼女が注文した後しばらくすると、店内にはコーヒーとバターの香りが漂い始める。スマホを見ている彼女もそわそわし始めた。
焼き上がったフレンチトーストと入ったばかりのコーヒーが彼女の前に運ばれると「~~♪」 といった顔で堪能し始めた。
食べ終わって一息ついた彼女が店主に話しかける。
「マスター聞いてよ、今月の契約ノルマまだ達成できなくて、あの
柔和な笑顔で「いつも大変だね」と声を掛ける店主。
「そうなの。ほんと細かいところチクチクと――」
他に客もいない店内では彼女の愚痴は止まらず、午後の店内にそっと溶けていく。
こうして、午後の一幕は過ぎ去っていく。
◆
夜が訪れて、店が夜の帳と共に閉まる。 【喫茶 ルクス・シルウェ】にまつわる話をしよう。
開店した当時は【雨宿り】という名だったと店主が話していた。営業時間も今より長かったらしい。
閉店間際の【雨宿り】に一人の女性が駆け込んでくる。まだ年若い時分の店主がそれを出迎えた。
「やぁ、今日もいつものでいいかい?」
湯気が立ち上るおしぼりを差し出し、店主は彼女に尋ねた。
「うん。いつものが一番落ち着くの。一日が終わる気がして」
「了解。ちょっと待っていて」
手際良く焙煎した豆を挽き、湯を落とすとコーヒーの香りが充満する。仕込んでおいた煮込みハンバーグも取り出し、盛り付ける。
「はい、どうぞ」
いつもの、煮込みハンバーグ定食とコーヒーを出し、ゆったりとした時間が流れていく。夜の街ではしとしとと雨が降り出していた。
彼女が足繁く通ううちに、気づけば恋仲となり、やがて二人同じ苗字となったという。
私が吊るされたのはこの後のこと。店の名前が【雨宿り】から光の森を示す【ルクス・シルウェ】へ変わった時のこと。
店を開いた時、「誰かの心が休めたら」と【雨宿り】と付けたが、どんな時でも「森の静寂と木漏れ日を感じる安らげる場所へ」と言う願いを込めて。
雨宿りをしないですむようにと軒先にてるてる坊主を吊るし、以来私は見守ってきた。
これからも眺め続けていくのだろう。
喫茶 ルクス・シルウェにて 蒼のシレンティウム @aono_silentium
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