おでん

クランベア*

第1話

 俺はつくづく運がない奴だと思う。運がないから、

人より苦労が多かった。例えば、


保育園でやった椅子取りゲームの時とか。

「あはは!あきらくんいちばんさいしょにだつらくした!」


苗字五十音の最初の人と最後の人でジャンケンをして順番決めをした時とか。

「うわ負けた最悪ー。相山ってほんとこういうの弱いよな」


高校受験で第一志望校に落ちた時とか。

「ま、まあ、晃はよく頑張ったわよ!ねっ!」


やっとの事で入社した会社がその業界では有名なブラック会社だった時とか。

「え、お前あそこに就職したの?ブラックなこと知らなかったから?…ま、ドンマイ」


そして今、おでんが美味しいと噂の居酒屋に半強制的に連れてこられている時、とか。



 「あはは、いやぁそれにしても、今日は私なんかを誘っていただいてありがとうございます」

「ははっ、いやね、ここの店のおでんすごく美味しくて。いつか若手にも紹介したいと思ってたんだよ」


よりにもよっておでんかよ。居酒屋なんだからもっと他にあるだろ、焼き鳥とか。


「特にちくわぶが美味しくてね。是非一度食べて欲しいんだ」


しかも一番嫌いな具材じゃねぇかふざけんな。


「あぁ、私もちくわぶ好きです。美味しいですよね」

「おぉ、ちくわぶの美味しさが分かってるなんてツウじゃないか!なかなか美味しさに気づける奴は少ないんだ。相山くんがわかってくれる人で嬉しいよ」


あはは、なんて笑っておく。狭山課長は一緒になって笑っておけば上機嫌になるからだ。

ちなみに、俺に巻き込まれて着いてきた…着いてくるしか無かった、課長の向かい席に座ってる可哀想な原田は、少々内気な所があるから時折気にかけてやると良い。さっきから一言も喋っていないが。


「今日は僕の奢りだからね。存分に食べてくれよ」

「はい、ありがとうございます」

「あ、ありがとうございます…」

やっとの事で声を出した原田は予想通りオドオドしていて。おそらく、この店を出て解散に持っていくまで、俺が二人の間を保っていくことになるのだろうと察する。


 今日は金曜日。華金なんて言うくらいだから大体の人は肩の荷が降りる日なんだろう。でも俺の会社は華金なんてない。休日出勤は当たり前、サビ残も当たり前。パワハラはもう諦めた。当然明日も仕事がある。

 課長は酒が入ると面倒臭くなる。原田はああ見えてザルだからその心配がないのが唯一の救いだ。けれど課長が面倒くさいのには変わりない。七十パーセント以上の確立で終電コースだろう。


やっぱり、今日の占いが最下位だったのが影響しているのだろうか。


「ラッキーアイテム持ってくればよかったか」

つい呟いた言葉が課長にも聞こえたらしい。それは占いか何かかと聞かれ、はいと答えれば、そんな女が好きそうなことが好きなのかと笑われた。

やっぱり、笑っておけばこの人は上機嫌になるのだと

思った。



 「じゃあまた明日ぁ!!遅刻は許さんからなぁ!!!!!」


酒を飲み上機嫌になり、仕事の愚痴から始まり部下の愚痴。その時点で時計の針は二十二時。そこからおでんの美味い出汁の比率を俺達に説き、別れた女房の愚痴を聞き、時代遅れな男尊女卑の話と自慢話が一時間。

そうなると、いい気分になってガハハと下品な笑い声を夜の街に響かせる課長と別れたのは、やっぱり終電間近の時間で。


「ぁ、あの」

「じゃあ私もこの辺で。原田も気をつけて帰れよ」

「ぁ、あ、うん。お疲れ様」

「あぁ。お疲れ様」


 課長と別れたあと俺達も別れた。原田は会社の近くにアパートを借りているらしく、色々と大変らしい。きっと明日も三十分は早く来いと言われるのだろう。大変だな。

 無事間に合った終電に揺られながら、明日までのやることの逆算をしていく。そうするとどうしても時間は足りなくて、仕方なく今日も睡眠時間を削ることに決めた。



 俺はつくづく運が無い奴だから。

運がないから、ゲームで負けて、ジャンケンでも負ける。志望校に落ちて、ブラック会社に入社する。

…俺の人生、このままずっとこんななのか。

アルコールが入っている体で、そんな考えたってどうしようもないことを考えてしまうくらいには、もう疲れていた。



 最寄り駅に着き、徒歩十五分程の自宅のアパートを目指して足を進める。少しでも時間を詰めたいと無意識に考えているのか、社会人になってからは歩く速度が早まった気がする。

時間帯のせいか、辺りは必要最低限の光しか存在していなくて。そんな空間が安らぎに感じられるようになったのは、一体いつからだったか。


 ふと、コンビニの自動ドアの隣に置かれているのぼり旗に目が移る。


『今年もこの季節がやってきた!』

『アツアツおでんやってます!』


「…へぇ」

この時の俺は、どうかしていた。

気付いた時にはもうお馴染みの入店音を響かせ入店していた俺は、何を見る訳でもなく一直線にレジに向かう。


「すいません、おでんください」

「はーい。具はどうしますか?」


運に、かけてみようと思った。


「えぇと、おすすめの具を三つ、お願いします」

「かしこまりましたァ」


 目の前で出汁に浸かっている具が三つ、専用のケースに入れられていく。卵、大根、ちくわぶ。


「この三つでよろしいですか?」

「はい」

「では合計で___になります」

「カードで」

「かしこまりましたァ」


「…お兄さん、ちょっとだけしといたから」

「え?」

「これ家で食べるんでしょ?当ててみてよ」

「はぁ…ありがとうございます」

「いいえ〜、気をつけてお帰りくださーい」


会計を済ませ、店から出る。手には暖かいおでん。

さ、帰ろう。



 家に着いてくたびれたスーツを早々に脱ぐ。シャワーを軽く浴びた後寝間着に着替えて、少し冷めてしまったおでんをレンジに入れる。容器に入ったおでんが、オレンジ色の光に照らされているところを、ぼうっと見る。


まずは、卵。

「うん、まあ割とイケるか」


次は、大根。

「出汁が染みてると美味い。好きかも」


最後に、ちくわぶ。

「…ははっ、まっっず」


なんだか面白くなって、笑い声が口から漏れてくる。


「いやいや、やっぱまずいもんはまずいって」


全て食べ終わり、出汁だけが残った。幼い頃一度だけ父に買ってもらったおでんの残り汁は、こんなに多かったっけと思いながら一気に飲み干す。頭の片隅で、『あ、これがおまけか』と呟きながら。


アルコールに侵食されていた体内に暖かい出汁が染み渡る。


はぁっ

「やっぱちくわぶは美味くねえよなぁ!」


堪えきれなくなって大声で笑った。


ドンッ!!


「あ、すいません」

隣のやつ今日はいる日か。いつも居ねぇから忘れてた。やっぱり、俺の運のなさは変わらないらしい。そこまで思って、自嘲気味に笑った。



 そう、人は変わらない。あのうるせぇ小太りな狭山課長は相変わらず時代遅れなザ・パワハラを丁寧になぞっているし。内気なくせメンタルは強いらしい同期の原田は時間があればSNSで上司を面白おかしく書いてバズり散らかしてるし。

どんな人でも、そんな簡単に変わることなんてない。

それは勿論、俺にも当てはまることだ。


 俺はつくづく運がない奴だと思う。運がないから、人より苦労が多かった。

けれど、その分人より順応してきた。どんな状況にだって合わせた。順応するためなら自分の形だって変えてきた。

でも、もういいのかもしれない。


「仕事辞めるか」


そう思った瞬間どうでも良くなった。



 二週間後、俺は右頬に湿布を貼りながらも何とか仕事を辞めることができた。

結局課長には殴られた。辞職の意志を見せた段階で。

まあしょうがない。俺は運がないから。

だから、自分の職場が不利になるような、パワハラの決定的証拠を掴むきっかけになってしまった盗聴器をその場に持ち込んでいたことも、運が悪いと言えるだろう。

他にも存在してしまった証拠を集め然るべきところに提出すれば、驚くほど辞職の手続きはスムーズに行われた。なんということだ、俺は断られたら辞めるつもりはなかったのに。あぁ、本当に運がない。



まあ、しょうがない。

俺はつくづく、運がない奴だから。


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