「かたちなきもの」の向こうに正成は何を具現させたかったのか?
- ★★★ Excellent!!!
湊川合戦の楠木正成といえば、「正統」の天皇を主君とし、その主君とおのれの信じる「正しさ」のために戦って散った悲運の名将として、悲憤慷慨調に語られがちだし、実際にそう語られてきた。
しかし、鎌倉幕府との戦いで少数をもって多数を翻弄し続けた「知将」のイメージと、成算なき戦いに突入して散るという「精神主義」のイメージは、何かズレてないか?
反旗を翻して関東から京都に突入した足利尊氏の軍を西へと敗走させた後、正成が尊氏と講和すべきと主張したことは史料にある。足利尊氏の人柄、名声、そして「足利一族の長」というステイタスの持つ大きい力を見極める能力を正成は持っていた。
それなのに、なぜ?
精神主義の武将としてというより、「知将」として、正成はなぜ成算のない戦いへの出陣を決意し、実行したのか。
かたちのないもの。
この時代の武士は、おのれの所領のために「一所懸命」に戦った。
所領とは、経済的な収入であり、それによって家族や部下たちを食わすことができるもの。命のかかったもの。
しかし、その家族や部下たちの「命」が「所領」として概念化され、その「所領」に対する権利が(たとえば裁判の判決とその執行命令というかたちで)抽象化されていく。そして、最高権力の手に届いたときには、武士本人や家族や部下たちの「命」はかぎりなく抽象化され、具体的な「かたち」を失っている。
その「かたちのないもの」の向こうに、どうやって再び「命」を具現させるか。
どうやって「かたちのないもの」を通して「命」に対して責任を取るか。
それが、湊川の正成が今日にまで残した「問い」ではなかったか。
正成以外の、足利尊氏、直義、新田義貞などがどんな人物だったかもていねいに描写されており、この時代に関心のある人は読んで損のない一篇。