カクコン11(短編)「お題フェス」も早や五回目。本作の作者である四谷軒氏は、これまでのお題に全て参加され、第二回「卵」以降は南北朝、特に建武の新政後の、楠木正成と足利尊氏の戦いを題材にした短編を書かれておられます。
事実上の連作形式となっている本シリーズ、前回の題材が「桜井の別れ」となれば、今回の舞台は必然的に「湊川の戦い」。名将・楠木正成の、最後の戦いです。
圧倒的な戦力差にもかかわらず、正成は起死回生の策があると決戦に挑みます。対する尊氏も、兵力差に頼ることなく、必勝を期して戦いに臨む。傑出した二将(とその他一将)による、虚々実々の駆け引きが繰り広げられます。
そして、この戦い最大の疑問――なぜ正成は、戦場を脱して捲土重来を期さなかったのか? 彼ほどの策士なら、千早城の戦いの時のように、死を偽装することもできたのでは? という問いに、ひとつの答えを出しているのが本作の見どころ。
二人の名将の戦い、その背景にあるものも含めて、お楽しみください!
湊川合戦の楠木正成といえば、「正統」の天皇を主君とし、その主君とおのれの信じる「正しさ」のために戦って散った悲運の名将として、悲憤慷慨調に語られがちだし、実際にそう語られてきた。
しかし、鎌倉幕府との戦いで少数をもって多数を翻弄し続けた「知将」のイメージと、成算なき戦いに突入して散るという「精神主義」のイメージは、何かズレてないか?
反旗を翻して関東から京都に突入した足利尊氏の軍を西へと敗走させた後、正成が尊氏と講和すべきと主張したことは史料にある。足利尊氏の人柄、名声、そして「足利一族の長」というステイタスの持つ大きい力を見極める能力を正成は持っていた。
それなのに、なぜ?
精神主義の武将としてというより、「知将」として、正成はなぜ成算のない戦いへの出陣を決意し、実行したのか。
かたちのないもの。
この時代の武士は、おのれの所領のために「一所懸命」に戦った。
所領とは、経済的な収入であり、それによって家族や部下たちを食わすことができるもの。命のかかったもの。
しかし、その家族や部下たちの「命」が「所領」として概念化され、その「所領」に対する権利が(たとえば裁判の判決とその執行命令というかたちで)抽象化されていく。そして、最高権力の手に届いたときには、武士本人や家族や部下たちの「命」はかぎりなく抽象化され、具体的な「かたち」を失っている。
その「かたちのないもの」の向こうに、どうやって再び「命」を具現させるか。
どうやって「かたちのないもの」を通して「命」に対して責任を取るか。
それが、湊川の正成が今日にまで残した「問い」ではなかったか。
正成以外の、足利尊氏、直義、新田義貞などがどんな人物だったかもていねいに描写されており、この時代に関心のある人は読んで損のない一篇。
歴史小説の名手、そして楠木正成大好きの四谷軒さんの短編です。
おー、ブラボー。パチパチパチ!
とてもよかったです。楠正成、足利尊氏、新田義貞の3人を中心に、正成最後の戦いの湊川合戦を見事に描写されました。尊氏の軍略の見事さ、それを見抜いた正成の智謀が、読んでいてリアルに伝わってきました。また、正成と義貞との交流や、正成と尊氏がお互いに認め合っている様子など、ヒューマンドラマとしても完成度がたかく、思わず引き込まれました。
正成は忠義を貫いた結果湊川に散りました。惜しい人物でしたが、それもまた歴史の一コマというものなのでしょう。
歴史小説がお好きな方には、この作品はお勧めです。