最終選考まで残った七人〜投票するたび、誰かが消える就活デスゲーム〜

ソコニ

1話完結 最終選考まで残った七人

 封筒の中身は、白紙のカードとボールペンだった。

 葛西颯介は机の上の封筒を見つめながら、会議室のドアをもう一度確認した。開かない。三十分前から、誰も来ない。窓もない。時計もない。あるのは長机と七つの椅子、そして壁に埋め込まれた黒いモニターだけだ。

「おかしいですよね」

 隣の女性が震える声で言った。名札には「桐谷美波」とある。二十代前半、新卒だろうか。颯介と同じく、疲弊した顔をしている。

「面接官、来ませんね」

 向かいの男が冷静に言った。柊という名前だった。二十代後半、転職組だろう。スーツの着こなしが颯介より遥かに洗練されている。

 会議室には七人が座っている。全員がリクルートスーツを着て、全員が同じような不安を顔に浮かべている。颯介は封筒を握りしめた。ミライ創建株式会社。初任給五十万、完全週休三日。求人サイトで見つけたとき、颯介は迷わず応募した。既卒二年目。もう後がない。

 その時、モニターが点灯した。

 七人が一斉に顔を上げる。白い文字が浮かび上がる。

『ルール:一人を選んで排除してください。多数決です。選ばれた者は退室となります。最後の一人が採用です。時間制限:各回10分』

 沈黙。

 美波が笑った。乾いた笑いだった。

「冗談、ですよね?」

 誰も答えない。颯介は喉が渇くのを感じた。モニターの下に、デジタル表示が現れる。

『09:58』

『09:57』

『09:56』

「待ってください」

 颯介は立ち上がった。ドアに駆け寄る。ノブを回す。開かない。叩く。音が吸い込まれるように消える。

「開きません」

 颯介の声が震えた。振り返ると、六人全員がこちらを見ていた。

「これ、本当に試験なんじゃないか?」

 端に座っていた男が言った。名札には「佐々木」とある。三十代前半だろうか。

「企業は決断力のある人間を求めてる。だから、こういう極限状態で判断できる人材を——」

「ふざけないでください」

 美波が叫んだ。

「人を排除するなんて、そんなの——」

『08:12』

 タイマーが容赦なく減っていく。颯介は自分の席に戻った。白紙のカードを見つめる。ボールペンを握る。手が汗で濡れている。

「書かないと、どうなるんでしょう」

 無口だった男が初めて口を開いた。竜也という名前だった。二十代半ば、颯介と同世代だ。

「分かりません。でも——」

 柊が全員を見回した。

「このタイマーが何を意味するのか、確かめたくはないですね」

『06:43』

 颯介は考える。これは試験だ。本当に人が消えるわけがない。ドアが開いて、面接官が笑って「お疲れ様でした」と言うに決まっている。そう、これはストレステストなんだ。

 だが、手が震える理由が分からない。

『04:21』

「書きます」

 佐々木が宣言した。カードにペンを走らせる音。それが引き金になった。

 一人、また一人とペンを握る。颯介も——書いた。

 最も静かだった男の名前を。理由はない。ただ、誰かの名前を書かなければならなかった。

『01:15』

 全員がカードを裏返して机に置く。誰も誰を見ない。颯介は自分の呼吸音だけを聞いていた。

『00:00』

 モニターが指示する。

『カードを中央に集めてください』

 柊が立ち上がり、全員のカードを回収する。手際がいい。まるで慣れているかのように。

『開票します』

 モニターが一枚ずつ名前を表示していく。

『田中 / 田中 / 桐谷 / 田中 / 佐々木 / 田中 / 桐谷』

 田中に四票。

 颯介が書いた名前だった。

「待ってくれ」

 田中が立ち上がった。四十代くらいの男性だ。顔が青白い。

「俺は、俺はまだ何も——」

 消えた。

 文字通り、消えた。

 煙も光もない。ただ、そこにいた人間が、いなくなった。椅子も鞄も消えた。まるで最初からいなかったかのように。

 美波が悲鳴を上げた。

 颯介は自分の目を疑った。だが、田中がいた場所には何もない。空気すら動いていない。

「嘘だろ」

 佐々木が呟いた。

「嘘だろ、嘘だろ、嘘だろ——」

 モニターが表示する。

『次の投票を開始します。時間制限:10分』

『09:58』

 颯介の手が止まらない。震えが全身に広がっていく。

 田中——名前は覚えている。確かにそこにいた。四十代くらいの、少し猫背の男性。スーツは少し古かった。でも、顔が思い出せない。目の色は? 声の高さは? 何も出てこない。

「おかしい」

 颯介は自分の頭を抱えた。

「おかしい、おかしい、なんで——」

「落ち着いてください」

 柊が冷静に言った。だが、その声も微かに震えている。

「これは、何かの——そう、VRか何かです。幻覚を——」

「幻覚?」

 竜也が笑った。狂気を含んだ笑いだった。

「じゃあ、あんたは幻覚に投票したのか? 俺もか? 俺たち全員が同じ幻覚を見てるのか?」

『07:32』

「書かなきゃ」

 佐々木が呟いた。

「書かなきゃ、次は俺かもしれない」

 颯介は思考が回らない。田中の顔が、本当に思い出せない。いた。確かにいた。でも——

『05:18』

 美波が泣いている。ペンも握っていない。

「書けない、書けない、こんなの——」

「書かないと、あなたが消えるかもしれませんよ」

 柊が言った。その声に、優しさはなかった。

 颯介は決めた。考えるのをやめた。名前を書いた。美波以外の誰か。理由はない。ただ、消えたくないから。

『00:00』

『開票します』

『桐谷 / 桐谷 / 中村 / 桐谷 / 佐々木 / 中村』

 桐谷——美波に三票。

「え」

 美波が声を失った。

「私、私、何も——」

 消えた。

 泣き顔のまま、消えた。

 颯介は何も感じなかった。いや、感じてはいけなかった。感じたら、自分が壊れる。

 モニターが表示する。

『次の投票を開始します』

 残り五人。

 颯介、柊、佐々木、竜也、そしてもう一人——名前が思い出せない。中村? いや、違う。誰だ?

 そこに座っている男性を見る。三十代くらい。眼鏡をかけている。名札を見る。「渡辺」と書いてある。

 そうだ、渡辺だ。最初からいた。なのに、なぜ今まで意識していなかったんだろう。

『09:58』

 第三回投票。

 颯介はもう迷わなかった。ペンを走らせる。誰でもいい。自分以外なら。

 開票。佐々木に三票。

「待て、待ってくれ」

 佐々木が立ち上がった。

「これは試験なんだろ? 俺たちの決断力を見てるんだろ? だったら——」

 消えた。

 颯介は数えた。残り四人。

 柊、竜也、渡辺、そして自分。

 モニターが表示する。だがこの時、颯介は気づいた。

 タイマーの音が聞こえる。カチ、カチ、カチ。いや、違う。これは自分の心臓の音だ。

「次、誰にする?」

 柊が言った。

「話し合っても意味がない。もう——」

「分かってる」

 竜也が遮った。

「俺たちはもう、選んでるんだ。誰を生かすかじゃない。誰を殺すかを」

 沈黙。

 颯介は思う。殺す、という言葉は正しいのか? 消えた人間は死んだのか? それとも——

『09:58』

 もう考えない。書く。

 渡辺の名前を書いた。

 開票。渡辺に三票。

 渡辺は何も言わなかった。ただ、颯介を見た。その目が何を語っていたのか、颯介には分からなかった。

 消えた。

 残り三人。

 颯介、柊、竜也。

 モニターが——表示しない。

 五秒、十秒、二十秒。

 何も起きない。

「……終わった?」

 竜也が呟いた。

 その時、モニターが点灯する。

『最終選考です。残り三名から最終的に一名を選出します』

『時間制限:15分』

 颯介の心臓が跳ねた。

 柊が立ち上がった。

「話し合おう」

「何を?」

 竜也が冷笑した。

「誰を殺すかを、話し合うのか?」

「違う」

 柊が颯介を見た。

「葛西さん、あなたはなぜここに来たんですか?」

「……仕事が欲しかったから」

「私もです」

 柊が続けた。

「私はもう二年、転職活動をしています。どこも雇ってくれない。資格も経験もある。なのに——」

「だから?」

 竜也が遮った。

「だから、あんたを生かせってか?」

「そうじゃない」

 柊が首を振った。

「ただ、私たちは——もう四人を消した。その責任から逃れられない」

 颯介は黙っていた。柊の言葉が正しいのか、分からなかった。

『12:34』

「書こう」

 竜也が言った。

「もう、いいだろ。俺たちはここまで来た。あと一歩だ」

 竜也がカードに何かを書く。裏返す。

 柊が颯介を見る。

「葛西さん、あなたは——」

「書きます」

 颯介は遮った。

 もう、何も考えたくなかった。ペンを握る。名前を書く。

 柊の名前を。

 柊も書いた。三人がカードを中央に置く。

『00:00』

『開票します』

『柊 / 柊 / 竜也』

 柊に二票。

 颯介と竜也が入れたのだ。

 柊は笑った。初めて見る、本当の笑顔だった。

「そうか。私は、排除される側か」

 柊が颯介を見た。

「葛西さん、あなたは生き残る。それが——」

 消えた。

 言葉の途中で、消えた。

 残り二人。

 颯介と竜也。

 会議室が広く感じた。

 二人だけ。向かい合って座る。

 モニターが表示する。

『最終投票です。時間制限:10分』

 竜也が颯介を見た。

「なあ」

「……何」

「俺たち、ここまで来て——何のためだったんだろうな」

 颯介は答えられなかった。

『09:12』

 竜也が書き始める。颯介も書く。

 お互いの名前を書くしかない。

 だが——

 颯介の手が止まった。

 もし、自分の名前を書いたら?

 もし、二人とも自分の名前を書いたら?

 竜也が先にカードを裏返した。颯介も——迷った末に、書いた。

 自分の名前を。

 葛西颯介、と。

『00:00』

『開票します』

『葛西 / 葛西』

 颯介に二票。

 竜也は颯介の名を書いた。そして颯介も、自分の名を書いた。

 颯介は目を閉じた。

 消える。それでいい。もう、疲れた。

 五秒。十秒。

 何も起きない。

 目を開ける。

 竜也が——いない。

 消えたのは、竜也だった。

「え」

 颯介は立ち上がった。

「なんで、なんで俺が——」

 モニターが表示する。

『採用おめでとうございます』

 ドアが開いた。

 カチャリ、という音。三十分前からずっと開かなかったドアが、今、開いた。

 廊下から誰かが入ってくる。

 颯介は息を呑んだ。

 その顔——

 田中、美波、佐々木、渡辺、柊、竜也。

 六人全員の顔が、一つに混ざっていた。

 目は田中のもの。鼻は美波のもの。口は柊のもの。輪郭は——誰のものか分からない。歪に、不自然に、組み合わさっている。

「よく頑張りましたね、葛西さん」

 声が重なっている。六つの声が同時に響く。

「いえ——葛西さんたち、と呼ぶべきでしょうか」

 颯介は後ずさった。

「あなた、は——」

「私はこの会社です」

 その存在が微笑んだ。六人の表情が同時に動く。

「ミライ創建株式会社。社員は——今日からあなたです。いえ、あなたたちです」

 颯介の携帯が震えた。画面を見る。「母」からの着信。

 だが、出る前に——颯介は自分の手を見た。

 七本に見えた。

 いや、錯覚じゃない。自分の右手に、他の六本の手が重なっている。田中の手、美波の手、柊の手——

「あああああ」

 颯介は叫んだ。だが、声が七つ重なって出た。

 自分の声、田中の声、美波の声、佐々木の声、渡辺の声、柊の声、竜也の声。

 七つの声が同時に悲鳴を上げる。

「さあ」

 その存在——会社が、颯介の肩に手を置いた。

「出社初日です。営業部、経理部、人事部、総務部、開発部、広報部、そして人事部。七人分の業務を始めましょう」

 颯介は鏡に映った自分を見た。

 七人の顔が重なっている。

 自分の顔が、どれなのか分からない。

「あなたは採用されたのではありません」

 会社が囁いた。

「あなたは——七人になったんです」

 颯介は——いや、颯介たちは——

 何も言えなかった。

エピローグ

 新しい会議室。

 八人の就活生が座っている。全員がリクルートスーツを着て、全員が同じような不安を顔に浮かべている。

 受付嬢が微笑む。

「面接官がすぐに参ります。少々お待ちください」

 ドアが開く。

 入ってきたのは——七人の顔が混ざった存在だった。

 名札には「葛西」と書いてある。

 だが、その顔は葛西だけではない。田中、美波、佐々木、渡辺、柊、竜也。七人全員の顔が、不自然に組み合わさっている。

「それでは」

 七つの声が重なって言った。

「最終選考を始めます」

 机の上に、八つの封筒が置かれている。

 モニターが点灯する。

『ルール:一人を選んで排除してください』

 その時、葛西の——いや、葛西たちの目が、一人の青年を捉えた。

 二十代前半。既卒一年目。疲弊した顔。

 かつての自分と同じ顔。

 葛西たちは微笑んだ。七人の笑顔が同時に浮かぶ。

「頑張ってください」

 七つの声が、優しく言った。

「採用されるといいですね」

 タイマーが動き始める。

『09:58』

『09:57』

『09:56』

 八人の就活生が、それぞれの封筒を開ける。

 会議室のドアが、静かに閉まった。

 外からは、何の音も聞こえない。

 ただ、時計の針だけが、規則正しく時を刻んでいた。

(了)

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