待ち人来ず
きゅうりプリン(友松ヨル)
待ち人来ず
私は、いつも同じ場所に座っている。 駅の東口のベンチに。理由はない。理由がないから人は見に来る。通りすがりの誰かが立ち止まり、私の顔を一度だけ確かめる。確かめたあと、彼らは目を伏せて、友達にこう言うのだ。 「見て。あの人、誰か待ってるんだって」 それで物語が始まる。
誰かは言う。彼は毎朝、そこに座る若い男を見て、きっと別れた恋人を待っていると確信している。
また、誰かは言う。彼女は忠犬ハチ公のモノマネだと噂する。きっとsnsでは、たくさんの噂が広がっているのだろう。【待つ男】と不気味がり、都市伝説にされているかもしれない。
誰も私に直接話しかけない。話しかける必要などない。物語の燃料は、私の沈黙だ。
私は、座っている。それだけだ。夏は日差しが逆さに刺さり、冬はコートの襟が頬骨を冷たく撫でる。変態呼ばわりする声が聞こえれば、私の頬は熱を帯びる。だれの言葉も、私には届かないのに、届いているように錯覚するのが不思議だ。
ある日、子どもが近づいてきた。そして私を見て、真剣な顔でこう言った。 「ねえ、いつもなにしてるの?」一拍の沈黙後、 母親の顔色が青白く変わる。子供の手を引っ張り、そそくさと逃げるように去る。私の立っている意味を、誰かが確かめた瞬間だ。正直に言おう、少し嬉しかった。
人は意味を作る。作られた意味はいつしか、本物の匂いを帯びるようになる。
夕暮れ、誰もいないベンチに私は座り、背後の街灯が輪郭を淡く塗り替えた。風が通り、私のシャツの裾を撫でる。誰も来ない。誰も来ないのに、確かに私の胸の中に小さな空洞が出来ているのを感じた。人が私に与えた物語が、いつのまにか私の内側で育ち始めている。待つという行為は、初めは無意味だったが、周りの人々の視線が種となって、私の内側に根を下ろした。
私は、今日も座る。誰かがまた私に意味を与えるだろう。誰かの想像が、私を生かす。それでいいのだろうか。問いの答えは風に混ざり、夕暮れはゆっくりと色を落とす。私は座り、街は勝手に物語を紡いでいく。本当に誰かを待っているような気がしてきた。誰かの虚構が、いつのまにか私の真実になっていく。
「おまたせ」
誰の声か、風のせいか、もう分からなかった。
その人の顔は見えないのに、なぜか懐かしかった。
「ああ……ずっと待ってたよ……」
私が立ち上がると、ベンチの上に残った影が、ゆっくりと消えた。
待ち人来ず きゅうりプリン(友松ヨル) @petunia2525
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます