ネオワイズ
海湖水
ネオワイズ
「ネオワイズ彗星、来るらしいよ」
彼女は手に持ったスマートフォンの中の記事を見せた。
『ネオワイズ彗星、地球に5000年ぶりの接近。1ヶ月後の夜空にて』
5000年、その数字を初めて見た時は驚いた。5000年前、日本はまだ縄文時代だったらしい。その頃の人々は、この星を見てどう思ったのだろうか。何かの予兆か、それとも神の怒りとでも思ったのか。
「知ってるよ、本業だし」
「ん〜、知ってたかぁ……」
春樹は自らの恋人の悔しがる顔を見た。寧々は昔から春樹の知らないことを知りたがる。春樹に自慢したいのか、彼女は知らないことを見つけると彼にすぐに教えに来た。
しかし、流石にこの彗星は彼は知っている。大学で理学部天文学科に所属する彼が今回の件を知らない訳がなく、勿論、研究資料の記録のために調査に出かけるのも決定していた。
「そっか、研究資料って何を記録するの?」
「……長くなるぞ」
「やっぱ今の質問なしで!!」
2人はそんなやり取りをして笑い合う。
寧々が音楽系の道へと進みたいということもあって、違う大学へと進学することになった。その際、寧々と春樹は同棲することになった。2人が恋人同士であったこと、2人は幼馴染で親も2人で住むことに忌避感が無かったこと、寧々が女の子1人で過ごすよりは春樹がいた方が安心できたこと、そして大学が近かったのが決め手となった。
「そういえば、寧々のバンドの解散ライブも1ヶ月後だったか?」
「うん、そうだよ。多分この星とは日が違うと思うけど」
「なら良かった。俺も行くよ、チケットってネットで買えるんだっけ?」
「うん、買えるよ〜。あ、でも私が話したらくれるかも」
「いや、自分で買うよ。他のファンの人に申し訳ないしな」
寧々は大学に入ってからバンド活動を始めた。最初は人気も特に無かったが、徐々にファンを集め、最近はライブハウスでライブをすればある程度は人を集められる程度の人気も生まれた。
そして、そんな彼女のバンドは、来月解散することとなった。理由は色々ある。バンドメンバーの妊娠とか、他の用事が忙しいとか、たくさんの理由が集まった、その結果だった。
そのため、彼女たちは解散ライブをすることとなっていた。春樹はスマートフォンを確認する。彼女のライブの日程は、確かにカレンダーに記されていた。
「ライブ、成功すると良いな」
「うん……私たち、色々用意してるんだ!!ここでは話せないけど……この後も打ち合わせがあるの」
「そっか、晩飯、何が良い?帰ってくるの作って待ってるよ」
「うーん、じゃあお鍋で!!」
「まだ寒いもんなぁ……」
もう2月だ。これからはだんだんと暖かくなってくるだろう。鍋を食べる機会も少なってきた。
「じゃあ、俺も買い物に行かないとな」
「うん、それじゃあ出かけよっか」
2人は出かける用意をすると、それぞれ目的地へと向かった。
「ごめん……」
春樹は、帰ってきた寧々の泣き腫らした顔を見て目を丸くした。
何があったのか、春樹を見て大きな声をあげて泣く寧々を慰めながら事情を聞くと、寧々はポツリポツリと話し始めた。
「あのね、私達の解散ライブの日、変わっちゃったの……。ライブハウス側の都合で、急にそう言われて……」
「別にどんな日でも俺は」
別にどんな日でも俺は大丈夫、そう言おうとした春樹の口は、寧々の言葉にピタリと止まった。
「違うの!!あの……ネオワイズ彗星の日なの……。春樹、来れないでしょ?」
春樹は答えることができなかった。
寧々のライブは、基本的に夜にある。もし、ネオワイズ彗星の日と同じ日に行われるなら、記録を行う時間と被る。
記録を取る準備は数ヶ月前からしている。今回は、自分もかなり準備に関わったこともあって、休むと皆に大きな迷惑をかける。もしかしたら、記録を取るのが失敗するかもしれない。
「……大丈夫。彗星は、5000年に一度とかでしょ?私のライブよりも、レアじゃん。春樹は彗星を見に行った方がいいよ」
「でも……」
「この話は終わり。私は、解散ライブ、やり切ってくるから、春樹も一緒に頑張ろう」
春樹は何も言えなかった。彼女が春樹がライブに来るのを楽しみにしていたのを知っていたから。彼女が大きなショックを受けているのは明白なのに、何も声を掛けられなかった自分が、今はただ情けなかった。
「解散ライブ、ありがとう!!」
「うん!!私たちも楽しかった!!寧々ちゃんもこれからも頑張って!!」
解散ライブは何事もなく終わった。
急な日程変更があったにも関わらず、沢山の人が集まり、彼女達のバンド活動はエンディングを迎えた。
寧々はライブハウスの裏口のドアを、沢山の荷物を抱えて押した。
春樹とは、あの日から話すことが少なくなった。話すことはあるものの、春樹は毎日研究などで疲れているようで、確かに話す時間は減っていた。
「春樹にもライブ、見てほしかったな」
「見てたよ」
寧々の小さな独り言。それに応えたのは、彼女の恋人だった。
春樹が、目の前にいた。
「なんで……」
「仲間に記録は頼んだ」
「でも……」
帰ろう。そうジェスチャーする。
帰り道、寧々は春樹に疑問を投げつけた。
なぜ、自分のライブに来てくれたのか。本来なら、5000年に一度のネオワイズ彗星の記録に行くべき、そう思っていたのに。
「だって、5000年に一度だよ?今後、2度とないはずなのに」
そんな言葉に春樹は少し笑うと、答えを返した。
「確かに、もう2度とないかもしれない。でも、寧々のライブも一つ一つが一生に一度だ。どっちも一度きりなら、より大切なものを選ぶ、それだけだ」
そんなことを言うと、春樹は顔を赤くした。格好の良いことを言ったつもりだったが、少し恥ずかしく感じる。
そんな気恥ずかしいさを紛らわせようと、彼は寧々の方を向いた。
背にはギターが背負い、手に沢山の花束を抱える彼女の顔は少し赤くなっていた。
秋に近づいてきたからか、少しずつ街は賑やかになってきた。
「その手に抱えてる花、どうしたんだ?」
「これは、記念にってメンバーのみんながくれたの。ラベンダーだよ。花言葉は、『幸せを運ぶ』とか、『沈黙』とか」
「よく知ってるな」
「ふふん!!こういうのは詳しいから」
幸せを運ぶ、か。春樹はその言葉を心の中で何度か繰り返した。
駅についた。電車が来るまで、まだ少しの時間がある。
「今日は、ライブに来てくれてありがと」
寧々の手の中のラベンダーが揺れる。
そんな紫の花が、今は最も明るく見えた。
ネオワイズ 海湖水 @Kaikosui
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