第2話 愛する人のために自己救済。

僕は、真面目である。それ故に、人のために自己救済する。自ら人を認める。否定はしない。インクルーシブする。僕は、自己救済の文学をやろう。


人と話をするとき、僕は、相手の話を聞く。相手の話を引き出す。僕は、話を受ける。気がついたら自分の話をする。それまで話さない。なるべく自分の話はしない。する必要はない。代わりに僕は書く。相手の許可を取って書く。ゆくゆくは、作品にする。みんなのためは、自分のため。それでいい。


ところで、何で、人はそれほどまでに成功したがるのだろう?

謙虚であれ!感謝しろ!優しい人は損する!自慢をするな!自己啓発の教訓!

ファイスブックでは、そんなことばかり言っている。

すべて、自分の成功のためである。

そんなにも自分を縛り付けて、何が面白いのだろうか。

自分の好きに生きればいいではないかな。自由に。

セミナー参加、やりたくないことまでやる。常識に縛られる。人の目を気にしすぎる。いい子ちゃんぶる。

それまでして、みんな成功したがる。我先に名誉を取りたがる。お金持ちになりたがる。

汚らわしい感じがします。

なぜ、人を気にして、好きなことをしないのだろう。人のために、やりたくないことをやるのだろう。人のために、ストレスをためるほどやるのだろう。なぜ、人に尽くして、いい人になりたがるのだろう。自分の点数稼ぎなんかするのだろう。嫌ならやめればいいと思う。僕が、やりたくないことを、やらなくて、人に反感を買っても上等だね。


人のためにならないで、ただのつまらない悪党に成ったら元も子もないけれども。

頑張れる人が頑張ればいいと思います。

それほどまでに成功したければしてもいいと思います。

できない人はできなくてもいいと思います。

自分の人生に責任を持っていればいい。

僕は、普通でいいです。この地方の田舎の県で、一生、過ごします。


僕は、自分の好きで人に奢る。納得して、人に作品を見せる。御返しも、見返りも、感想も、求めていない。自分の気持ちであり、愛だからだ。


お父さんは、まるで、僕の気持ちを読み取り、生き方をまねて、頼り、利用さえして生きる人だった。

天国のお母さんは、僕に、共済遺族年金で送金して、結婚を禁止して、僕に子供を授からないようにした。

別にいいです。そんなにもそうだというのなら構わないです。全面的に、受け入れます。もう、文句を言うこと、否定することや抵抗することは、一切ありません。インクルーシブします。

我が家に後悔は、全くありません。過去の自分にも、後悔はありません。


今まで、文学こそ人生だと思っていた。

しかし、実際には、音楽もあったし、星の会もあったし、仲間とのリラクゼーションもあった。つまり、文学をやるには、文学と、文学以外の何かがあって成り立つものだと分かった。だから、芸術至上主義を唱えた芥川龍之介は、それ以外の事をしなかったから、あのような短命だったのではないだろうか。


自己否定はしない方がいい。『或る阿保の一生』とか、『人間失格』とか、『人間が嫌いです。』とか、自らを苦しめるような文学表現は、令和時代では、よした方がいいと、僕は思います。




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人間の幸福感の割合は同じではないか? トシキ障害者文人 @freeinlife

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