中学生、肛門に風を送る

ぴよぴよ

第1話 中学生、肛門に風を送る

私はトイレが大好きだった。


小学生の頃から、トイレに本を持ち込んで読むのが好きだった。

「おお、これは長期戦になりそうだな」と察すると、急いで漫画本を数冊トイレに持っていった。

漫画本を持ち込めば、そこは天国に早変わりする。トイレは我々の居場所。楽園だ。


トイレと漫画本の組み合わせを続けてきた私に、家族は苦言を呈していた。

母に「そんなにトイレに長く居座ったら痔になるよ」と言われた。

痔がなんだか知らないが、構うものか。トイレでの読書。これ以上の快楽などないのだから。


危険なトイレ生活を続けているうちに、私は中学生になった。

陸上部に所属し、日々練習に励んでいた。後輩も増え、部活は盛り上がっていった。


ある日のこと。

「大変です!」と陸上部の後輩が私たちの元へ駆けつけてきた。

見るからに辛そうな顔をしている。一体、何があったのだろう。泣きそうな後輩に、みんなで駆け寄った。

「お兄ちゃんが痔になって、今日手術するんです。死んだりしませんよね?」

彼女は真剣に、私たちにこう言った。


何かと思えば、痔か・・。

痔と聞いて脱力した。その子のお兄ちゃんと言えば、私とそれなりに仲良くしてくれている生徒だ。あいつ、痔になってしまったのか。


「痔で死んだりなんてしないから、大丈夫」などとみんなで励ました。

非常に失礼だが、痔と聞いてみんな少し笑っていた。


当の本人は大変だが、なってしまうと何となく笑いを誘ってしまう病というのは、一定数存在する。

例えば水虫なんかがそうだ。本人は痒くてしょうがないだろうが、「水虫かぁ・・」と何となく笑えてしまうのは、なぜなのか。


痔だってそうである。言っちゃあ悪いが、肛門なんて笑いの象徴だ。その肛門が切れたのだから、笑い者にしてしまう気持ちもわかる。

尻に関する事柄なんて、幼稚園の頃から笑いのネタになっている。


痔になってしまったものは、何となく笑い者になってしまう。それがなってしまったものの宿命と言えよう。


だが後輩は、真剣に心配している。兄がどれほど辛い状況だったのか、彼女は知っているのだ。何となく笑いながらも、痔の恐ろしさを知った私だった。



そんなある日。痔を他人事として笑っていた私に、天罰が下る日がやってきた。


とある日の午前中。穏やかに数学の授業を受けている時だった。

突然、肛門に違和感が走った。ムズムズするし、何だか痒い気がする。こんな感覚は初めてだ。


私は少し尻を浮かせ、回した。

こうして風車のような原理で、肛門に風を送ろうとしたのだ。むれて痒くなることだってあるし、きっとそういう類の痒みだろう。

風を送られた肛門は、涼やかに冷えていった。

尻の風車の効果は素晴らしく、尻の痒みが徐々におさまってくるのを感じた。


それから私はこの奥義、尻風車を使い続けた。

友達と話している時も、陸上部の練習の時も、暇さえあれば尻を回した。

実にくだらない光景だが、これで痒みが取れるなら安いものだ。


そんな尻風車生活が続けていた、ある日。

そしてこれも授業を受けている最中だった。


強い痛みが肛門に走った。

ちょっと許容できない範囲の痛みだ。そこにあった傷をさらに引き裂かれるような痛みだった。痒いとかそんなレベルではもちろんない。肛門が全力でSOSを出している。

全ての意識が肛門に持っていかれた。


(うおおおお!)

叫びたいのを必死で堪えた。授業中に肛門が痛くて叫ぶなんて、馬鹿馬鹿しいことこの上ない。今すぐ床に崩れ落ちて叫びたいが、そんなことも許されない。


英語の時間。先生の綺麗な発音が教室には響き、もちろん私の肛門にも響いた。

国語の時間。漢字を書くたびに、肛門に痛みが走る。

体育の時間なんて地獄だった。肛門を庇いながら走り、痛みに耐えながら球技をした。


多分この時、一生分肛門のことばかり考えていただろう。


こんなに痛いのに、誰にも相談できない。肛門が痛いなんて訴えれば、世間の笑い者だ。この症状は痔で間違いないだろう。後輩の兄を笑うんじゃなかった。

人の肛門を笑う者は、自分の肛門で泣くのだ。


尻風車はもはや効かなかった。そんな雑魚奥義で、この痛みが取れるのなら、私は喜んで尻を回し続けただろう。もうそんなお話で済む話ではなかった。


休み時間になり、私はくるくると回転しながら足を高く上げた。

脳内にバレリーナの踊りが浮かぶ。あれは確か、白鳥の湖とかいう作品だったはずだ。

壮大な音楽を脳内のBGMにしながら、足を上げ続ける。

肛門を縮めたり、広げたり、大忙しだった。


ああ、肛門よ。頼むからこれ以上割れないでくれ。尻はもう既に割れているのだ。これ以上割ろうとしてどうするつもりだ。


スクワットも行った。何とか肛門に新たな風を吹かせなくては。

奥義を大量に開発し、肛門を労うために努力を重ねた。


私が急にバレエの練習を始めたので、「どうした、こうした」と友人に心配された。

私は「バレエの練習がしたくなったんだ」などと適当なことを言って誤魔化した。

肛門が痛くて踊っているなんて知れたら、世界中の笑い者だ。


椅子には座れなったので、空気椅子をした。

尻を回し、踊りだし、足は高くあげる。あまりにもメチャクチャな状況だ。


私だけがこんなに辛い。同級生たちは肛門のことなど、考えずに過ごすのだろう。



やっと下校の時間になり、私は踊りながら母の運転する車に乗った。

母は私の様子がおかしいことに気づいたが、あまり気にしていないようだった。

まあ私はいつも調子がおかしいので、母が気にしないのも無理はない。


だが、肛門の危機である。

ここで母に言わなくてはならない。一人で暴れている場合ではないのだ。

オナラ一つで悶絶し、排泄もろくにできない体にされてしまったのだ。

あまりにもバカだが、伝えなくては。


家に着いた後、ようやく私は「肛門が痛くて死にそう!」と叫んだ。

母は驚き「痔になったの!?なんと情けない!」と騒いだ。

情けないのなんて、私が一番わかっている。

それにこれは病気だから仕方ないのだ。私だって好きで肛門を引き裂いたわけではない。

尻を回しながらのたうち回る私を見て、母は頭を抱えていた。

そして「もう二度とトイレで漫画を読まないように」と言ってきた。


当たり前だ。誰が漫画を読むものか。もう二度としない。

こんなに痛くなるなんて知らなかった。痔がこんなに恐ろしい病だとは。



次の日。私は病院に連れていかれた。肛門科である。

待合室で待っている間、いろんな人たちがいた。みんな私と同じように肛門に悩める人々なのだろう。そう思うとみんな仲間だと思えた。


何と情けないことだろう。肛門が切れて病院に連れていかれるなんて。

病院の待合室でも踊りたかったが、それはやめた。

じっと座って肛門の痛みに耐えた。


やがて順番が回ってきた。でてきた医者は、人が良さそうな好々爺であった。

今からこのお爺さんに、肛門が痛い話をしないといけない。

暗い気持ちになったが、落ち込んでいる場合ではない。

私はお爺さんに、いかに肛門が痛いか語り聞かせた。


先生は「それは辛かったでしょう」とたいへんに共感してくれた。そして私に横になるように告げた。


ここから肛門の触診が始まるのか。私に緊張が走る。


「はい、お尻を向けてください」と看護師の人に言われた。

なんてことだ。こんなに人がいるところで、尻を向けて横にならないといけないなんて。

淫乱じゃあるまいし、なぜそんなことをしなくてはならないのか。

拒否して逃げたかったが、それだと痛いままである。


あっという間に肛門があらわになった。

人に一番恥ずかしいところを見られている。羞恥でブルブル震えがくるほどだ。


肛門に何か入れられた。確か薬だったと思う。

肛門のこと、ずっと出口だと思っていたのに。逆に入ることだってあるんだ。

肛門に異物が侵入する感覚は、何とも言えないものだった。

何というか、違和感がすごい。

世の中には肛門で遊ぶ人がいるようだが、そんなの考えられない。


そして「はい撮影しますね」と写真を撮る音が聞こえた。

「肛門を撮影!?」とたいへん驚いたが、さっき説明があったらしい。患部を撮影して、後でどうなってるか、見せるためにやっているということだった。

痛みとショックで全然聞いてなかった。


他人に肛門を見せ、異物を入れられ、撮影までされた。

逆に金が取れるんじゃないか、とバカなことを考えてしまう。


全て終わった後、お爺さん先生に写真を見せられた。

ビシッと傷が入っている。「これは切れ痔ですね」と説明された。

こんな生々しい傷が、肛門に入っていたなんて。これは痛いわけだ。


「この薬を毎日肛門に入れてください」

その後坐薬を渡された。あの違和感を自宅でももう一度、というやつだ。


家でも肛門と触れ合わないといけないなんて。

肛門ってやつは、存在を感じないくらいでちょうど良いのだ。存在を感じないけれど、確かにそこにいる。そういうやつなのだ、肛門は。


それなのに、毎日挨拶しないといけないなんて。そんなことしたくない。

母からは「医者の言うとおりにしなさい」と怒られた。


家に帰って、早速肛門に薬を入れた。

予想通りの異物感と、気持ちの悪い感覚が全身を伝ってくる。尻に刺激が走っただけで、こんなに気持ち悪いとは。人間の弱点は案外肛門なのかも知れない。


肛門に関係する病気になるのは、もうごめんだ。


しばらく肛門は痛いままで、私は尻風車を繰り広げていた。いつになったら、肛門は私を許してくれるのだろう。

学校に行っても、何をしても肛門のことばかり頭に浮かんだ。

どこへ行っても、私は肛門に爆弾を抱えたまま生活しなくてはいけない。


オナラなんてしようものなら、尻で爆発が起きたかと思うほどの衝撃が走った。

肛門が炸裂するかと思うほどの威力だ。この時は肛門を押さえながら、ぴょんぴょん跳ねたものである。


排泄なんてもっと辛かった。切れた肛門から排泄物が出てくるのだ。

その痛みと苦しみは、言葉で表現できないほどである。

少しずつ肛門の機嫌を見ながら、ゆっくりと排泄を行う。

「もうだめです!」と肛門に言われ、ビシッと切れてしまうことが何度かあった。

決壊してしまうと、おしまいだ。痛みにのたうち回っていると、肛門から血が流れ出した。

こうして痔になっている間は難産を繰り返したものである。


トイレに篭ったりなんてしてたから、バチが当たったのだ。

肛門も怒っているのだろう。今まで散々負荷をかけたのだから。

しばらくは足を上げたり、暴れたり、肛門に風を送り続ける生活になった。



痔になったことなど、周りの友達にはとてもじゃないが言えなかった。

しかし、後輩の兄は別だった。

「お前も痔になったの?私も何だけど」と彼に言うと、

「じゃあ仲間だ」と言われた。

彼とは肛門同盟を結び、痔の話を気兼ねなくできる仲となった。



しばらくして、肛門の炎は消え去った。やっと私は解放されたのだ。

痔に完全勝利とまではいかないが、トイレで苦しむことも、肛門に風を送ることも無くなった。まだ油断できない状況だが、痔が治ったと言っても良いだろう。


散々酷い目に遭ったのに、私は懲りなかった。

あんなに苦しんだことも忘れて、今度はトイレにスマホを持って行くようになった。

難産を繰り返したトイレは、再び楽園になった。


どうしてトイレはこんなに居心地が良いのだろう。

排泄の快感と合わせて、好きなことができるのだ。やはりトイレ、居座らずにはいられない。

母からは「あんた、あんなに痔で苦しんだのに、まだトイレに篭るつもり?!」と怒られたが、知らない。

私のトイレ愛は止まることを知らなかった。


皆さんが痔になったら、ぜひすぐにでも病院に行ってほしい。

暴れても踊っても、病状が回復することはないと言っておこう。

病院からもらった薬を毎日尻に入れ続けなくては、この病気は治らない。

情けないとか、恥ずかしいとか言っている場合ではない。


自分の体を大切にしてほしい。


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