歩道橋の少女
この日は店のイベントで、同系列の他店舗との合同営業の日だった。二部制になっており、俺は一部の時間帯での営業だったので、いつもより早く終わった。
アフターはなかったが、営業終わりに女と合流する約束をしていたので、コンビニで買い物をしてから待ち合わせ場所向かうことにした。
コンビニを出ると、これから渡る歩道橋の上で、虚ろな目をして道路を眺めている少女が目に止まった。
「なあ、ライター持ってる?」
俺が声をかけると、少女はこちらに目を向けず、前を見たまま言った。
「ナンパ?」
「俺、ガキに興味ない」
俺が答えると、少女はやっとこちらを見た。
「ふーん」
まだあどけなさの残る顔立ちにそぐわず、両耳にシルバーのピアスが大量についている。
オレンジのティントを塗った、ぽってりとした唇にも一つ、ピアスが光っている。ピンクの髪に、白い肌。猫耳の形をした、白と黒のボーダーのニット帽が、彼女の雰囲気にとてもよく合っていた。
「はい、ライター」
少女は近くのラブホテルの名前が書かれたライターをポケットから取り出し、手渡してきた。
「さんきゅー」
俺はタバコに火をつけると、欄干に背を預け、手すりに両肘をかけた。
ライターを返そうとすると、少女はそれを手で軽く押し返した。
「いい。あげる」
俺は煙草の箱を振って一本飛び出させると、箱ごと少女へ差し出した。
「吸う?」
「いらない」
「あそ」
俺はポケットに煙草をしまった。
「てか、"ガキ"にタバコ勧めるんだ」
少女は淡々と言った。
「はは。そっか」
「"未成年はタバコ吸っちゃダメ"って言うよ、普通の大人は」
「ミセイネンガタバコスッチャダメダヨー」
心にもないことを、俺はあからさまな棒読みで言った。
「あんたって、変なやつだね」
「そう。俺は変なやつ」
ふいに風が2人の間を通り抜ける。
「こっからさあ、落ちたら」
少女は身を乗り出し、車の行き交う橋の下を覗いて言った。
「うん」
「死ぬと思う?」
そう問われた俺は、下を眺め、数秒考える。
「……確実ではねえな。運良きゃ死ねるだろうけど」
俺はそう答えると、煙を上に向かって吐いた。少女はきょとんと俺を見つめた後、ふっと笑った。
「変なの。普通、運が良いのは、助かる方なんじゃないの?」
その笑顔は、幼くて、無垢で、俺は思わず視線を外した。
「せっかく飛び降りたのに助かるなんて最悪な罰ゲームだろ。怪我した挙句に、下の車に迷惑かけて、その辺にいたやつに動画拡散されて炎上するおまけ付き」
俺が言うと、少女はクスクス笑う。
「確かにそれは罰ゲーム」
「死に方と死に場所は慎重に選ばんとなー」
俺が煙を吐きながらそう言うと、少女は再び歩道橋の下に視線を移した。
「……お兄さん、ホスト?」
「そーだよん」
「人気あるでしょ」
「まーね。万年2番手だけどな」
「へえ。1番になれないんだ」
「不動のNo. 1がいるわけよ」
俺はそう言って、ジャケットの内ポケットに手を入れ、ブルガリの黒いカードケースを取り出した。
「ほい。ご指名お待ちしておりまーす」
名刺を渡すと、少女はそれをじっと見つめた。
「"ガキ"は門前払いされるだけだよ。もし3年経ってもNo.2してたら、行ってあげる」
どうやら、ガキと言ったことを根に持っているようだ。
「ほー。そりゃありがてえな」
煙を吐き出し、携帯灰皿に煙草を押し付ける。
「ライター、どーも」
俺はそう言って、コンビニの袋から箱を取り出し、少女に渡した。
「じゃ」
多分、あの子は俺と同じだろう。
捨てたいものと、捨てきれないものがせめぎ合って、今日もまた、死に切れない。
死を迎えるまでの人生なんて、惰性でしかないのに、絶望の中で、それでも何かを渇望しては、また絶望する。
少女と別れたあと、俺は女と合流した。
高層ホテルの最上階、静まり返った室内にシャワーの音が響く。
カーテンの隙間から滲む街の光を、俺はぼんやりと眺めていた。
ガラス越しに広がる夜景は、まるで無数の命を装った残骸のようだった。煌めくネオン、車の尾灯ーー街は光に溢れているのに、どこにも温度がない。鉄の塔が夜空に突き刺さり、窓のひとつひとつが誰かの生を模した幻のように瞬いている。
この街の明かりは、ただ、闇を忘れさせるために必死で灯っている。
ワインを口に含んだ時、後方からガサガサと音がした。窓に、バスローブ姿の女が映っている。
「あ、私の好きなチョコあんじゃーん」
先程のコンビニの袋を覗き、その女は言った。
ーーえ?
俺は振り向く。
「アルト気が効くぅ」
女が嬉しそうに袋からチョコレートの箱を取り出したのを見て、俺は苦笑した。
さっき少女に渡したはずのチョコレートが残っているということはーー
「やべ、俺酔ってるわ」
「えー酔って勃たないから出来ないってことー?」
「いや。それは余裕」
俺はそう言うと、女を抱き寄せ、キスをした。
「お前ゴムある?」
「あたしいつもアフターピル飲んでるから、付けなくても大丈夫だよ?」
「ダメ。ないならしない」
そんな言葉を信用できるわけがない。
「もー。コンビニ行ったんなら買ってきてよね。待って、多分財布にあるから」
ないならしないなんて嘘だ。面倒くさいのはごめんだから、あるならしておきたいだけだ。俺はどんな事があっても、毎夜必ず誰かを抱く。ないくらいで、やめたりなんかしない。
性欲を満たすとか、抜きたいとか、そんな事はどうでもいい。
亡霊を塗り潰す儀式。
俺はただ、心静かに眠りたいだけだ。
死に損ないたちの岸辺 @popotiro
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