母の亡霊

 俺は、それを肉の塊としか思わない。

 ベッドの軋む音と、荒い呼吸が響くシティホテルのスイートルーム。


 動きに合わせて、レイナが甲高く鳴いているのを、俺は見下ろしていた。


 男どもの中には、度々女を神々しい何かのように語る連中がいるが、俺がそんな風に思うことなど、この先一生ないと確信していた。


 恍惚に歪んだ表情、俺の名を縋るように呼ぶ声、だらしなく絡みついてくる脚。


 思い返せばひどく滑稽で笑える。


 でも、行為に没頭している時だけは、その醜く揺れる乳も、頬を撫でる鬱陶しい指先も、全て許すことができる。

思考を捨てた獣になれるのだ。

そっちの方がよっぽど幸福だと知っている。


 舌でなぞれば跳ね上がり、ドクドクと溢れ出るリビドーの蜜——それは何よりも正直で、俺に忠実だった。


 女達の偽りの鎧を脱がすには、言葉なんてものは何の役にも立たないと知っている。


 彼女達は、画面の中で必死に飾り繕った己の虚像を、いつの間にか本当だと思い込み、それにすがりつくことでしか、安心できなくなっている。鏡の前で自分を確かめる事なく、加えた演出の中でしか、存在を確かめられない哀れな生き物だ。明日には忘れ去られるような、どうでもいい日常を、必死に飾り、顕示する。


 綺麗な部分だけ切り取られた、かりそめの世界で生きる彼女達は、やがて他者の世界と比べ出し、卑下し、羨み、優位に立とうと躍起になったりする。

 ありのままでは何も出来ないのに。


 それでも足りなくて、やっと満足する頃には、やつらは原型などとどめていない。俺は、そんな女たちを心の底から軽蔑していた。


 でも、誰かを抱くたびに、俺も同じように腐っていくのを感じていた。


 同族嫌悪——俺も結局は偽りの虚像にすぎない。

反吐が出る。


 俺に抱かれている時、どんな綺麗に飾られた女も、化けの皮が剥がれるのは一瞬だった。


 姑息に自らを演出する余裕などなくなるくらい、叫び、溺れ、剥き出しの欲をぶつけてくる。


 俺はいつもそれを体感するのがたまらなく心地よかった。


 このくだらない世界で、この瞬間だけが、真実なのだ。


 浮かんでは消える母の冷たい手の感覚、虚ろな目、父の名を呼ぶ、か細く震えた声——その母の亡霊を、俺は毎晩必死で塗り潰す。


 セックスに苦しめられて生きてきた俺はまた、セックスでしか生きられない。


 だが、それが愚かだとは思わない。


 生きている事自体が愚かなのだから。

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