死に損ないたちの岸辺

@popotiro

雨の夜

 華やかで物悲しい都会の灯りが、濡れたアスファルトを照らしている。

 雨音は雑踏に紛れ、誰の足音もすぐにかき消される。


 誰かが煙草の煙に身を隠した時、また誰かは夜明けを祈っている。

 星の見えない空を憂う者もいれば、その星はいつも同じ場所にあると知っている者もいる。


 名前も顔もすぐに流れていくこの街では、

|生(はじまり)もおわりも、ただそこに漂い、特別なことではない。


 それは救いで、絶望だ。


* * *


 朝から降ったり止んだり。どうにもはっきりしない天気だ。雨は嫌いじゃないが、客足が遠のくので困る。


 飲み屋の看板が名を連ねるビルの2階。CLUB EDENの店内では、アップテンポのユーロビートが流れている。


 煌びやかな内装と、色とりどりの間接照明で演出されたフロアに、現実世界から逃避してきた女達が、一人、また一人と引き寄せられてくる。


「アルト、今日、オーラスでアフターね」


 卓につくなり、レイナが言った。

 彼女は同業で俺の太客だ。業界大手グループ店舗のNo.1嬢だ。今日はオープンからクローズまで、ここにいるつもりらしい。


「お前、今日仕事は?」


 レイナの完璧なヘアセットと、華やかな装いを見て、俺は尋ねた。


「私の圧倒的エース、ナンバー2にとられた。ムカつくから今日はアルトと飲むことにした!」


 彼女は荒々しくソファにピンクのバーキンを置くと、ドカッと腰掛けた。


「それはしんどいな。いいよ、付き合う」


 俺はそう言うと、レイナの肩に手を回す。


「嫌な事、全部忘れさせてやる」


 耳打ちすると、俺を見上げたレイナの表情は、うっとりと解(ほど)けていった。


「ヴーヴでタワー組んで。てっぺんアルマンドで」


 レイナは、シャンパンタワーの土台にヴーヴ・クリコ、最上段にアルマンド・ゴールドを指定した。


ーー潰れる気らしい。


「了解。今日はとことん飲もうな」


 そう言うと、俺はレイナのこめかみあたりにキスをし、手を挙げた。


 黒服が、卓の前で膝をつく。


「予約ないけどヴーヴでタワーいける?てっぺんアルマンド」


 俺が言うと、黒服は考えるような表情でぴっと唇を噛み、スマホを取り出してタワー用グラスの数を計算する。


「ありがとうございます。準備に少しお時間頂きます」


 黒服はレイナに向かってそう言うと、頭を下げた。


「よろしくー」


 裏に下がっていく黒服に、レイナはひらひらと手を振った。


 スタッフが一斉に動き出した。


 タワー用のテーブルに積まれた透明のグラスが、照明の下で一つのガラス細工みたいに光を集めていく。


 しばらくするとシャンパンタワー用のBGMが流れ、照明が落ちる。レーザーライトやスポットライトで店内の雰囲気がガラリと変わった。


 卓を一斉にキャストがとり囲み、店オリジナルのシャンパンコールで、俺の名前を呼び、レイナを姫と称し盛り上げる。


 店内での注目を一斉に浴びて、レイナはコールに合いの手を入れてはしゃぎ、写真や動画をたくさん撮っていた。


 積み上げられたグラスでに次々に注がれていくシャンパン。コールもヒートアップしていく。


 自分が指名していた担当ホストが、俺とレイナの卓を盛り上げているのを、置いていかれた別卓の女達がツンとした表情で横目に見ている。


 上段にシャンパンを注ぐキャストの手には、アルマンドの金ボトルが輝いている。

 お祭り騒ぎの店内で、もちろん俺もはしゃいで見せる。


「レイナ、愛してるよ」


 心にもないことを、向けられたマイクに向かって話すのも、もう慣れた。


 シャンパンコールを聴きながら、俺はいつも、この時間が早く過ぎればいいのにと思う。隣にいる女の愚かさが浮き彫りになるのを、1番近くで眺めなければいけない。

 この上なく、苦痛な時間だった。


「アルト、アフター、前と同じ場所ね?」


 すっかり上機嫌になったレイナが、俺に寄りかかり、甘えるような声で囁いた。

 俺は笑顔で頷き、隣に座るレイナの腰に手を回す。


 胃液が上がってくるのを必死で堪えなければならなかったのは、たらふく飲んだシャンパンのせいではない。


 女特有の、この媚びた上目遣いと、猫撫で声のせいだ。

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