就寝中はお静かに
天ノ恵
第1話
これは私が物心ついてから初めて体験した心霊の話である。
当時私たち家族が住んでいたのは某C県S市の団地に佇む集合住宅の一室であった。そこは都心にも電車一本で行ける利便性の高い場所であり、近くに幼稚園や保育園、小学校、塾や習い事などの施設も充実していたことから、私たちのような小さい子供を抱える家族が多く住んでいる地域であった。家の間取りは2LDKで、一部屋は私と妹が遊ぶ玩具や両親の本・PC等が置いてある雑多な部屋、もう一部屋が寝室で、夜になるとそこに布団を敷き、家族四人で川の字になって寝ていた。この寝室というのが共用廊下に面しており、窓を開けると廊下側から部屋の中が見えてしまうので、防犯上の理由から、就寝時には余程暑い場合を除いて鍵を閉めた上でカーテンまで閉めてしまうのが常であった。
或る晩のことである。いつものように幼稚園で一日を過ごし、お迎えの後も自宅近くの公園で友達とドッジボールに興じていた私は、すっかり疲れてしまい21時になる頃には寝室で眠りについた。
丑三つ時をまわったころであろうか、自分の寝返りの音で目が覚めた。眠りが浅かったのだろう。寝返りを打った時、体と一緒に回った腕が布団に当たった音が存外大きく、それで目を覚ましてしまったらしい。ぼんやりと薄目を開け、寝ぼけ眼で両側に寝ている両親と妹を確認していると、
「カラカラカラ」
「シー」
「カラカラカラ」
という音が窓の方から聞こえてきた。窓の方に顔を向けるが、カーテンが閉まっているだけである。音の感じから察するに、共用廊下に立っている誰かが窓を開け、カーテン越しに人差し指を唇に当て、また窓を閉めたらしい。
さっきの寝返りの時の音が余程うるさかったのだろうか?寝起きで回らない頭でそんなことを考えながら、もう一度布団を思い切り叩いてみた。
「カラカラカラ」
「シー」
また同じ音が聞こえてくる。まただ。やはり誰か共用廊下にいる。しかしおかしいのだ。窓は毎晩鍵を閉めている筈だし、そもそも外から開けることができないように、鉄格子が嵌っているのだ。共用廊下にいる人間が窓を開けることは物理的に不可能なはずだ。
ようやく異常に気づいた私は、全身の血の気が引き、横に眠っている父の毛布の中に潜り込んでガタガタ震えていた。
どれくらい経っただろうか。暫くして体の震えも止まったころ、私は父の毛布からモゾモゾと這い出て起き上がり、周囲を確認した。家族の寝息が微かに聞こえてくるだけである。すっかり安堵した私は、「バタン」と大きな音を立てて布団に倒れこんだ。
「シーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
また誰かが人差し指を唇に当てる音が聞こえてきた。
「シーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
音は途切れず続く。
「シーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
それは窓の方だけでなく、四方から聞こえてくる。
「シーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」
毛布を頭から被り、耳を塞ぐが音は大きくなる一方で、ぎゅっと目を瞑りながら堪らず「ごめんなさい」と小さく呟くと、耳元で
「寝かせて」
と言う女の声が聞こえると同時に、ぴたりと音が止んだ。
後になって近所のおばあさんに聞いた話だが、あの家には元々赤ん坊を抱えたシングルマザーが住んでいたらしい。近所の付き合いもしない人で、一人で子供の世話をしていたが、ある日赤ん坊の泣き声がいつまで経っても止まらないことを不審に思った隣人が警察を呼ぶと、赤ん坊の横で首を吊って死んでいたらしい。足元に落ちていた遺書には、「もう疲れた、寝たい」と書いてあったそうだ。
私はその後小学校の時に父の転勤で引っ越し、それから後のことは何も知らない。彼女は今でも、眠れずに苦しんでいるのだろうか。
就寝中はお静かに 天ノ恵 @m_amano
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