紅花とあざみ 〜吉原に隠された真実〜

@sakurin18

第1話 吉原一

思わず、紅花は飛び起きた。

見慣れぬ天井が目に入り、心臓が一瞬、迷子になったように跳ねた。

夢か現か、判別できるようになった今、ようやくここがどこか思い出す。

新しい畳の香りが鼻をくすぐる。藺草の青々しい匂いは、まだ誰も踏みしめていない証。

布団も、昨日までの夜とは少し違った。麻のさらりとした肌触りが、ふわりと体を抱く。

ここは新しい揚屋——とはいえ、紅花の役目は変わらない。

吉原一の花魁として、客を迎え、酔わせ、心を掌に乗せる。

それでも、この清潔で新しい空間の中では、感覚の一つひとつがやけに鮮明で、体も心も、微かに緊張を覚えている。


眠りの隙間から、夢の断片がゆっくりと戻ってくる。

懐かしい母の声――

ーー「花はね、咲いている時よりも散る方が美しいの」

母は、散ることを望んでいたのだろうか。

本当に、自分からその道を選んだのだろうか。

胸の奥に沈む苦さに区切りをつけるように、紅花は煙管をくゆらせた。

だが今日は、煙管さえも腕にずしりと重く、身体を包む。


「ふぅ…」

花魁の溜め息が、柔らかく寝室に落ちる。その音に、客の眠りが途切れた。

「あゝ…紅花」

「あい。 松吉様。」

紅花はそっと布団の縁に腰を下ろし、指先で髪を整える。その仕草ひとつひとつに、長年の磨き抜かれた所作の余裕が感じられる。

目線は穏やかでありながらも、松吉を逃さぬ鋭さを秘め、視線が触れるだけで心を揺さぶる。

声は絹のように滑らかで、空気をも包み込む品格を帯びていた。

その一声で、緊張と安堵が入り混じった微かな震えが、松吉の体を静かに貫く。

紅花の存在そのものが、この新しい部屋の空気を支配していた。


慣れた手つきで、彼女は客の首筋に唇を這わせた。

「んんっ──」

その小さな声が、空気を震わせると同時に、何両もの金が手元に落ちたように感じられた。

「ああ、やっぱり吉原一やなぁ、紅花は」

客の言葉に、彼女は静かに、しかし確かに微笑んで答えた。

「ありがとうございりんす」

その一言には、誇りも、耐えてきた日々の積み重ねも、すべてが含まれていた。


新しい畳の香りも、柔らかな朝の光も、すべて彼女の周りで優しく溶けていくようだった。

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