死を願った君へ

名無しの子

1

「『死』ってのは救いなんだよ」

 君はいつにも増して冷淡な口調で言った。ここ最近君があまり笑わなくなったのを気づいてはいたがまさかここまでとは思っていなかった。

「だからさ、私が死んでも文句言わないでね」

 嘘の笑顔で本当のことを言うのをやめてくれ。

「君なら嘘ってわかっているのかな。この染みついてしまった嘘の笑顔も。これのせいで何が本当かわかんなくなっちゃった」

 そうだよ。俺ならわかる。この世で一番君と言う人間を理解している自信がある。

「でも、君は『さいご』まで私に騙されてたことが一つあるんだよ。ーーそれは」

 少しの沈黙の後、彼女は言う。「やっぱいいや。まだいいや知らなくて」

 おーい、それ一番気になるやつじゃないか。

「あ、もう逝かないと。じゃあね、私の大好きな人。いや、愛していた人。ーー私は死にたくて死ぬだけだから気にしないでね」

 あの時実際に見てしまった彼女の死体が足元に転がっている。目は虚ろで悲しそうな苦しそうな幸せそうな顔をしている。そんな彼女を見て俺は呟いた。



「本当は生きたかったくせに」



 目を開ける。最悪の目覚めだ。今年一と言っても過言ではない。

 彼女が自殺してから約一年が経った。彼女がいなくなったって世界は進んでいくし、彼女がいなくなったって何も変わらない日常はある。世間は、家族は友人は彼女の未練から抜け出したように見えた。俺はまだ彼女の未練から抜け出せていない。

 現にこうやって彼女の夢を見続けている。夢の内容は毎回少し違う。幸せな夢もあれば、過去にあったことの夢、さっき見たような彼女が死んでしまう地獄のような夢。どうしてもあの死体を忘れることができない。どうやっても思い出す。授業を受けていても部活をしていても課題をしていても友人とゲームをしていても何をどうやっても付き纏ってくる。「これは一種の呪いだ」なんて思ったこともあったが彼女がそんなことをするなんて考えられなかった。

 彼女のことが脳内にちらついて強い吐き気がしてトイレに駆け込んだ。過呼吸になりながら体内から上がってきたものを吐き出す。ここ最近、彼女のことを思い出すとたまに吐き気がするようになった。原因は不明だが彼女が関係していることだけ理解できる。

 今日の夢はあの死体と遺書の内容だった。俺宛の遺書。彼女の家族から貰ったもの。あれを読んだ時俺はひどく後悔をした。もっと彼女にしてやれたかもしれない。彼女の死を願う思考を止めれたらなんとかなったかもしれない。ーーでも俺がそんなことを考えるのがわかっていたのか、彼女の遺書には「どんなに悔やんだって過去は変えられないから」と書かれていた。それをどう言う意味で書いたかは知らない。それでも俺は後悔をしていた。

 リビングに行き朝食を少し食べ、身支度をし学校に向かう。それが俺の日課だ。

「行ってきます」そう言うと必ず家族が「行ってらっしゃい」と返事をしてくれた。

 玄関を出て通学路についた。彼女のいなくなった日常は他の人たちがやけに眩しく見えた。家族も彼女の家族もクラスメイトも友達も彼女の友達も近所の人もテレビの中の人も全員が光っていた。その辺の雑草ですら輝いて見える。

「終わってんな」そう呟く。

 口から零れた言葉はわかっていてもどこか自覚していない。俺はきっとこの先もーー。

「おはようっ!何しけたツラしてんだよ」友人の里山孝一が声をかけてきた。

「ああうん、おはよう」

 俺の声色や表情から察したのか彼は静かに言った。「また玲央の夢でも見たのか」

 黙ったまま頷く。孝一は少し黙った後、言いにくそうに言った。

「そう、か。ーー梨花も玲央がいなくなってから表情が暗いんだ。俺だって寂しいし」

「寂しいなんかで片付けんなよ!!そんなので俺と一緒にするなよ!!」カバンから手を離し友人の胸ぐらを掴む。彼の驚いた表情を見て我にかえった。

「ーーっごめん、急に怒鳴って」

「いいよ、大丈夫。俺もごめん。ーーほら行くぞあまり遅いと遅刻する」

 梨花は孝一の一つ年下の妹だ。一人っ子だった彼女は梨花を妹のように可愛がっていた。同時に姉のいない梨花は彼女を姉のように慕っていた。

 俺たちは家が近いこともあってか昔はいや、中学ぐらいまでよく一緒に遊んだ。高校になってからはそれぞれが忙しくなってしまい遊ぶことは減ってしまった。会話すらもあまりしなかった。だから彼女が死んだ理由がわからない。なんで君は死んだんだよ。本当は生きたくて仕方がなかったくせに。

 学校に着くまで会話は一切なかった。



 彼女がいたはずの教室に入る。いなくなった彼女の席は半年経っても空席のまま残っている。でもこの教室内の誰もが彼女を忘れている気がして妙にむしゃくしゃした。その席の前に座る。ここが俺の席だ。何回か席替えをして今はここになった。あの時は隣にいたのに。クラスメイトの声が徐々に増えていく。チャイムがなり担任からの連絡の後、授業が始まる。空いた窓から夏の湿った風と嫌なほど綺麗な青空に綺麗な形の入道雲が浮かんでいるのがわかる。君はこの空が好きだったな。暑いのは苦手なくせに入道雲が好きだからって夏が好きって言い張ってた。懐かしいなぁ。

「俺は夏が好きになれそうにないや」小声で言う。

「あ、綾が笑った」

「いやいや嘘だって。あいつが笑わなくなったの知ってるだろ?」

「本当だって」

「いやいや、だってこどーー。やっぱなんでもない」

「ああ、そうか」

 後ろの方から小声で話すクラスメイトの会話が聞こえる。俺、笑ってたんだ。無自覚だったから気づかなかった。そう思ったと同時に彼女のことがチラついて強い吐き気がした。慌てて口元を抑える。耐えろ。せめて授業中は耐えろ。喉の先まで出てくるものを無理やり飲み込んでなんとか抑えれた。危なかったと思ったのも束の間、視界が徐々に暗くなり周りの音が途切れた。



 目を開けるとそこは保健室で先生には貧血かもしれないからしばらく休めと言われた。貧血で倒れるなんて初めてだ。

 まだ朦朧としている頭を重力に任せつつ目を瞑る。目を瞑ったところで思い出すのは今日の夢のことか彼女のことだけだ。

 大きくため息をつく。何を考えていても彼女に繋がっていく。けたたましく鳴く蝉の声、綺麗で大好きだと言っていた夏空、心地いい冷気、怪我した時に連れていった保健室、思い出が詰まった学校、最後にいた病院のベッド。その全てが彼女との思い出で、方時も忘れたくないものだ。

 しばらくぼーっとしているとベッド横のカーテンが開いて先生が顔を出した。

「どう?気分はだいぶ良くなった?」

「はい、だいぶよくなりました。ありがとうございます」

「いいえ。教室戻る?」

「はい、友人にも心配かけちゃうので」

 部屋を出るタイミングでお礼を言いお辞儀をして戻ろうとすると先生に言われた。

「綾くん、悩み事があったらここに来てね。相談に乗るくらいならできるから」

「わかりました。ありがとうございます」

 授業の合間だと言うのに足音や声がまるで聞こえない。聞こえるのは中庭の木で鳴く蝉の声だけだ。空を見上げる。さっき教室から見た時と同じぐらい綺麗だ。

「俺も死んだら君にーー」そう口からこぼれハッとする。

 いやいや、俺は死にたくない。生きていたい。彼女の分もちゃんと。ーー君もちゃんと言えなかっただけでそう思ってただろうから。

 教室に戻るとクラスメイトが心配して声をかけてくれた。君はきっと怒っただろうな。心配して怒ったんだろうな。そんなことが脳裏に浮かんだ。

 そのままいつも通り一日が終わり孝一と共に帰路につく。今日倒れたことを案の定問い詰められた。とりあえずはぐらかしといたがバレるのもきっと時間の問題だ。

 家に帰り自室に向かい部屋着に着替える。そして課題と今日の復習を始める。これだけは小学生の頃から習慣になっている。ふと4人で誰かの家に集まって宿題をやっていた頃を思い出した。あの頃は楽しかった。俺も孝一も梨花も君もいて、わからない問題を聞き合って教え合っていた。みんな得意不得意がバラバラだったからお互いに教え合えた。終わったら必ず公園に行って駆け回っていた。そういえばあの時、俺と孝一が揉めて君と梨花が止めてれたんだっけな。

 毎日のように懐古する。彼女がいなくなってから毎日だ。なんでみんな俺みたいになっていないのだろう。会いたい。もう一度彼女に会いたい。話がしたい。姿が見たい。ーーなんて願ったって彼女はもういない。ワークやノート、教科書を閉じ机の中にしまう。スマホから着信音が鳴った。孝一からの連絡みたいだ。それでもなぜか見る気になれなくてスマホの電源を落とした。

 ベッドに横になり天井を見つめる。静かな部屋に自分のため息が響いた。なんで彼女は死んだのだろうか。自分だけが死因を知らない気がしてなぜか焦燥感が駆り立てられた。もう一度あっても彼女はそれを教えてくれるだろうか。なんて疑問が尽きなかった。彼女の分まで生きようなんて思ってはいるものの、どうしても自分もそっちに行けば会えるんじゃないかという淡い期待が無くならない。

 夜になり、あまり喉を通らなくなった夕飯を食べ寝支度を済ませベッドに入った。暗く静かな部屋に時計の音だけが響いている。家族はみんな寝たらしい。明日も学校があるというのになかなか寝付けない。寝るのが少し怖かった。また、今日みたいな夢を見るんじゃないかと思うとどうしても寝れなかった。そんなことを思ってもきっといずれ睡魔が来て自然と眠るのだろう。



 蝉の声が聞こえる。見覚えしかない道を歩いていつもの場所に向かう。さっきまで夕焼けで色が変わり始めている空を眺めていた彼女は俺を見つけると不機嫌そうに言った。

「あっ来た。もー!遅いってどれだけ人を待たせればいいわけ?」

 ごめんって。ちょっと山本に引き止められちゃってさ。

「そういえば一緒のクラスだったね。孝一は?」

 孝一はクラス違うし部活も違うから先に帰ってもらった。

「そっか。運動部って大変そうだなー」

 別に大変でもないけどな。まあ運動音痴のお前からしたら大変か。

「ちょい!微妙に悪口なんだけど!?」彼女は俺を軽く叩きながら言う。

 ごめんって、たまたまそうなっただけだって。

「もー私が運動できないの気にしてるの知ってるくせに」

 はいはいごめんって。お前は?写真部。どう?

 聞いた瞬間、彼女の表情が一瞬曇ったような気がした。彼女は笑顔で言った。

「うん楽しいよ。でもちょっと先輩が厳しいかな」

 厳しいってどう?

「んーそうだなー。撮った写真がちょっとでもブレてると文句言われるし、勝手にカメラ使って写真撮ったら怒られるし、この前空の写真撮ったら怒られたし」

 やばいな写真部。俺らより大変そう。

「そうなのかな?私以外にも部員はいるんだけどね。同級生も他の先輩も」

 そういえば夏休みの部活って運動部とか吹部とかならわかるけど写真部って何するの?

「あんまり教えてもらってないけど、裏山行って星空の写真撮り行ったりとかコンテストの写真撮るとかその手伝いとか?」

 意外とあるんだな。

「そうそう意外とね。先輩たちはすごい楽しみにしてたよ。特に裏山行くの」

 夜の裏山ってちょっと怖くないか?

「怖いけどーーでも!肝試しと思えばなんとか」

 お前怖いの苦手じゃん。

「そうだった。待って、じゃあめっちゃ怖いじゃん」

 今気づいたのかよ。

 彼女が笑った瞬間に蝉の声が不自然に大きくなった。



 電源が切れたように目が覚める。閉めたカーテンの隙間から差し込んできている朝日がちょうど顔に当たって眩しい。起き上がり時間を確認する。時計は6時を指していた。学校いかいないとな。そう思いながら大きくため息をする。今日の夢は彼女が死ぬ一年前の記憶だった。

 身支度を済ませ朝食を軽く食べてから学校に向かう。彼女の家から彼女の父親がちょうど出てきた。俺と目が合うと「綾くんじゃないか。おはよう」と声をかけてくれた。

「おはようございます」

「今から学校か。行ってらっしゃい、気をつけてな」

「はい、おじさんもお気をつけて」

 軽く挨拶をした後、彼女の父親は車に乗って出掛けて行った。静かにため息をつく。

「兄ちゃん何してるの?」中学生の弟が玄関前に突っ立っている俺に向かって言った。

「おじさんがいたから軽く挨拶してたんだよ」

「おじさんって玲央姉の?」

「そう」

「そっか」

 弟は俺を置いて先に向かった。俺とは一緒に行きたくないらしい。これが反抗期と呼ばれるやつなのかもしれない。

 そのまま家を出て通学路に着くと先に行ったはずの弟が孝一と梨花と一緒に話していた。俺を見つけると孝一が手を振りながら言った。

「おはよー!綾!元気かー?」

 小さくため息をついて三人の元へ向かう。「おはよう二人とも。何してんだよ三人で」

「雑談?」梨花が孝一を見ながら言う。

「なんで俺を見るんだよ」

「だってお兄ちゃん、綾兄待つってうるさいから」

「親友同士毎日何があっても一緒に学校に行きたいだろう?」俺に肩を組んで言う。

「俺は別に一人でも二人でも何人でもいいけどな」

「いかないと遅刻するから俺先行く」弟が行こうとすると孝一が言った。

「ちょっと待てよ弓月。たまにはみんなで行こうぜ、小学生の時みたいに」

 中学と高校の場所は違うが行く方向は同じだ。少しため息をついた弓月が言った。

「もうしょうがねえな」

 四人であの頃みたいに話しながら歩いた。楽しかった。けど、話していたって彼女のことがどうしても離れない。もしかしたらここの全員そうなのかもしれない。いや、そんなことないか。三人が楽しそうに笑っているのを見て自分のいる世界と全く違う場所にいるのうな気がした。

 信号を待っていると後ろから知った声が聞こえた。何を言っているかはわからないが俺は反射的に振り返った。声のする方から彼女の姿が見えた。

「おい、どうしたー?綾?信号青だぞー」

「ごめん!先行っててくれ!」俺はいつの間にか走り出していた。

「おい!綾!」後ろから孝一の声が聞こえたが無視して彼女の元へ走った。



 はぁはぁ、どこ行った。そういえばあいつ、運動音痴なくせに地味に足早かったんだよな。道の向こうに彼女の姿が見えた。彼女を追いかけるが踏切の遮断機が降り彼女の元へ行けなかった。彼女は俺を置いて道の向こうへ消えていく。

「逃げるなよ!待ってくれ!俺を置いてーー」

 言いかけた瞬間に背後で電車が勢いよく走り去っていった。背筋が凍った。

 何事もなかったかのように遮断機が上がり少し進んだ後俺は力が抜けたように地べたに座り込んだ。走ってきたせいで息が上がっている。いやそれのせいじゃないかもしれない。久々に感じた死ぬかもしれないという思考についていけなくて頭が真っ白だった。

「おい!綾!!」友人の声が聞こえた。「お前、大丈夫か。なんで急にーー」

「彼女が、いたんだ」

「は?」彼は俺の前にしゃがんだ。

「いたんだよ。あいつが!何か喋ってた。俺に何か言ってた」

 早口で今さっきあった状況言う俺を異物を見るような表情の彼が静かに話し始めた。

「何言ってんだよ、お前。いいか?玲央はもういないんだ。俺らと一緒に笑い合った玲央はもういないんだよ」

「そんなの」

「そんなのお前が一番知ってるし、思い知ってるのも知ってる!お前が笑わなくなったのも口数が減ったのも感情を口に出さなくなったのも!全部、玲央がお前の感情を持っていってしまったなんて考えてた。今だってそう。毎日お前に会うと、見てないうちに消えてしまうんじゃないかって心配になった。」

 彼に何か言おうとするがなぜか言葉が出てこなかった。そんな俺を気にせずに彼は続ける。

「玲央みたいにフッといなくなってしまいそうで怖かった。俺はただ、もう友人を、親友を、何もできないで失いたくないんだよ」泣きそうな声で彼は語る。「俺は玲央に何もしてやれなかった。話も聞いてやれなかった。気づいてやれなかった。俺はお前以上に後悔してるなんて思わない。でも、頼むからもう勝手にいなくならないでくれーー」

 彼が泣いているのを見たのはいつぶりだろうか。最後がいつだったかなんて覚えていない。俺は自然と彼を抱きしめていた。そして泣いている彼に向かって言った。

「俺は大丈夫だから。死ぬつもりなんてないから。急にいなくなったりしないから」

 朝方踏切付近で男子高校生が二人、しゃがみ込んで泣きじゃくっている片方を抱きしめている。側から見たらすごい光景だ。なんて他人事のように考える。これだけ騒いでいても近くに人一人いないのはここが田舎だからなのだろう。



 俺に文句を言いながら泣いている孝一を宥めながらゆっくり歩いて学校に向かった。案の定遅刻扱いでちゃんと怒られたが俺に教師の説教はこれっぽっちも響かなかった。

 教室はいつもと変わらない。受験が近いからと勉強している人が増えてきたことだけが違う点だ。隔離された小さな世界は俺たちの全てでここが世界の中心だ。彼女がここで死んだのは、ここが壊れてしまったからなのだろうか。それの答えを知るのは彼女だけだ。俺には誰もその答えを教えてくれなかった。

 ふと朝孝一に言った言葉を思い出した。「死ぬつもりはない」。この言葉は本心なのだろうか。それとも口に出して言ってみただけの何の意味も含まないただの言葉なのだろうか。いくら自問自答してもきっと答えは見つからない。君もこんな気持ちだったのかな。空に浮かんだ入道雲を見つめる。微かな吐き気を感じたと同時に彼女の笑い声が聞こえた気がした。後ろを振り返っても君はいない。誰もいない空席に外からの乾いた風が吹いてカーテンが揺れた。静かにため息をついて次の授業の準備をした。

 授業が終わりいつものように部活に行く準備をしていると同じ部活の森崎が近くに来て言った。

「おいおい!今日で部活最後だぜ。俺ら受験生になっちまうよ」

「だな」静かに言う。

 会話を続ける森崎の話を適度に聞き流しながら考える。あの時からもう一年が経っている。理解しているのに理解していない。わかっているはずなのに流れゆく時間に置いて行かれているような気がしてならない。孝一だってああ言っていたものの、どこか彼のことを信じきれていない自分がいた。

 今だにあの時のことをはっきりと覚えている。つい昨日のことようにも感じる。夏休みの朝、部活にいつも通り向かうと学校全体の様子がおかしかった。人をかき分けてそこに向かうと血まみれの彼女が地面に転がっていた。彼女を見た時全身の力が抜けて周りの音が遠かった。そこからのことはなぜか曖昧で気がついたら彼女は救急車に運ばれそのまま死んでしまった。何も知らずに死んでしまった。俺が一番理解していると思っていたのに、彼女の理由に、原因に気づけなかった。捜査に来た警察は彼女のいた部活のメンバーから関わりの深かった俺や孝一や梨花、彼女の家族に話を聞いた。遺書もあったことから結果的に『自殺』と言い渡された。学校では今でも生徒自殺事件として何も知らない新入生に言い伝えられている。

 死んだ理由も死にたかった理由も本当は生きたかった理由も、彼女は何一つ教えてくれなかった。彼女のあの言葉で、「世界が憎い、なくなってしまえ」と言う言葉で、声色で気付けてさえいたら、今の世界は何か変わったのかもしれない。いや、本当に気づいただけで止めれたのか?彼女の意思は昔から固い。よく頑固だと言われていた。そんな彼女を俺が止めれるなんて到底思えない。ーーでも、でももしかしたら。なんて淡い期待をした。過ぎてしまった過去は変えられっこないって君が言っていたのを思い出した。



「あのー先輩?桑田先輩?」

「すまんな宮村。こいつはちょっと自分の世界に入ってるみたいだ」

「またですか」

「そう言ってやんなって。こいつだって色々大変なんだよ。お前だって世界で一番大好きな人が死んだらこうなるぞ」森崎が俺の肩に腕をまわして言う。

「世界で一番ーー。まあ、そうかもですけど。もう一年も経ってんスよ?言いかげん立ち直ると思うんスけど」呆れたように言う。

「まあいいじゃないか。おい綾。可愛い後輩がお前に渡すもんがあるんだとよ」

部長に揺さぶられて前に立っている後輩に言う。「ああ、宮村か。どうした?」

 俺の声を聴いてため息をついた宮村が呆れたように言う。「もしかして最初から全部聞いてませんでした?」

「いやそんなことは、ない。はず」

「先輩っていつもそうですよね。特にあの事件が起きてからずっと」

 その言葉を聞いて胸がざわついた。微かに息が詰まる感覚がする。この子も進んでいるんだ。俺とは違う世界で先の方を走っているんだ。俺が、俺の世界が止まっているという自覚はできている。自覚しているはずなのに、ここから先に進むのが怖かった。彼女のことを全て無かったようないなかったようなことにしてしまうのが嫌で仕方がなかった。生きていたと言う事実も死んでしまったと言う事実も昔かた好きだったと言う事実も全部なかったことにしたくなかった。方時も忘れたくなかった。永遠に覚えていたかった。受け入れたくなかった。君とずっと一緒にいたかった。「もういいんじゃない?好きなようにして」って君なら言ってくれるような気がしていた。

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