バイキング~食べ放題で大海賊~

渡貫とゐち

第1話


 先日、振った男の話をしようと思う。


 彼の名前は古島(こじま)……下の名前は知らなかった。

 いいえ、知ってはいる……けど、偽名にしか思えなかったのだ。


「ハインリッヒ……、古島ハインリッヒはもう偽名でしょ」


 婚活市場で売れ残っていたハイスペック男。

 名前で避けられているのかと思えば、ちゃんと理由があったのだ。


 シュッとした細身で高身長、よく見れば木の枝とも言えるけど、黒いスーツが映える年上の男性だ。少しでも曲がったネクタイが嫌で、何度も手で直す癖がわたしは好きだった。


 全体的に色味は灰色で……不健康そうな見た目も魅力的に映っていた。

 黒スーツ、様様だったね。



「その人になんの問題があったの?」


 既婚者が目の前にいる。って、わたしが呼び出したのだけど――

 早朝。

 昨日の夜のことを抱えたままでは眠れず、朝方に鬼電して繋がった親友と合流できたのが、ほんの十分前だった。


 開店していた喫茶店に入って……、ここはわたしの奢りだから、と知ったら、彼女が高めの飲み物を頼んだりして好き放題していた。

 いいけど……、聞いてくれるならいくらでも払うよ。


 軽く、朝食も頼んで……料理が届いたところでわたしは話し出す――昨日のことを。


 あの人との初デートは、食べ放題だった。





晴海はるみさんは食べ放題にはよく来ますか?」


「いえ、あまり……でも、小食というわけでもないですよ? 全然食べれます、はい!」


「そうですか……無理だけはしないようにしてくださいね」


 少し屈む古島さん。

 身長差があるせいだからだけど、わざわざ目線を合わせるために腰を曲げてくれている。それでもわたしは見上げる形だけど……。


 先へ進む古島さんのスーツ袖を掴む。気づいた古島さんが、歩く速度を落としてくれた。……久しぶりにデートをしたと言っていたから、女性に慣れていないのが分かった。


 案内されたテーブルに付き、


「僕はここにいますので、好きなように見て回ってきていいですよ。数多くの種類がありますので、食べ切れないとは思いますが……」


「いえっ、元を取れるように頑張ります!」


「無理せずに。晴海さんのお腹がパンクしてしまいますからね」


 そんな小さな笑いも挟みながら、わたしは先に見て回ることにした。

 和食洋食、中華にイタリアン……逆に言うとここにない料理を上げていった方が少ないのではないかと思うほど、品揃えが良かった。


 ぐるっと一周してから取ろうと思ったけど、それだけでも時間がかかりそうだ……古島さんを待たせても悪いし……、先に古島さんに行かせてあげよう。


「古島さん」

「どうしました?」


「わたし、悩んじゃって……長くなりそうなので先に古島さんが取ってきてください。古島さんが食べている間なら、わたしが時間かかってもご迷惑になりませんし」


「気にしませんが……晴海さんが気にすると言うのであれば、遠慮なく。おすすめですが、入口から順番に取っていって、おかわりするのもひとつのやり方ですよ?」


「それだと、最初にある中華でお腹いっぱいになってしまいますよ」


 中華、イタリアン、洋食、和食と続き、デザートのエリアも後に控えている。ひとつのジャンルに食べ切れないほどの料理が並んでいるのだ。


 ひとつまみでも全部を取れば、相当の量になる……食べ放題とは言え、胃が大きくなったわけではないから、考えて食べないとメインディッシュに到達しないかもしれない。


 食べる前に吟味は必要なの。


「では、行ってきますね……すぐに戻ってきますので」


「いえ、ゆっくりで――」


 そそくさ、と行ってしまった。食べ放題に慣れているのかもしれない……今日は古島さんが案内してくれたお店だし。


 五分ほどで古島さんが帰ってきた。持ってきた料理はやっぱり右端から攻めて全種類だった。とにかく、お皿に乗せて……乗る程度に収めている……。


 盛り付けが汚いわけでもなく、ひとつひとつが一口サイズだった。これなら……元を取れる量でなくとも、味は楽しめるかな。

 舌の機能をフル活用するようなメニューだった。辛そうなものが多いけど、それで舌が麻痺しなければいいですね。


「お待たせしました」


「いえ、全然、待っていないので……」


 本当に。スマホをいじり始めたと思ったらもう帰ってきていた、そんな感覚だった。


「じゃあ、わたしも――」


 立ち上がり、右端から攻めてみる。まあ、まだ満腹には程遠いし、考えずに取っても大丈夫かな。――古島さんが取ってきて、美味しそうに見えた料理を優先してお皿の上へ。


 中華は途中で切り上げてからイタリアンへ――うーん……、意識したつもりだけど、お皿に盛ると汚くなってしまう。

 これを古島さんに見られたくないなあ、と思ったけど、この場で食べてしまうのはもっとダメだ。証拠隠滅! は、人間関係が壊れる原因。


 これもわたしだと思って見せるしかないかな……赤裸々に。

 というわけで満足に盛ったところで席へ戻った。


 古島さんは、食事をしていた……。

 あと、どこにあったの? お酒も飲んでいた……いいなあ。


「おかえりなさい、晴海さん」


「ただいまです、古島さ、ん……?」


 古島さんはビニール袋を持っていた。

 その中に詰まっていたのは、料理だ……んん?


 タッパーに詰めて持ち帰る、みたいに、ビニール袋に詰めていこうってこと? だとしても終盤にすることでしょ、それ。

 いや、そもそもしちゃダメなんだけど。元が取れないからって持って帰っていたらお店としては大打撃だ。


「あの、それ……」


「ん、これですか? ああ、吐いたんです」


「調子悪いですか!?」


 お酒を飲んでいるせいでは!? と、元々から体調が悪そうな顔色をしているから、少量でもお酒でとどめを刺されたのだとばかり思っていたら、古島さんが言った――


「体調は万全ですよ、気持ち悪くて吐いたわけではないです」


「では、どうして……?」


「胃に入れるから満腹になるなら、舌の上で転がし、戻せばいいわけですよ」


「…………はい?」


「胃に入れるから満腹になるなら、舌の上で転がし、戻せばいいわけですよ」


「聞こえています。理解できないだけです」


 理論は分かる。モラルはない。


 満腹とは、食べ放題においては最大の敵だから、それを避けるために飲み込まずに吐くというのは、勝ち方としては優秀だろう。でも……。

 味だけを見て吐き出す。誰もやっていないのは……だってそういうことでしょ?


「古島さん、やめましょう……そうまでして元を取ることないですよ」

「僕の金です」


「それは……そうですけど」


 古島さんの奢りでこのお店に来ている。払うのは彼だ。だから、元を取りたいと思うのは当然だけど……、だけど、やっぱり――。


「古島さん」

「べっ」


「食べたそばから吐かないでください!」

「味の深み、酸味があり、とても美味しい料理ですね」


「分析するな! そういうのは喉を通していいから言いなさい!」


 一応、バレないように、という配慮はしているらしいけど……それができるなら喉を通して胃に入れろ!

 食べ放題を楽しみたいなら胃がパンクするくらいに食べればいいじゃないのっ、こんな貧乏性な人だったなんて……使うべきところではお金を使うべきです!


「……問題は名前だけじゃなかったんですね……」


「このビニール袋の中身はペットのご飯になりますよ。なので無駄にはなりません」


「そういう問題でもないです」

「では、どういう問題で?」

「気持ちの問題です!!」


「感情論ですか……なるほど、どうやら僕たちは、合わないようですね……」


「わたしがフラれたみたいにするのやめてくれませんか!?」


 その後、黙々と食事をした。

 わたしが店員さんにチクると、店長がやってきて「またですか……」と呆れていた。古島さんは素直に「申し訳ない」と謝罪した……ちゃんと謝罪するんかい。

 反省を示して何度も繰り返す悪党って、一番悪い気がするわ……。


 もちろん、元を取れずに店を出ることになったわたしたち。


 古島さんは「ふむ、~円の損失ですね」と聞こえないけど聞こえるように言った。コイツ……性格悪いなあ。


「古島さん」

「晴海さん、ではこれで」


「わたしはあなたをフリます。どうもありがとうございました」

「付き合ってましたっけ?」


「……いえ」


「ですよね、これはあくまで付き合うかどうかを決めるためのものです。僕もあなたも告白していないわけですから、振る、という概念はないでしょう……なので知り合い同士が食事をして楽しめなかった、今後はありません、ただそれだけですよ――晴海さん」


「……そうですね」


「なので振る、という言い方は適切ではない。いえ、知り合いですらありません、という意思表明であるなら、使えなくもないですかね」


「…………」


「これっきりですね、晴海さん」

「そうですね!!」


 そうして、わたしはモヤモヤを残したまま(お皿に乗った分は食べ切ったのに!)――デートを切り上げ自宅へ帰ったのだった。


 結局、モヤモヤのせいで朝になってもまだ眠れなかったのだけど……。



「そんなことがあったの」

「ふーん」


 昨日のことを話すと、親友の相槌は興味がなさそうだった。

 だけどちゃんと聞いてくれていることをわたしは知っている。


「黒スーツ、細身……古島さん……それ、朝方に、駅前のハトに餌を上げてるあの人かな?」

「え? 知ってるの?」


「同一人物かは分からないけど……朝方にハトに餌をあげてるの。ビニール袋を置いて、そこにハトが群がって…………パンくずじゃなかったのは分かったけど……へえ、それ、もしかしたら食べ放題から持ち帰ったものだったのかもね。最近のハトは良いもん食べてるわねえ。その人が一度噛んだものだけど、ハトからすれば分からないものね」


「…………」


「モラルがなくて変な人だけど、それでもハトからすればヒーローよね」


 餌をくれる人、だから……。


 ハトだけでなくカラスや猫だって、あの人を頼っているかもしれない。

 もしかして――、町の動物のために、持ち帰ってる……?


 食べ放題から最低限、味わってから持ち帰ることで一応、筋は通してるみたいなこと?


 ギリギリ海賊行為なんじゃないかな……、バイキングだけに。



「……そ、っか……」


「どう? その人のこと見直した?」


「そんなわけないわ、人命救助してもチャラにならないから」





 ・・・おわり

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バイキング~食べ放題で大海賊~ 渡貫とゐち @josho

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