ヨーゼフの告白
その日の夜、我が家を支配していたのは、夕食のシチューが冷めていくのも気づかないほどの、重苦しい沈黙だった。
マリアが「少し夜風にあたってきますね」と、作り物の笑顔を浮かべて、まだ食べ終わっていないにも関わらず席を立つ。
彼女が扉の向こうに消え、その足音が遠ざかったのを確認すると、俺はヨーゼフのおっさんに向き直った。彼は相変わらず、テーブルの上のグラスだけを友人であるかのように見つめている。
俺は懐から、昼間、教会の書庫で書き写しておいた羊皮紙の束を取り出し、彼の前に静かに置いた。
「ねえ、おじさん。これはどういうこと?」
ヨーゼフは、ゆっくりと顔を上げた。その目は、酒のせいだけではない、深い濁りに沈んでいる。彼は羊皮紙に書かれた文字に目を走らせると、その顔からサッと血の気が引いていくのが分かった。
「……お、おめぇ、こいつを、どこで?」
声が、震えている。
「教会の書庫にあった、帝国の歴史書だよ。マリア姉ちゃんは、死んだはずの勇者と名前が同じで、顔立ちもこの記録のものと一致している。これは偶然じゃないよね?」
俺は、子供の演技をかなぐり捨てた。声は低く、その眼差しは、かつて魔王軍の将軍たちと渡り合った総参謀長のものだった。ヨーゼフは、十歳の少年から放たれるはずのない、その異様な気迫に息を呑んだ。
「……ガキには関係ねえ! そんなもんは、帝国の奴らがでっち上げた嘘っぱちだ! さっさと忘れろ!」
彼は激しく動揺し、羊皮紙をひったくろうと手を伸ばす。だが、俺はその手を叩いて制した。
「嘘なら、どうしてそんなに怯えるの? 俺は、マリア姉ちゃんのことをもっと知りたい。守りたいんだ。……家族なんだから!」
家族、という言葉が、引き金になった。
ヨーゼフの肩が、大きく震えた。彼の目に浮かんでいた恐怖と怒りが、ぐにゃりと歪み、深い、深い絶望の色へと変わっていく。彼は、俺の手を振り払うことも忘れ、崩れ落ちるように椅子に深く身を沈めた。
「……家族、か。そうだな……お前も、もう……」
彼は、テーブルの上の酒瓶を掴むと、グラスも使わずに直接喉へと流し込んだ。琥珀色の液体が、彼の喉を激しく上下する。そして、堰を切ったように、彼の口から真実が溢れ出した。
「……全部、嘘だ。その歴史書に書かれてることはな」
彼の声は、ひどく嗄れていた。
「全ては、ヘラクレイオス……今や皇帝陛下と呼ばれる男の野心から始まった。あいつは、マリアの人気と名声を恐れたんだ。魔王を討った真の英雄が、自分の権力を脅かす存在になる、と。だから、奴はマリアを陥れた」
ヨーゼフは、まるで昨日のことのように、その詳細を語り始めた。
捏造された、魔王軍との内通の証拠。マリアを嫉妬する貴族たちの、偽りの証言。人界連合軍は、救国の英雄を、一夜にして国を売った大罪人に仕立て上げた。
「裁判は、ただの茶番だった。一年……一年もの間、マリアは帝都の地下牢に繋がれた。毎日、毎日、罪を認めろと拷問官たちが……」
そこで、ヨーゼフの言葉が詰まった。彼の顔が、苦痛に歪む。
「……拷問だけじゃ、なかった。あいつらは……マリアを、ただの女として……慰みものにしやがった。大勢の兵士どもが、毎日のように娘を……! 女神の力を失わせるためだとか、反逆者の気力を削ぐためだとか、理由をつけちゃあ……! 俺の娘は、あそこで……獣同然の扱いを受けて……!」
言葉にならない嗚咽が、彼の喉から漏れる。
俺は、ただ黙って聞いていた。全身の血が、急速に冷えていくのを感じながら。
「マリアはあの性格だ。人の善意を信じて、いつか誤解が解けると耐え続けた。俺は、娘の心が、魂が、少しずつ殺されていくのを、ただ……ただ、聞くことしかできなかった。だが、処刑が決まったと聞いた時、俺は全てを捨てた事を決めた。ただの父親として、娘を助け出すことだけを考えたんだ」
彼の目は、遠い過去を見ていた。死刑執行前夜の、闇に包まれた帝都の姿を。
「処刑前夜、俺は一人で地下牢に忍び込んだ。かつての部下数人が、命懸けで手引きをしてくれた。牢の中で見たマリアは……もう、昔の面影はなかった。光を失った目で、ただ虚空を見ていた。処女を奪われ、女神の加護も、生きる気力さえも、あいつらに失っていた。俺は、そんな娘を無理やり担いで帝都を脱出した」
それは、言葉にすれば短い、しかし壮絶な救出劇だった。
帝国の追手から逃れるための、長く、過酷な逃亡生活。偽名を使い、身分を偽り、人目を避けて街から街へ。マリアの心が少しずつ癒えるのを待ちながら、彼らは帝国の影響力が及ばない辺境の地、このピュセルへと流れ着いたのだという。
「……帝国は、マリアの逃亡を隠蔽した。よく似た罪人の死体を身代わりに、マリアの処刑を執行しやがった。そうして、勇者の裏切りと死を嘆く民衆を扇動し、ヘラクレイオスは皇帝になった。……それが、全ての真実だ」
全てを語り終えたヨーゼフは、両手で顔を覆い、テーブルに突っ伏した。その広い背中が、子供のように小さく震えている。
静かな部屋に、彼の押し殺したような泣き声だけが響いていた。
「俺は……守れなかった……。英雄だなんて、とんでもねえ。俺は、たった一人の娘さえ……あいつらの汚い手から、守ってやれなかったんだ……!」
俺は、立ち上がらなかった。
彼にかける言葉も、見つからなかった。
ただ、その壮絶な告白の全てを、一言一句、魂に刻み付けていた。
俺の心の中は、静かだった。嵐が過ぎ去った後のような、不気味な静寂。
だが、その静寂の底で、一つの感情が、ゆっくりと、しかし確実に形を成していく。
それは、マリアへの、そしてヨーゼフへの、深い、深い同情。
そして、ヘラクレイオスと、彼が創り上げた人界帝国というシステムに対する、決して消えることのない深い深い敵意と殺意だった。
前世で、俺は魔王軍の敵として人界と戦った。
だが、今、俺の真の敵が誰であるかを、はっきりと理解した。
ヘラクレイオス。そして帝国。貴様らは、決して許してはならない存在だ。いつか必ず、叩き潰してやる。
俺は、固く、拳を握りしめていた。
魔王軍の天才軍師は人間に転生してセカンドライフを送る ケントゥリオン @zork1945
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