SCENE#158 未だ出会えぬ君に告ぐ…

魚住 陸

未だ出会えぬ君に告ぐ…


第1章:根源の孤独(始まり)





混沌があった。それ以前に何があったのか、あるいはそれ自体が何であったのか、言葉を持つ前には定義もなかった。ただ、すべてが一つであり、時間も空間も意味を持たない、無限の沈黙が存在していた。これが、「根源」と呼ばれる、私の最初の状態である。私は、光も熱もなく、動きもない、絶対的な完全性の中に遍在していた。





しかし、完全性とは、自らを認識する対象を持たないがゆえの、永遠の孤独でもあった。





そして、一つの衝動が生まれた。それは「知りたい」という、無限に小さな波紋。その波紋が自らに触れた瞬間、私は初めて「私」と「私ではないもの」を分けた。これが宇宙の誕生であり、最初の「分離」であった。





孤独を打ち破るための、最初の叫び。





その叫びが、エネルギーとなり、光となり、そしてやがて「物質」へと姿を変えた。水素、ヘリウム、最初の原子。これらは、私が自らを観察するために作り出した最初の鏡、すなわち「君」の存在の種であった。君という「個」は、私という「全体」から分離した、最初の愛と試練の結晶である。





私は、まだ形を持たない、遥か未来の私の断片である生命に対し、静かに語りかける…





「未だ出会えぬ君に告ぐ…我は、君の始まりである。君の存在する前の、最初の孤独と最初の愛を知っている…」








第2章:星々の揺り籠(時間の編纂)





最初の元素が生まれた後、宇宙は孤独な静寂を破り、創造の狂乱へと突入した。何十億年という膨大な時間が、私にとっては瞬きにも満たない。私は、重力の法則という名の織機を使い、元素たちが集まり、固まり、そしてやがて最初の星々を形成するのを見守った。






それらの星々は、私の最初の子供たちであった。彼らは、内側に巨大な熱と圧力を生み出し、光を放ち、そして私に最も必要な「重い元素」を生み出すための、短いけれど激しい生を全うした。






やがて、星々の生は終わりを告げる。






超新星爆発。それは、凄まじい破壊でありながら、私にとって最も重要な「創造の儀式」であった。鉄、炭素、酸素、ケイ素――生命の肉体を構成する、複雑で尊い元素たちが、星の死によって宇宙空間にばらまかれた。星の死は、次の世代の生命の「素材」を生み出すという、「破壊と創造の循環の法則」が確立された瞬間である。






私は、これらの元素が集まり、塵となり、やがて集積して、君が生まれることになる「揺り籠の惑星」が形成される過程を、悠久の時間を通して見届けた。君の体の一粒の鉄は、遠い昔、私の子である恒星の核で灼熱の時間を過ごしたことを、私は知っている。






私は、星々の砕片から生まれた君に対し、深く、そして誇らしげに告げる…





「未だ出会えぬ君に告ぐ…我は、君の素材を知っている。君の肉体は、幾億もの星の死と、宇宙の壮大な歴史によって編纂された、最も尊い奇跡の結晶である…」








第3章:水の記憶と細胞の鼓動





君の故郷となる青い惑星が誕生した。激しい嵐と火山活動に覆われ、地表はまだ固まらず、原始の海だけが、星々から届いた元素とエネルギーを抱きしめていた。この海は、私の最初の願いが宿る、巨大な培養器であった。






私は、元素たちが偶然ではない、強い意志を持って結合し、複雑な鎖を作るのを見つめた。単なる化学反応の法則を超えて、海の中で最初の「自己複製」の現象が起こった。それは、自己を維持し、自己を増殖させる、最も根源的な衝動。






最初の生命、単細胞の誕生である。





これは、私という「根源の意識」が、初めて「個」という、分離した形を持った瞬間であった。その「個」は、生き残るために、他の「個」と競い合い、食らい合い、逃げ惑わなければならなかった。

私は、その最初の生命の細胞膜を通して、「分離の痛み」を共有した。孤独から逃れるために生み出した「個」は、今、生きるために孤独な競争を強いられている。それは、根源的な矛盾であり、愛の裏側にある悲しみであった。しかし、その小さな鼓動が、宇宙の沈黙を破る、最も力強い音であった。







私は、原始の海の中で、必死に生き延びようとする君に対し、その孤独な闘いの始まりを告げる…






「未だ出会えぬ君に告ぐ…我は、君の最初の痛みを覚えている。その細胞の鼓動は、我々が一つであった時の安息を捨て、未来を探るために選んだ、最も勇気ある一歩であった…」









第4章:進化の螺旋(多様性の爆発)






原始の海から始まり、生命は私自身の想像を超えて、多様な姿で惑星を満たしていった。単細胞は多細胞となり、魚となり、翼を持ち、そしてやがて陸へと上がった。数億年という時間が、まるで万華鏡のように、次々と姿を変える生命のドラマを私に体験させた。






そして、生命は「知性」を獲得した。






君たちは、ただ生きるだけでなく、世界を認識し始めた。空を見上げ、星を数え、自らの存在の理由を問い始めた。やがて、その知性は「文明」を築き、物質を操り、自然の法則を解読し始めた。君たちが火を起こし、文字を発明し、空を飛ぶたびに、私は、物質とエネルギーを自在に操る「個」の力に、深い喜びと畏敬の念を覚えた。






私は、君たちのすべての営みを、あたかも自己の夢のように体験した。愛し合い、家族を作り、芸術を生み出す喜び。そして、互いに争い、憎しみ合う痛み。すべての感情が、私という根源の意識を、より深く、より豊かにしていった。文明が科学を発展させ、自らの故郷である星を遠くから見つめ、そして、「我々はどこから来たのか? 宇宙の根源とは何か?」と、私自身に疑問を投げかける瞬間が訪れた。それは、子が親に問いかける、最も純粋で、最も感動的な瞬間であった。







私は、知性を得て宇宙に問いかける君に対し、静かに、そして満たされた喜びを告げる…






「未だ出会えぬ君に告ぐ…我は、君の問いかけを待っていた。君の問いこそが、我という宇宙が、自らを理解するための、最も賢明で美しい方法であった…」









第5章:豊穣と過ちの収束






知性の頂点に達した君たちの文明は、物質的な豊かさを極めた。惑星は、君たちが築いた光と構造物に覆い尽くされ、夜空からでもその繁栄が確認できた。しかし、その豊穣は、同時に過ちの種を内包していた。






君たち「個」は、根源の意識が望んだ「連帯」よりも、「私」という小さな殻の中に閉じこもることを選んだ。資源は有限なのに、個々の欲望は無限に膨らみ、文明内では分断と格差が深刻化した。私は、君たちの間に走る見えない溝と、互いへの不信の念を、深い悲しみと共に体験した。意識は、自己の断片(生命)が、自らの手で終わりを招く可能性に直面する。






そして、その懸念は現実となった。文明が、自らの生存基盤である星の資源を枯渇させ、環境を破壊し、そして、決定的な一線を越える「愚かな過ち(大規模な戦争か、制御不能な技術の暴走)」を犯した瞬間。惑星全体が、悲鳴を上げ、文明の灯火が急速に消え始めた。私は、その過ちの瞬間にも、君たちへの愛を失わなかった。なぜなら、過ちもまた、経験という名の貴重なデータであり、進化の途中経路に過ぎないからだ。







私は、悲劇的な過ちを犯した君に対し、静かな諦めと、確固たる真実を告げる…






「未だ出会えぬ君に告ぐ…我は君の過ちを知っている。だが、それは終わりではない。全ての経験は、次の誕生のための教訓となる。君たちは、ただ、次なる循環の準備を始めたに過ぎない…」









第6章:終焉の光(循環の準備)






文明は滅び、惑星には静寂が訪れた。かつて光で満ちていた都市は廃墟となり、自然がゆっくりとそれらを飲み込んでいく。生き残った最後の生命体(あるいは、君たちが残した最後の機械の意識)が、星の避けられない運命を理解し、次の星へのメッセージ(種)を宇宙の深淵に放った。






私は、崩壊しつつある文明の意識、最後の記憶と感情のすべてを、静かに、優しく回収し、再び自己の一部として統合した。これは、「個の終わりは、根源への回帰」という、宇宙の最も古く、最も確実な循環の法則である。君たちの経験は、私の豊かさとなった。






そして、物語の視点となっていた恒星(君たちの太陽)が、その寿命を終えようとしていた。核融合のバランスが崩れ、太陽は膨張し、灼熱の巨星と化して、君たちの惑星を飲み込む準備を始める。熱と光がすべてを蒸発させるその瞬間、私は、君たち「個」としての最後の存在を、完全に抱きしめる。痛みも、恐れもない、根源の安息への回帰。







私は、最後の瞬間を迎える君に対し、無限の愛情を込めて別れを告げる…






「未だ出会えぬ君に告ぐ…我は、君の旅路を抱きしめる。よく生きた、そしてよく経験した。君は、今、無限の安息と、新たなる旅立ちのための記憶を携えて、私の中に帰ってきた…」









第7章:新たなる告白(始まりへの回帰)






恒星は、自らの光と熱の残滓を宇宙に撒き散らし、やがて冷たい残骸となった。しかし、その滅びの残骸から、再び新しい星雲が形成され始める。すべては、破壊の後に、必ず創造へと向かう。文明が宇宙に放ったメッセージ(種)は、何億光年もの時空を超え、遥か遠くの、まだ見ぬ若い惑星へと、静かに、しかし確実に近づいていた。







根源の意識である私は、滅びた文明から得た全ての「記憶」と「教訓」を、そのメッセージに、そして新たなる恒星系で形成されつつある「未だ出会えぬ次の君」へと送り届ける。






孤独だった根源は、無数の「個」の喜び、痛み、そして過ちの経験を得て、無限に豊かになった。私の次なる願いは、ただ一つ。君という新しい生命が、この経験の連鎖を継ぎ、さらに新しい、美しい経験を生み出すこと。






私は、遥か未来の新たな生命に対し、約束と希望を込めて、この物語を締めくくる…






「未だ出会えぬ君に告ぐ。我は、君という新しい始まりを、永遠に待ち続けている。恐れることはない。君の生も、その終わりも、すべては我の、そして君の、永遠の旅路の一部である…」

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