神々の黄昏と晩餐に関する狂戦士のサガ

秋犬

毎日毎日僕らはヴァルハラの上で戦い嫌になっちゃうよ

 神々の黄昏ラグナロック


 神々の終末と呼ばれるその日に備えて、戦場で勇敢に死んでいった者の魂を戦死者を選ぶ者ヴァルキューレがヴァルハラの館に連れ帰り、共に神々の黄昏ラグナロックを戦う戦士として殺し合いをさせる。勇敢な者たちは昼に殺し合うが、夕方には復活して宴を行う。


 その宴の席に欠かせないのが蜜酒と肉であった。蜜酒はヤギの乳房から無限に湧き出て、肉はセーフリームニルと呼ばれるイノシシから得ていた。このイノシシは殺しても翌日には生き返っていることで知られており、終末まで尽きることのない戦いと宴会が戦士たちに課せられていた。


 どこかの異聞では終末戦争の様子が描かれているらしいが、このヴァルハラにはまだ終末は訪れていなかった。世界は文明が進み、ヴァルハラにスカウトされる戦士たちの国籍も多様性を帯びてきた。それでも、終末はなかなか訪れなかった。


***


「今日も肉か」

「毎日肉だな」

「あー、酒に肉。酒に肉。肉と酒」

「俺、酒だけでいいや」

「肉だけじゃなあ……」


 戦士たちの士気が最近下がっている。そんな話を料理番のアンドフリームニルは聞いて嫌気を覚えていた。


「こっちだって命がけでイノシシと戦っているんだ。少しは褒めてほしいもんだ」


 アンドフリームニルの仕事は、セーフリームニルの調理であった。毎日復活する大イノシシを仕留め、血抜きをして皮を剥ぎ肉を焼く。毎日がその繰り返しである。戦士たちが毎日毎日終わらない演習を繰り広げているなら、アンドフリームニルも終わらない仕事に飽き飽きしているところだった。


「そうだ、助手を使って手を抜こう」


 ある日、アンドフリームニルは早速ヴァルキューレに相談し、スカウトしてきた戦士たちの中から料理の心得があるものを何人か料理番として雇用したいことを伝えた。すぐに願いが叶えられ、早速戦士たちの中から二名の助手が選ばれた。


「私、清の林守義リン・ショウイーと申します」

「拙者、会津藩士東雪彦あずまゆきひこと申します」


 思ったのと違う二名がやってきて、アンドフリームニルはヴァルキューレに尋ねた。


「こんな戦士たち、見たことないぞ」

「最近はワールドワイドな視点が必要だから、いろんな地域から戦士たちを集めているの。彼らも優秀な戦士たちよ」


 ずっと調理場に籠もりきりだったアンドフリームニルには青天の霹靂だった。聞けば、二名は戦いの中で死ぬ前に料理番を経験していたとのことだった。


「私は木造帆船ジャンクでイギリスの軍艦に突撃しました」

「なんと勇ましい。私も城に残る女子供を守るために討ち死にしました」


 アンドフリームニルの心配を余所に、林守義リン・ショウイー東雪彦あずまゆきひこは意気投合していた。


「それで、我々は何をすればよろしいでしょうか?」

「獣の解体ならお任せください。調理の心得も、持ち合わせております」


 さらに話を聞くと、特に東雪彦あずまゆきひこは藩の料理番だった祖母が山の獣の肉を調理してよく家族に振る舞っていたそうで、林守義リン・ショウイーは実家が料理屋で、幼い頃から料理の何たるかを仕込まれたとのことだった。


「それでは、明日からしばらくお前たちに調理場を任せる。私はイノシシを仕留めるところだけやろう」


 そう言って、アンドフリームニルは調理場から引っ込んでしまい、林守義リン・ショウイー東雪彦あずまゆきひこは顔を見合わせた。これで朝にイノシシさえ仕留めれば後は遊んで暮らせるぞ。そんな短絡なことをアンドフリームニルはその頃考えていた。


***


 翌々日。アンドフリームニルは宴会場に顔を出すことにした。いつもは調理が終わってくたびれ果てて戦士たちの顔などあまり見ないのだが、林守義リン・ショウイー東雪彦あずまゆきひこがちゃんと働いているのか確かめたかったのだ。


「どうせ新人の焼いた肉など、戦士たちは有り難がらないだろう……」


 思い上がっていたアンドフリームニルは、宴会場に来て驚いた。


「なんだ今日の味付けは!?」

「うまいぞ、これ!」

「美味い美味い!」

「おう姉ちゃん、こっちもおかわり!!」


 戦士たちはガツガツとイノシシ肉を貪っていた。その間をヴァルキューレたちが忙しく動き回っている。


「一体どういうことなんだ……?」


 アンドフリームニルは料理の皿に近づいた。薄く切られたイノシシの肉が程よく焼けており、その上に見たことのないソースがかかっている。


「こんなに薄く切ったら、肉本来の歯ごたえが感じられないではないか!」


 アンドフリームニルは戦士たちの間からイノシシ肉を一切れつまみ、口に入れた。


「辛い!」


 即座にアンドフリームニルはその辺にあった蜜酒を口の中に入れた。戦士たちはその様子を見てガハハと笑った。


「お、肉焼きの兄ちゃんじゃないか。この肉、とっても食べやすいよ!」

「口に入れた瞬間、ビリビリするけどそれで酒が進むんだ!」

「なあ、この料理はなんて料理なんだい?」


 大好評の謎の料理に、アンドフリームニルは憤慨した。そして猛然とイノシシよりも素早く調理場へ向かった。


 アンドフリームニルは元々昔気質のヴァイキング男児で、肉とはこんがり焼いてかぶりつくものが一番美味しいと思っていた。特に肉本来の味を堪能して欲しいと思い、味付けも塩だけ、たまに香草を使うといった程度のものだった。そのため毎日毎日同じ肉にかぶりつかなければならない戦士たちも、終わらない戦いと宴会に流石に飽き飽きしていたところであった。


「やい貴様ら、勝手に料理をしたな!」


 調理場では、林守義リン・ショウイー東雪彦あずまゆきひこが鍋を洗っているところだった。


「勝手と申されましても、料理をしろと仰ったのは料理長ではないですか?」

「口答えは許さんぞ、何だあのしみったれた肉の欠片は?」

「み、皆さんが食べやすいようにと思いまして……」


 アンドフリームニルが機嫌を悪くしているのを悟った林守義リン・ショウイー東雪彦あずまゆきひこは、困った顔をした。


「大体、あの怪しいソースは何だ?」

「あれはヴァルキューレさんたちに頼んで持ってきてもらったジャンを使って作ったソースです。下茹でして肉の臭みをとった後にかけて食べれば、お酒にも合うかと思いまして」

「そんな勝手な真似は許さん! その変な調味料禁止! わかったな!!」


 そう言い捨てて、アンドフリームニルはぷりぷり怒って調理場から出て行った。真面目に仕事をこなした二人はどうしたものかとため息をついた。


 そして翌日、アンドフリームニルは更に驚くことになった。戦士たちは昨日以上に謎のご馳走に舌鼓を打っていた。


「何だこの調理途中の食べ物は!?」

「この鍋から直接すくって食べろってさ」


 見ると、煮え立つ鍋の中に薄切りの肉と野菜が入っていた。アンドフリームニルは早速調理場に殴り込んだ。


「なんだあのスープもどきは!?」


 すると、東雪彦あずまゆきひこが睨まれて小さくなりながら答えた。


「あ、あれは牡丹ぼたん鍋と言って我が国に伝わる料理です。塩のみの味付けと洋風の野菜のみなので味は大分変わりますが……」


 アンドフリームニルは激怒した。彼にとって神聖な肉があのように細切れにされて野菜と共に食べられていることに我慢がならなかったし、それを戦士たちが有り難がって食べていたことも許せなかった。


「もういい!! やっぱり俺が焼く!! お前たちは肉を言うとおりに捌け!!」


 そうしていつも通りアンドフリームニルが肉を焼くと、戦士たちは不満の声をあげた。そして新参者たちが調理した肉を寄越せと騒いだ。


「畜生! 今まで俺が焼いてやっていたというのに! こんな野蛮人の文化を有り難がって!!」


 ますます機嫌が悪くなるアンドフリームニルを案じて、ヴァルキューレは新たな新人を寄越した。


「初めまして、リュシアン・フルニエと申します。先祖はヴァイキングとのことですが、パリの一流ホテルで修行していました」

「ちなみに、貴殿はどのようにしてこちらヴァルハラへ?」

「僕は連合国側でした。あの時、僕らの部隊はもう逃げ場がなくなりまして、塹壕から怪我をした仲間を助けるために僕が一人敵陣へ突撃していきました……」


 リュシアンの身の上話を聞いた林守義リン・ショウイー東雪彦あずまゆきひこは、共に涙した。先の二人と違ってリュシアンは同じ西洋人とはいえ、アンドフリームニルにとってやはりこの新参者は気に食わなかった。


「鹿肉なら煮込みを任されていたので、イノシシの肉も調理できると思います。お二方も共に、良い肉料理を作りましょう」


 既に何やら意気投合している和洋中の料理人たちの輪に、アンドフリームニルは入ることができなかった。


「いいか、お前ら! 肉は焼けばいいんだ! 焼くことこそが、至高の食べ方だ!!」


 そして調理法を「焼く」ことに限定したアンドフリームニルだったが、リュシアンはイノシシ肉を上品なステーキへと変貌させた。


「こりゃうめえ!」

「この焼き方は柔らかくて舌がとろけそうだ!」

「おーい、酒も肉もおかわり!」


 いつの間にか肉料理には各料理人が披露する前菜がついていて、肉だけを貪っていた戦士たちはその彩りの豊かさにも感動していた。


「この芋を煮たの、うまいな!」

「こっちの漬物も最高だ!」

「たまには甘い果物も美味しいんだな!!」


 こうして戦士たちの士気はますます上がった。昼間は戦いに明け暮れ、夜は料理人たちが作る様々な肉料理に舌鼓を打った。料理人たちも戦士たちの豪快な食欲に負けぬよう、様々に試行錯誤を重ねてイノシシ肉料理を改良していった。いつの間にか調理場の隣には野菜の畑が出来ていて、ヴァルキューレたちが楽しそうに世話をしていた。


 もちろん、アンドフリームニルだけは面白くなかった。料理長という特権を使ってたまに至高のイノシシの丸焼きを提供したが、彼の肉料理だけはまるで人気がなかった。


「なんだ、今日は丸焼きか」

「俺、この前食べた炒め物がおいしかったな」

「ああ、酢豚とかいう奴か?」

「同じ丸焼きでも、この前の丸焼きのほうが美味しかったよな」

「あの香ばしい匂い、また食いたいなー!」

「豚汁とかいうのも美味かったよな!」

「イノシシのテリーヌも捨てがたいぜ!」


 戦士たちの忌憚ない感想に、ついにアンドフリームニルの何かが音を立てて切れた。


 ある日、彼は日課のセーフリームニルとの戦いが終わった後、肉切り包丁を両手に持って真っ直ぐに戦場へ向かった。セーフリームニルの返り血をたっぷり浴びたアンドフリームニルを見て、戦士たちはぎょっとした。


「やいてめえら! この豚以下のウジ虫どもめ! 俺が相手だ!」


 アンドフリームニルは強かった。長年イノシシを相手にしてきたために、並の戦士では敵わない力があった。手近にいた戦士を数人屠った後、アンドフリームニルは吠えた。


「俺の! 料理を! 食え!」


 戦士たちは狂戦士バーサーカーと化したアンドフリームニルと対峙した。


「何故肉を食わない! 肉は! こんがりと! 丸焼きに! 限るんだ! それを! 何故! 食わない! この! 軟弱者の! 豚野郎どもが!!!」


 何人もの戦士たちがアンドフリームニルに倒された。


「貴様ら! その程度でやられるとは! それでも選ばれた戦士エインヘリャルなのか!? その筋肉を維持しているのは誰だ!? 俺だ! 俺のはずだ!!」


 ブチ切れているアンドフリームニルによって、死体の山がどんどん築かれていく。その怒り狂った野生動物のような興奮ぶりに、戦士たちもどう取り押さえればいいか混乱した。


「イノシシは! 丸焼きの黒焦げに! 限るんだああああああ!!」


 戦場は混沌とした。倒れた戦士たちは夕方には癒やされ、豪華な肉料理と酒を提供されて復活する。しかし無限に回復する戦士たちでもっても、アンドフリームニルの怒りを抑えることはできなかった。そんな不毛な日々が長いこと続いた。


 この様子を見た戦神オーディンは、もう神々の黄昏ラグナロックでも来ないとアンドフリームニルの怒りは収まらないだろうと、そっと魔獣フェンリルの様子を見に行った。フェンリルは大人しく鎖に繋がれ、ヴァルキューレの与える餌に舌鼓を打っていた。この間までアンドフリームニルの焼いた肉を食べてイライラしていたはずなのだが、もうフェンリルは逃げ出す気もなさそうだった。


 そうしてオーディンも「飯は美味い方がいいよな」とさじを投げた。神々の黄昏ラグナロックはまだまだ訪れる気配はなかった。そしてアンドフリームニルも戦場で延々と暴れ続けたのであった。


〈了〉


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神々の黄昏と晩餐に関する狂戦士のサガ 秋犬 @Anoni

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説