第8話 どうなるの?

物品準備室を出て、私はタリオと手を繋いで診療所に数部屋しかない病棟に向かっている。

病棟は診療所の2階にあるため、私としてはタリオを抱っこして向かいたかったのだが・・・・。

タリオを抱き上げようとした時、

「ぼくありゅける(ぼくあるける)。だいじょうびゅ(だいじょうぶ)」

と、舌足らずな言葉を発した子供と思えないほど真剣な表情で言われてしまったのでタリオの気持ちを受け入れるしかなかった。ただ、私としては小さな男の子のタリオの独り歩きが不安すぎた・・・だから、「タリオくん、手を繋いで欲しいのだけどお願いできますか」とちょっぴり寂しそうにして聞いてみたのだ。

これが効果覿面、「いいよ。ネリネちゃんはおとにゃなのにさみしがりやさんだにぇ(ネリネちゃんはおとななのにさみしがりやさんだね)」

「はい、どうじょ(どうぞ)」とお兄さんぶって手を差しできた。

(可愛い〜〜〜。可愛いがすぎる〜〜〜)

私の心の叫びが大変なことになっている。

ただ、私は気になっている事がある。

それは、タリオの舌足らずな言葉への違和感だ。なんとなく3歳くらいかなと思うのだけど、その年齢の子供にしては、言葉の成長が遅いように思えるのだ。以前どこかで、子供の成長は生活する環境が大きく影響すると学んだ気がする。もしも、私の知識が間違いでないのなら・・・タリオはどんな場所でどんな時間を過ごしているのだろう。

そんな自分自身の中に芽吹き始めた母性本能のような感情を嬉しいような照れくさいように感じる私。一方で、子供を授かったことのない私がほんの少し前に会ったばかりのタリオを慈しみ、守り、育てたいと思うなんてと不思議に思う私がいる。

そして、今、私たちは手を繋ぎ2階の病室の扉の前に立っている。


ここにハーデンさんはいるのは確実なのだけど・・・・起きているだろうか。

当初の予定では、今回の討伐では死傷者も重症者もいなかったため使われる予定はなかった。ただ、ハーデンさんが利き腕を負傷したため日常生活に不自由があるということでこの病室で過ごすことになったと聞いている。

ノックするべきか否か・・・・悩んでいるのだが。

ガッシャンッーーー!!

扉の向こうから何かを落とした音がした。

私は、コンコンコン

素早くノックをして「どうしました?」

声をかけながら病室に入る。

病室では、ハーデンさんがベッドの横たわりながら眉を寄せて困り顔だ。

ベッドサイドのミニテーブル下の床は水で濡れており、グラスが転がっている。

多分、いつものようにベッドサイドのミニテーブルに置かれている水の入ったグラスを取ろうとしたが、傷のため上手く体が動かずグラスを落としてしまった・・・・といったところだろう。グラスが割れていなくて幸いだった。

私は、病室の隅に置かれている棚から取り出したグラスに水を注ぎ、床の濡れていないハーデンさんのベッド側に立つ。

「腕の痛みどうですか。お水、飲んでくださいね」

私は屈んで、ハーデンさんの口元に水の入ったグラスを近づける。

一瞬目を見開いて驚いた顔をしたが、すぐにいつもの表情となり「ありがとう」

呟くような声でお礼を言うと、ゆっくりと私がグラスを持った状態で水を飲み始めた。

すぐに飲み終えて水のなくなったグラスに再度水を注いで、彼の口元にグラスを当てる。

彼はよほど喉が渇いていたのか、二杯目の水もすぐに飲み終えた。

「助かった。ありがとう」ハーデンさんの疲れた表情でありながらも柔らかな微笑みは、いつもの野生的な雰囲気を抑え、大型犬が項垂れているようなちょっと「よしよし」してあげたくなるような表情で、私の保護欲求を刺激する。困った・・・無駄にキュンキュンしてしまい自分の顔が熱を持っているのが分かる。

(きゃ〜〜〜〜〜〜!!)

なんて、ちょっとほんわか乙女な気分の私。



それなのに・・・・・今、ハーデンさんは恐ろしいほど不機嫌な顔をして私の後ろを睨んでいる。

ハーデンさんの背後から恐ろしい何かが見えるようだ。

「あっ・・・・・・・・っ・・・の」

私の背中に隠れるように立ち、両方の小さな手で私のスカートをギュッと握っている小さな男の子タリオが、ハーデンさんの恐ろしさに必死に耐えながら言葉を話そうと頑張っているが・・・・いかんせんハーデンさんの恐ろしさが酷い。タリオは言葉どころかまともな声さえ発すること出来ずにいる。でも、この恐ろしさよ!意識があるだけでもすごいことだと私は思っている。

「タリオ。なぜ、ここにいるんだ」

「ここは、こどものお前のいる場所ではない」

「でっ・・・で・・・でみょ・・・・」

私のスカートを握り締めた手がブルブルとふるえている。

それでもハーデンに訴えようと必死なのが伝わってくる。

「ハーデン様。タリオくんを見つけてこの場所に連れてきてしまったのは私です。ですから、お叱りは私にお願いします」

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

ここでハーデンさんから目を逸らしたら負けのような気がして、私はじっと目を逸らすことなくハーデンさんを見つめる。

無言の時間・・・・、徐々にハーデンさんの顔が赤く染まってきた??のかな??

そう思ったのは私だけではなかったようで・・・。

私のスカートを握りしめ隠れていたタリオが、スカートからピョコッと顔を出して、ハーデンさんに視線を向け、「はーじぇんおじうえ、きゃお(かお)まっきゃ(真っ赤)」いきなりハーデンさんに指をさして言い放った。

タリオ〜、空気をよみなさい!(言えないけど)

私は心の中で叫びつつ、

「タリオくん、人を指さしてはいけません!」

「でみょ〜〜〜」

ちょっぴり不服そうなタリオくんの人差し指を軽く握り、メッ(ダメ)と注意する。

「ごめんなさい」

素直に謝るタリオくんが可愛くて、つい抱き上げてしまった。

柔らかな感触とともに重いとまではいかないまでもずっしりとした重みがある。

長時間のだっこ(抱き上げ)は難しいかも・・・。

突然、私に抱き上られたタリオは、もじもじしている。かわいい。

「きちんと、『ごめんなさい』言えてえらいわね」

きちんと出来ていることはしっかり褒めていいわよね。

タリオの年齢はわからないけど、『良いこと』『悪いこと(ダメなこと)』の判断はできそうよね。

なによりも、タリオもハーデンさんに怒られるよりも私に怒こられて『ごめんなさい』したほうが絶対にいいと思う。怒りのオーラの溢れるハーデンさんに怒られるよりも絶対にマシだと思う。

そう自身の中で自己完結した。・・・・だけではなく、やっぱりここはすぐ行動!と考え、行動に移すことにした。

抱き上げていたタリオをゆっくりと床に降ろす。それから、私自身の目線がタリオと同じになるように、しゃがんで床に膝を落とした。急にしゃがみ込んだ私に驚いたのか、私の目線がタリオとピッタリ合っていることに驚いているのか、はたまた他のことに驚いているのか・・・・分からなかったが。

私はなるべくゆっくりとタリオに話かける。タリオが気持ちを伝えてくれることを願いながら。

タリオは、私に何を聞かれるのか興味津々といった感じだろうか。

タリオの黒色の瞳がキラキラしている。

タリオの期待するような話ではないのだが・・・・ダラダラダラ(心の中で嫌な汗がではじめる)でも・・・頑張らねば!!

私としゃべることでハーデンさんの怒りを抑えねばならない!!

(責任重大・・・ただの会話なのに〜〜〜)

なんだかプレッシャーがすごい!(大半は自分からのプレッシャーだけれども)

私の頭の中は考えすぎによる自身からのプレッシャーでごちゃごちゃしていたが、キラキラお目眼のタリオに少し前に聞いた内容から聞きはじめた。(はじめは、知っている情報から聞いていく・・・これ重要だよね)

「では、はじめますね。」(開始の言葉がけから始める)

タリオはニコニコで大きく頷いた。

「では、おなまえを教えてください」

「はい。ぼくは、タリオ・べるぎゃあ(ベルギア)、さんしゃい(3歳)です」

「うん。タリオくん、3歳だね。ちゃんと言えるね。えらいね。」

「うん。いえた」と誇らしげなタリオくん。

いいよ。いいよ。タリオっと思いながら、私はハーデンさんの様子を伺った。怒りのオーラを纏ったハーデンさんは、静かに私たちの会話を聞いていた。そして、むっちゃ見ていた(瞬きすらしていないように見える)

まだ怒ってるのか〜、このタリオの可愛さで怒りを鎮めてくれますように・・・。

「タリオくんは、どうしてここにきたの?」

ニコニコしていたタリオから笑顔が消え、目が泳ぎ始める。でも、必死に自身の気持ちを伝えようとしているように見えた。

「・・・・えっ・・、あのっ・・・・」

黙ってしまったタリオ。

「大丈夫よ。ゆっくりでいいの。タリオくんの気持ちが知りたいな」

『頑張れ』の気持ちを込めて、タリオの頭を撫でる。

「ぼく、ここにきちゃ(きちゃ)ダメなこちょ(こと)しってちゃ(しってた)。でも・・・、きしりゃん(騎士団)がちだりゃけ(血だらけ)でかえっちぇきちゃ(帰ってきた)ってきいちぇ(聞いて)・・・はーじぇんおじうえ(ハーデンおじうえ)のこと・・・はじみゃは(はじめは)、ひゃで(へや)でまってちゃ(待ってた)けりょ(けど)・・・だりぇんも(誰も)こにぃくて(来なくて)、はーじぇんおじうえ(ハーデンおじうえ)がしんぴゃい(心配)でえ・・・・えっ・・・ひっく・・・ぎょ・・・ぎょめ・・・ん・・なさい・・・えっっっく・・・ひっく・・」

タリオの気持ちが痛いほど分かった。

私はしゃくりあげながら激しく泣いているタリオに咄嗟に抱き付き、自身の腕で囲い込んだ。私の腕の中で肩を震わせて泣く、小さな子供・・・・。どれだけ、心細かったのか・・・・怖かったのか・・・・。そう思うとこんな質問をしてしまった私自身に腹が立った。

「ごめんね。こんな嫌なこと聞いてごめんね」

私は抱きしめたタリオの背中をゆっくりと撫で、何度も何度も「ごめんね」を繰り返した。抱きしめたタリオが私の肩を手で押して、私を見上げる。

「いいよ。ぼく、だめにゅ(ダメ)なことしちゃから」

「ダメなことって分かっていても、ハーデンおじ様のことが心配だったのね」

タリオの背中を大丈夫の意味を伝えるためにゆっくりと撫でながら尋ねる。

「ん・・・・っく・・・っ」

タリオの涙も止まり、少し落ち着いたようだ。

先ほどまで泣いていた名残なのか、少し腫れぼったく潤んだ瞳のタリオが私を見上げる。

「あなちゃが(あなたが)、あたらしくきちゃ(あたらしくきた)にょせい(じょせい)?ぼくとにゅかよくしてくれりゅ(ぼくとなかよくしいぇくれる)?」

「えっ?」

この地に来た私(ネリネ)は、新しく来た女性で間違いないだろう。だが、タリオと出会ったのは偶然で・・・私は離婚希望の女性だけど・・・・はたして仲良くしていいものだろうか。

返事に迷っている私を、タリオは真っ直ぐに見つめている。その黒い瞳には、期待と不安が入り混じって揺らいでいるのが見える。

(まだ、こんなに小さいのに・・・・)

たしか、ご両親の事情が複雑だって聞いた気がするけど、自身の事情も事情なだけに『問題なし(私には関係なし)』と聞き流してしまって、『複雑な事情』の内容が思い出すどころか分からない。

小さな子供の瞳が私を真っ直ぐに見つめ、私から返事を待っている。

この子が欲しい返事は分かっている。

こんなの『否』なんていえないでしょ〜〜〜〜!!!

私は小さな手を両手で握り締め、タリオの黒い瞳を真っ直ぐに見つめ返す。

「少し前にアーデンの地に来た、ネリネといいます。仲良くしてね」

にっこり微笑んで自己紹介した私を、タリオくんは大きな黒い瞳をパチパチと数回瞬かせ最高の笑顔で「うん!」と返事をくれた。

「ぼくとなかよくしてくりゃしゃい(ぼくとなかよくしてください)」

かっわいい〜!!

窓から差し込んだ光がタリオを覆い照らす。

キラキラと輝く中で、タリオが見せる笑顔。

『ズッキューン』私の心臓が撃ち抜かれたのを感じた。

なんて可愛いのだろう。

小さな柔らかな身体を抱き締めれば、小さな子供特有の甘い香りが鼻腔をくすぐる。

タリオを抱きしめながら、癒される私。

「・・・・はあ〜〜〜〜っ・・・・」

呆れたような低いため息により、私の癒し時間が終了を告げた。

もちろんこの低音の深すぎるため息の主は、ハーデンさんだ。

うわ〜、まだハーデンさんの怒りを鎮めてないのだった。

私はこの瞬間に大変な難題が解決していなかったことを思い出した。

抱きしめたタリオ越しに大きな編み上げブーツを履いた足が視野を掠める。

ハーデンさんはベッドから降り、私とタリオの近くに立っていた。

いつの間にか近くなっていたハーデンさんとの距離。

編み上げブーツを履いた足を辿って見上げれば、ハーデンさんがなんとも表現しづらい顔で私とタリオを見つめている。

そして、タリオの顔が正面から見える私の背後に移動する。

「・・・・タリオ。いきなり怒って悪かった」

ハーデンさんは私の背後に膝をついて、私越しにタリオを真っ直ぐに見つめ謝罪を口にした。タリオは大きな瞳を見開き、プルプルと首を横に振っている。

「ぼくの方ぎゃ(ぼくのほうが)、ごめんなしゃい」

小さな声で謝るタリオは、可哀想なくらいしょんぼりしている。

そんなタリオの頭をハーデンさんの大きな手がガシガシ撫でる。

「わかったなら、もういい」

ハーデンさんのこの言葉を聞くなり、タリオは顔をあげた。

とびっきりの笑顔で!(なんとも現金な!!)

そんなタリオにハーデンさんは「おいっ!本当に分かっているのだろうな?!」

タリオに話す声は少し低く怒っていたけれど、ハーデンさんの目は優しくタリオを見つめて、タリオの頭を大きな手がちょっと強めになでている。

それだけ見るとなんとも微笑ましいのだが・・・・。


う〜〜〜〜〜ん。

私はちょっと困ったことになっていた。

ハーデンさんが私越しにタリオを撫でるということは・・・・。

え〜っと、なんだか私の位置が、妙なことになっていまして・・・・。

困っています。

だって、ハーデンさんがタリオの頭を撫でる・・・イコール私がハーデンさんに背後から抱き締められているような格好なのだ。

私も最初は気が付かなかったのだけれども、なんか気がついてしまうと、背中に感じるハーデンさんの温度・・・体温が気になってしまって、いたたまれない。

既婚者であり離婚希望中の私なのに、ドキドキする。

恥ずかしい〜。私の顔は多分赤くなっているだろう。

もっか恥ずかしさで絶賛混乱中の私は、タリオとハーデンさんが話していた内容を聞いていなかった。

もちろん、何か話しているな〜とは思っていたのだが。


タリオはハーデンさんと話をして安心したのか、天使の笑顔で私を正面から見ている。

そして、タリオの背後にはハーデンさんが満足気な顔で立っている。

ハーデンさんのこの満足気な顔から、なんとも不穏な・・・なんとなく厄介な気配を感じるのは気のせいだろうか?

そんなことを考えていた私だった。

「ぼく、ネリネちゃん大好きだからおねがいしあしゅ(ネリネちゃん大好きだからおねがいします)」

突然、笑顔満開のタリオが瞳をうるうるさせたおねだりポーズで私につげる。

「ネリネ嬢、タリオのこと頼む。もちろん、このことは俺の方からダーク夫妻に伝えて許可をもらう。もちろん、タリオの父親・・・父親たちにも許可をとる。だから頼む」

私の両方に手をのせ、ハーデンさんに正面から拝むようにお願いされる。

「えっ・・・と」

話が見えない・・・・。

この状況で、『会話を聞いていませんでした』とは言えない。

でも、だからと言ってすぐに『はい』とは言ってはダメな気がする。

「でも、私はこの地に来て間もないですし・・・・。わかないことだらけですし・・・」

会話を聞いてなくても、今の私に誰かを助けるような事は難しいだろうと判断して、やんわりお断りするつもりで切り出した。

「ああ、それは分かっている。だから、ネリネ嬢に不自由がないようにするつもりだ。だから、頼まれてくれないだろうか」

ハーデンさんの口調は穏やかだが、『否』とは言わせぬ!といった意気込みを感じる。

「・・・・」

どう言ったら、やんわりお断り出来るか考えたが・・・・言葉が見つからない。

何も言わずに固まった私を『承諾』ととらえたのか、ハーデンさんは膝をついたままの姿勢で座り込んだ姿勢の私の片手を取り、「ネリネ嬢の優しさに感謝する」と告げた。そして、ハーデンさんは私の手に唇を寄せた。

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さようなら元旦那様、私は幸せをつかみます 界扉(かいと) @sekai_tobira

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