第7話 辺境地アーデンでの生活(天使に出会う)
この辺境地アーデンに少しだけ慣れてきた今日この頃。
今日もいつも通り診療所でメリルさんに教えを乞いながらグースさんの指示に従い補助をしていた。
リーンリーンリーン
突然、大音量で鐘の音が鳴り始めた。
馴染みのない鐘の音。教会の鐘の音とは明らかに異なる。
音の大きさも尋常ではないほど大きい。
不思議に思っている私とは違い、診療所にいる皆は慌ただしく動き始める。
「ネリネ、この鐘の音は騎士団が討伐から帰還することを告げる合図なのよ」
何が起こっているのか理解出来ずにいる私に、メリルさんが忙しそうにしながらも教えてくれる。それを聞いて私も皆と一緒になって彼らの受け入れ準備に取り掛かった。
診療所の前では、傷の程度を確認し診察の優先順位を決定し誘導する癒し部隊と言われる救助隊が出迎える。グース医師・メリル看護師・介助補佐のスタッフと私は、診察室前で待機する。私にとってこれが初めての魔獣討伐を終えた騎士団の出迎えだった。診察室前で見た彼らは私がヒュウッと声にならない声を出すほど驚愕の姿だった。帰還した彼らの身体中は血でまみれ、垂れ下がった彼らの腕や脚からとめどなく流れる血が床に血溜まりを作っている。生死を彷徨うほどの重症に見えた騎士たちだったが、彼らが全身に纏った血のほとんどは魔獣の血で、致命傷を負った者はおらず軽傷者のみだった。ただ、魔獣の血液は魔力を伴っており、なかには魔力だけではなく毒を含んだ血液をもつ魔獣もいるのだとか。今回の討伐対象となった魔獣は毒を持つ魔獣ではなかったらしいが、返り血をあびることで魔獣の血液に触れてしまった騎士が多く、魔力酔いを起こした状態で帰還したということだった。
致命傷をおった者がいないと聞いてホッとしたが、診察室はむせ返る血の臭いに溢れ、この臭いだけで私は何度も吐きそうになり、気を抜けばしっかり立っていることすら難しかった。それでも、そんな私自身を叱咤してグース医師の指示に従い、必要な器具や薬を手渡し治療の補助に全神経を傾ける。
騎士団の帰還からどのくらいが経過したのか。
治療の補助をすることに必死になりすぎて、途中からむせ返るような血の臭いも、大量の血液にまみれ血だるまのような状態の騎士を見た瞬間に感じた不安も恐怖も・・・いつの間にか消えていた。
ようやく討伐より帰還した騎士全員の治療と確認を終え一段落したところで、グース医師より『幸いなことに今回の討伐では死傷者も重症者もいなかった』と告げられた。
グース医師の話を聞いて、治療にあたっていた皆がほっとした表情を浮かべる。
死者がいなくて本当によかった。
緊張感から解放され、死者がいなかったことに感謝しながら安堵に浸る。
治療が一段落したら、片付けと物品の補充など、次の処置を円滑に行うための準備をしておく必要がある。皆でそれぞれ手分けして片付けと物品補充をしていく。
片付けを終えた私は、気持ちが昂っていたのか真っ直ぐ自室に帰る気にならず、診察室の物品準備室で使用された器具の滅菌消毒をしながら薬や包帯などの物品の確認を行いつつ、先程までの緊張した時間を思い返していた。グース医師や先輩看護師たちの指示は的確で治療に一切の迷いがなかった。対して私は、先生や先輩看護師の指示に従うだけで精一杯だった・・・・自分自身の反省とメリルさんや先輩看護師に対する尊敬と憧れにドキドキしている。こんな気持ちになるのは本当に久しぶりで、少しばかり気恥ずかしく、そんな自身の気持ちに気づいて困惑している自分自身に驚いている。
カチャッ、物品準備室のドアを開ける音とともにメリルさんがやってきた。
「ネリネ、本当にありがとう。あなたのおかげでいつもよりも迅速に治療を終えることが出来たわ。死傷者も手遅れになるような重症者もいなくてホッとしているわ。あなたも少し休息してね」
「あなたが、来てくれて本当に助かっているのよ。これからもよろしくね」
「ありがとうございます。私、もっと頑張って、次はもっと手際良く皆さんについていけるようにしますので、これからもよろしくお願いします」
拳をギュッと握りしめる。そんな私にメリルさんは「あなたが頑張っているのは知っているわ。休憩をすることも覚えて欲しいって思ってはいるけど、頼りにしているわ」と優しい笑顔で私を褒めてくれた。
嬉しい!
私を認め必要としてくれる。
それが、『ここにいてもいいよ』って・・・私の居場所が出来たみたいに思えて。
本当に嬉しい!
まだまだ頑張ることばかりだけど、ここに来てよかったと心から思った。
メリルさんが物品準備室から出て行ってこの部屋には私ひとりだけ。
静かな部屋で滅菌された器具を片付けるカチャカチャ、カチッカチッ器具と器具がぶつかる小さな音がするだけ。
滅菌した器具の片付けも終えて、静かな部屋を見渡す。
たった一人の私・・・でも、以前のような虚しさも寂しさも感じなくなっていた。
うふふっ・・・なんだか余裕のある自分自身に嬉しさが込み上げてつい笑ってしまった。
「――――――――うっ・・うえっ・・・っ」
私だけしかいなかったはずの部屋に小さな泣き声がする。
声をたどって近づいてみれば、物品準備室の扉横に置かれた大きな木箱の影にうずくまるように小さな子供の姿。
あまり近づきすぎると怖がられるかも・・・
少しだけ距離をとって「どうしたの?なんで泣いてるの?」
小さな子供に向かって声をかける。
ビクッ・・・と、子供の肩が跳ねたのがみえた。
私が近づいていいものなのか考えあぐねていると、
「ぼく・・・まよっ・・・っちゃった・・・えっ・・っく、うえっ・・・っ」
どうやら小さな子供は迷ってしまったらしい。
「ねえ、出ておいで?」
「どこに行きたかったのかな?」
「私はネリネ、ここで看護師をしているのよ」
「・・・・・・・」
泣き止んだようだが・・・無言か〜。
多分、小さな男の子だよね・・・。
どうしたらいいかな〜・・・。
せっかく泣き止んだのだから、なんとかこの子の保護者を探したい・・・のだが、無言だしな〜。
・・・・・・・・
・・・・・・・
小さな影が、子供に合わせて少しだけ動いている。
このままでは拉致があかない!!
メリルさんに助けを求めようと思ったとき、
木箱の影から真っ黒な瞳と同じ髪色を肩の上で切り揃えた、とても整った顔をした女の子?男の子?・・・・性別が分からない子供だった。小さな子供、その子供の真っ黒な瞳からは水滴がボロボロとこぼれ落ちている。
「大丈夫よ。泣かないで」
小さな子供が声を殺して泣く姿を見ているのが辛くて、なんとか泣き止んで欲しくてそっと声をかける。
私の声にビクッとしたのは一瞬。
見下ろせば小さな子供の形のいい頭が見える。
身長は私の腰の位置よりもやや低く、子供というよりもう少し下の年齢の幼児のようだ。
私は、子供を怯えさせたくない一心で、子供の目線に合わせる。
大きな黒い瞳が私をじっと見つめている。
「ぼく、男の子」
そう言って、扉とは反対の窓際まで走って行ってしまいカーテンで顔を隠してしまった。
男の子なんだね・・・っと思いながら、男の子が隠れているカーテンをじーっとみていたら、ぴょこっと男の子が顔を覗かせて黒い瞳がこちらを見ている。ネリネが自分を見ていることに気づくと慌てて先ほどのカーテンで顔を隠す。カーテンに隠れていながらも、ネリネが気になるのかカーテンの隙間からこちらの様子を窺っている。
(ちょっと、ちょっと何!あのピョコピュコしてる小さな生き物!め〜っちゃっ可愛い!!小動物を思わせる仕草!小さなぬいぐるみ!・・・いや、人形みたい!!)
見た目はもちろん可愛いのだが、それ以上に仕草がめちゃくちゃ可愛い。
後をひく可愛さ!ずーっと見てられる。
しばらく、可愛さを堪能していた私だったが、カーテンで顔を隠している子供の膝が擦りむけて血がほんのりと滲んでいることに気がついた。
「ねえ、大丈夫?お膝痛くない?怪我してるよ」
「・・・・・・うん」
カーテンから顔を出し、小さく答えた男の子の目には、涙がたまり今にも溢れそうだ。泣くのを我慢しているのか、「えっ・・くっ」と声にならない小さな声が微かに聞こえる。
「えらいね。強いんだね。こっちにおいで」
そっと近づいてきた男の子を私は抱き上げ、近くにあった椅子に座らせる。
抱き上げた瞬間、男の子も身体がこわばった。
(これくらいの年齢の子なら、抱き上げられるのには慣れているはずなのに・・・・なんとなく違和感を感じた)
さっき準備した救急セットから、洗浄水を取り出し男の子に見せる。
「足についたバイキンにさよならしましょうね。ちょっと染みるよ。」
子供の膝下に小さな薄いトレイを敷いて、ほんのり血が滲む膝に洗浄水をかけて傷口を洗う。洗浄水が傷口に触れると、「いっっ!」と小さな声が漏れる。泣き出すのかと思い、ちらっと男の子を窺い見れば、唇をしっかり結んで痛みに耐えている。
「泣かないなんて、すごいわ」
「ひとまえでないちゃだめだって。りっぱなおとなになれにゃいって。おばあちゃまがいつもいってりゅから」
小さな男の子が発したとは思えない言葉に、ネリネは驚いた。
この体の大きさから年齢は三歳か四歳になったばかりだと思うけど・・・。
(随分と大人びたことを言うのね)
まだまだ甘えたい盛りの歳だと思うのだけど・・・・。
「じゃあ、ガーゼを貼って手当て完了よ」
「頑張ったわね。えらかった」
私はそっと男の子の頭をなでる。
男の子は貼ったばかりのガーゼをじーっと見つめている。
身じろぎひとつせずガーゼを見つめている男の子の頭を私も撫で続ける。
瞳と同じ色の黒髪がサラサラとしなやかなのに柔らかい・・・最高の手触り!
しばらく私の頭を撫でられるままだった男の子がゆっくりと頭を上げ、私をキョトンとした顔で見つめる。
(撫でたのがだめだったのかしら。出来ればもっと撫でていたいのだけれど)
「痛いのちゃんと我慢出来て、偉かったね」
泣かなかったことを褒めながら再び黒い髪を撫であげると。男の子は「うん、がんばった。ぼくは男の子だかりゃね」と少し噛みながらも嬉しそうに微笑んだ。
(うわあ〜〜、可愛いが垂れ流しになってる!)
小さな男の子なんて接する機会なんてなかったけど、こんなに可愛いのね。
もしも、私に子供がいたら・・・こんな感じだったのだろうか。寂しいいような苦しいような感情に耽ってしまいそうになり、思わずギュウッと男の子を抱きしめしまった。
不意に私が抱き締めても嫌がる姿を見せない。
私は抱きしめたまま男の子の顔を覗き込むようにして、大きな黒い瞳と目線を合わせる。
「ぼくの名前はなんていうの?」と尋ねてみる。
ここにこの子がいるっていうことは、この診療所にいる誰かの子供よね。
誰の子供だろう。
「ぼくの・・・なまえ?」
「ええ、あなたの名前」
「・・・・タリオ・べるぎゃあ」
男の子がおずおずと答えるが最後の名前を上手く言えていない。
でも・・・・、多分・・・・『べるぎゃあ』は『ベルギア』だろう。
「タリオくん」
(あれ?どこかで聞いた名前?『タリオ・ベルギア』・・なんだったかしら・・・・この地に来た時に複雑な生い立ちの子供だって聞いたような気がするけど・・・・)
「タリオくんは、誰をさがしにきたの?」
「う・・・・・っむ。ないちょ・・」
(まじか〜!)
「教えてくれたら一緒にさがすのにな〜」
「もしかしたら、タリオくんが探している人の場所、知ってるかもしれないけど・・・な〜」
ちょっと、焦らしモードで聞いてみる。
「・・・・う〜ん・・・と・・・」
教えるかどうかを迷っているようだ。
「教えたら・・・ここにいちゃこと・・・おこられりゅ・・かも」
そりゃそうだ、先ほどの診療所の緊迫した時間を考えれば・・・怒られるのは間違いないだろう・・・。でも、このままタリオくんだけを置いていくわけにもいかなし。う〜〜ん。まあ、なんとかなるだろうと軽く考えて、「じゃあ、タリオくんが怒られるのなら私も一緒に怒られるのはどう?一人で怒られるよりはいいと思わない」
「・・・・・・でも、おこられりゅのは・・・いやじゃにゃい・・・・」
だいぶ困惑しているのか、舌足らずになってきた。(でも、そこがどうして・・・可愛さが倍増してる〜!)
「タリオくんと一緒だったら、怖くても頑張れるけどな〜。どう?」
「ほんと??おこられても・・・ぼくにょこときらいににゃらいでくれる?」
「もちろん。約束する!」
私がそう告げれば、「はーじぇんおじうえ」
『はーじぇん』イコール『ハーデン』
であってる??
『はーじぇんおじうえは、きしだにゅでふくだんにょうだから』
(えっ!!え〜〜〜〜〜っ!!)
ネリネは心の中で叫ぶ。舌足らずで『はーじぇんおじうえ』になってはいるが、ハ
ーデンのことで間違いないだろう。
そして『副団長』ってタリオが言っているから・・・うん、ほぼ間違いない。
こんな可愛い男の子のおじさんがまさかのハーデン様だとは。
一方のタリオは、ネリネの驚きなど全く知らぬ様子で、大きな黒い瞳で彼女を見上げている。
「はーじぇんおじうえ、どこにいるかわかりゅ?」
タリオは真っ直ぐに見つめて尋ねてくる。その黒い瞳には、期待とともに不安が見え隠れしているのがわかる。
(父親よりも叔父のほうを探すって・・・どうしてだろう)
タリオを見つめながら考えるがわかるはずもなく、ネリネはタリオの両手をギュッと包み込むように握り、タリオの目を真っ直ぐに見つめ返す。
「大丈夫。ちゃんと知ってるわ。一緒に会いに行きましょう」
力強く返事をすれば、タリオは子供らしくにっこりと笑って、「うん!!」と元気な返事をした。
「いっちょにおこられるってやくしょくわすれにゃいで」
(うっわ〜〜〜〜〜可愛い!)
天使きた〜〜〜〜っ!!
タリオの可愛さに心臓を撃ち抜かれたネリネだった。
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