第6話 新たな時間の始まり

「「ネリネ、やったな(わね)。これで晴れて看護師として働けるな(わね)」」

辺境騎士団で軍医として働くグース・ダーク医師と妻で看護師のメリル・ダークが満面の笑顔で褒めてくれる。

私は離婚届をおいて邸をでたあと、ミモザの伝手を頼って辺境の地であるアーデンで見習い看護師として辺境騎士団で働いている。

そして、先日実施された看護師資格試験に無事合格したのだ。試験の内容は、すべて実施試験だった。この地で見習い看護師として働き始めて私は自分自身に驚いた。人の体や薬について学んだ経験のない私だったが色々なことに対処することが出来た。例えば、経験のある者であっても搬送された患者の状態を目の当たりにすると倒れたり、気分が悪くなったりすることが頻繁であるらしいのだが、私は怪我の治療で血をみても驚くことも恐怖することもなかった。そして、グース医師やメリル看護師の指示に従ってスムーズに補佐の役目を果たすことが出来た。この私のスムーズな動きに驚いたのは私だけではなかった。むしろ、ダーク夫妻の方が驚きと喜びで興奮が凄まじかった。ダーク夫妻の興奮状態に圧倒された私は意外と冷静に自分自身に起きていることを分析することが出来た。そんな私が確信していることがある。それは、私が見たあの映像の女性はやはり『私』だったということ。あの映像の私が働いていた場所は、ここよりも医学がもっと発達した場所だった。薬もたくさんあったように思う。ただ、この辺境の地で騎士が持つ魔力はなかったのではないだろうか。ただ、映像の場所で行われている医学はすごかったのだと思う。なぜなら、私は包帯の巻き方や傷の応急処置などは、当たり前のように知っていたし、人が発熱する理由はもちろんのこと『細菌』『ワクチン』『ウイルス』など教えられているわけでもないのに色々な『医学用語(ことば)』を知っていて、ダーク夫妻が???な言葉も分かっていた。もちろん、ダーク夫妻が知らない言葉などは秘密にすることも忘れなかった(あの映像の『私』のことは私だけの秘密だ。話したところで誰も信じないと思うし・・・怪しまれたくはない) ダーク夫妻は私が辺境アーデンに来たことをとても喜んでくれたし、一緒に行動する時間が長いためかたった数日間を一緒に過ごしただけで、私はダーク夫妻を両親のように慕うようになり、ダーク夫妻も私を娘のように接してくれるようになった。

『看護師資格試験』を受けることを助言してくれたのはメリルさんだった。

「ネリネ、看護師資格試験受けてみない?もちろん、今のままでもいいのだけど・・・何かあった時に資格があるって助けになると思うの。もちろん、あなたが気乗りしなかったら受ける必要なんてないわ。ただ、私たち夫婦には子供がいないでしょ。でも、結婚した頃に思い描いた私の夢を思い出しちゃったんだよね。夫と私と子供で一緒に働けたら幸せだな〜ってね。・・・ごめんなさいね。もちろん、押し付けるつもりなんてないからね」

最後は、柔らかな微笑みで話してくれたメリルさんだったけど途中から本当に申し訳なさそうな感じになってしまっていた。でも、私はすごく嬉しかった。

結婚してから両親に悩みを打ち明けることもアルクとどう向き合えばいいのかを相談することも・・・・『心配かけたくない』そんな思いばかりでまともに連絡すら出来なかった。だから、なんだか久しぶりの家族の優しさに触れることが出来たみたいで嬉しかった。その後の私の行動は素早かった。メリルさんを通じて看護師資格試験を受けたい意思を伝えてもらい、ダーク夫妻の『ネリネの実施は保証します』のお墨付きをもらうと、すぐに看護師資格試験を受けることが出来た。私がアーデン辺境地にきてから3週間目の出来事だった。



今、私がこの場所に来ることが出来たのは、ミモザが元辺境伯のシルフェスト様の奥様である叔母ルキア様に私を助けてくれるようにお願いしてくれたからだ。ミモザから私の話を聞いたルキア様は離婚を希望する伯爵夫人である私を快く受け入れ、住む場所と辺境騎士団で仕事が出来るように取り計らってくれた。普通に考えれば、離婚希望の女性というだけでも厄介な存在なのに・・・名称だけのも伯爵夫人だ。厄介者すぎて関わりたくないと拒絶されてもしかたないのに・・・・ルキア様をはじめ私を受け入れてくれた人々とこの辺境地アーデンに感謝しかない。

結婚して夫婦となったのにアルクに求められることなく、一時は伯爵夫人として忙しいと思ってのアルクの優しさだと信じていたこともあったが・・・・あの頃から、アルクの私への愛情は失われていたのかも知れない。その頃の私は、『お飾り妻』『あいされることのない奥様(石女)』と使用人たちに揶揄られている事が苦しくて恥ずかしくて・・・それに立ち向かう術が見つからなくて・・・不甲斐ない自分が嫌いで嫌いででたまらなくて、それでもなんとかしたくて・・義母に邸内の女主人としての仕事の教えを乞うたり、結婚前のアルクに戻って欲しく色々と尽くしてみたりした。もちろん閨事も誘ってみたりもした・・・・。義母からは『覚えが悪い』と言われ、夫からは相手にされず・・・全てが空回りして終わった。そんな時、たまたま拾ってしまった夫の声・・・耳を覆いたくなるような夫の本音。

聞いてしまった言葉を無かったことには出来なかった。

苦しくて悲しい・・・考えれば考えるほど大きくなっていく負の感情が私の心を巣食う。私は必死でこの感情を抑えながら時間が経つのを待つ。毎日の時間がたつのがとても遅く感じた。時間の経過とともに苦しくて悲しい負の感情は収まっていき、私の心には虚しさだけが残った。

――――――――――でも、

『ネリネ・・・別の場所で生き直してみない。ネリネはこんな扱いをうけるような女性じゃないのよ。本当の貴方は優しくて強い。今は心が弱っているだけなの。だから、この国で最強と言われる騎士たちが守っている辺境の地であるアーデンで暮らして、最強の騎士たちに守ってもらいましょう。きっと、以前の貴方よりも優しくて強い貴方に出会えるわ。騙されたと思って行ってみない?』

ある日の昼下がり、突然伯爵邸に押しかけてきたミモザが私を子供を抱きしめるようにしながら耳もとで呟かれ、虚しさだけに縛られ無気力になっていた私の心が・・・『変わりたい』『生き直したい』『このままは嫌』・・・心が小さく声をあげはじめる・・・・涙で頬が濡れる。涙なんて枯れきってしまったと思っていた・・・でも、私は泣いていた。ミモザの腕に優しく抱きしめながら・・・・ミモザの優しさに・・・胸が熱くなった。

私が生き直すことの出来る場所。虚しいと思って生きるのは嫌!これまでの私を否定しながら生きていくなんて絶対に嫌!私を変えてくれる・・・生き直す・・・そんな場所でやり直してみたい。

私を誰も知らない・・・場所でなら、新しい自分として再スタートをきることが出来る気がしたから・・・・

私は、伯爵家を出ると決めてから両親に手紙を出した。

今まで相談出来なかったこと。アルクと離婚したいこと。だいぶ気持ちが落ち着いてきたが、今の私はこれまでの私の人生を否定してしまうこと。でも、私自身を否定するのは間違っているとも感じていること。そのことを踏まえた上で、人生をやり直して変わりたいと思っていること。実家には戻らず、公爵夫人であるミモザの仲立ちで辺境の地であるアーデンで働くこと。そして、私の居場所は秘密にして欲しいと書き綴った。

 両親から私に宛てた手紙をメリルさんから渡されたのは、私が看護師資格試験に合格した次の日だった。逸る気持ちでペーパーナイフを当てる。手紙の開封と同時にふわっと懐かしい香りが私を出迎える。両親からの返事には、ただただ娘を心配する気持ちだけが綴られていた。離婚を咎める内容も離婚を考えるまでに相談しなかったことに関してもいっさいなかった。手紙から両親の愛情を感じ、久しぶりに送った両親への手紙が幸せな内容でないことを・・・・心配ばかりかけていることがあまりにも申し訳なくて目に涙が滲む。

両親に心配をかけないためにも、しっかりしなくちゃ。この地で私は自分自身のために生きてみせる!



「ネリネ!こっちに包帯持ってきて!」

「はい!」

メリルさんが私を呼ぶ声に、少し離れた場所で作業していた私は返事をして立ち上がる。すっかり見慣れた診療所の棚の引き出しから包帯と傷当て用の布を取り出し、呼び声のした診察室を横切り、メリルさんに手渡した。

「ありがとう。・・・・って、一日三回消毒して傷が塞がるまで安静にしてくださいって言ったわよね!?見事にぱっくり傷が開いてるじゃない。もう一度、消毒して縫い直しよ!ネリネ、グースを呼んできてくれる」

冷たい声と冷えた眼差しの叱責に、メリルさんの前に座っていた大柄な患者が、ボリボリと居心地悪そうに頭を掻き、目を逸らした。目を逸らした先に私を捉えた男は、肩をすくめてメリルさんの叱責などものともせず、肩をすくめてニコリと笑い「メリルさんきっびし〜っ」と言い放ちニコリと笑った。そんな男の表情とメリルさんの表情の乖離(かいり)がおかしくて、笑ってはいけないと思いつつも笑いそうになった私は、口元に手をあて笑っているのを見えないように隠した。そんな私を目敏(めざと)く見つけた男は「おっ」と破顔した。それを目聡(めさと)く勘付いたかのか、ジトッとした目で睨んだメリルさんは、無言のまま男の腕に布をあて包帯を巻いてギュッと閉めた。途端、「痛って〜っ!!」男が顔をしかめる。そんな男には目もくれず、「あらっ、ごめんなさいね〜。年頃の女性に微笑む余裕があるんだって思ったらちょ〜っと力が入っちゃったみたい」メリルさんはそう言って診察室の扉に向かって「グース、そこにいるのは分かっているのよ」と呼びかける。

ゆっくりと診察室の扉が開き、「バレてましたか」と少し恥ずかしそうな様子のグースさんが顔を出す。そんなグースさんにメリルさんが目配せする。頷いたグースさんは診察台に顔をしかめたままの男を促した。「ハーデン、いつまでも顔をしかめてないでここに横になれ」診察台を無造作にポンポンとたたきながら催促するように促した。そんな様子を見ながら、この男の患者さん『ハーデンさん』って名前なんだ〜と私は呑気に思っていた。

「ネリネ、今からハーデンの傷を縫合したい。準備を頼む」と、グース医師から指示がとぶ。

「はい!すぐに準備します」

私はすぐに、診察室の棚から縫合セットと消毒薬、新しい布、包帯を準備し、診察台横に設置された処置用ミニテーブルに使いやすいように並べていく。そして、私は診察台に座り込んでいる患者はハーデン腕の包帯を見て、男の腕に以前縫合した糸がそのままになっているはずだったことを思い出し、抜糸セットと抜糸後に膿に侵されている部分を洗浄することも踏まえて準備していく。

そんな私をしりめに「今からって・・・嘘だろ!俺が寝ている時にしてくれ!」やや青ざめながらぎゃあぎゃあ男が騒いでいる。

「準備できました」

私は、ハーデンに呆れつつも子供をいなすように対応しているグース医師とメリルさんに伝える。

私の言葉でメリルさんの顔つきが看護師のものになると同時に診察台横ミニテーブルに準備されてた物品物の確認を始めた。

私の中で緊張が走る。

「ネリネ、完璧よ」

明るく微笑んでメリル看護師からのOKが告げられる。

嬉しい気持ちと一緒にホッとした気持ちになる。

「よかったな、ネリネ嬢」

患者のハーデンさんが誰よりも先に褒めてくれた。

「ちょっと、貴方患者なんだから。患者らしくしなさい!」

メリルさんがハーデンさんにダメ出しをする。

その様子を苦笑いしながら見つめるグースさんがいた。

メリルさんは、グースさんと私に視線を戻して

「先生、さっさと終わらせましょう」と促した。

「そうだね。さっさと始めるとするか!ネリネは、この怖がりな患者を抑えてもらいたい」

「「了解」」

メリルさんと私は同時に返事をする。

「ハーデンさん、腕の処置をする間、体に触れますね。痛くて我慢出来ない時は、何か合図をください。・・・・どんな合図ならできそうですかね〜??」

私は診察台にブスッとした表情で座っているハーデンさんに話かけた。

「いやいや、ネリネ嬢。俺はガキじゃないから・・・大丈夫!それに、俺は辺境騎士団の副団長だから!!」

なんだか、焦りながら大きな声で返事をされる。

そんな・・・・痛がっても仕方ないし、恥ずかしくもないのだけど・・・なんて思いながら、患者に恥をかかせるのも良くないと思った私は、「わかりました。でも万が一の時には、ハーデンさんが私のこのエプロンを引っ張るってどうでしょう」

私は、仕事用にワンピースの上から処置の時に着用する白いエプロンを指して聞いてみた・・・・のだが、片手で顔を隠すようにしたハーデンさんは、「わかった」と呟いた。

ハーデンさんの反応はイマイチ理解出来なかったが、怒っている様子ではなかったので・・・OKとして軽く流すことにした。ハーデンさんの両耳が真っ赤になっていることにも、ハーデンさんと私のやりとりをダーク夫妻が生暖かい目で見ていることに気がついていなかった。

ハーデンさんの処置は無事に完了した。

メリルさんが早期に縫合部の傷口に違和感に気がついたことが幸いして、大事にはならずに最低限の処置ですんだのだ。

本当に良かった。

処置中、ハーデンさんは特に痛みを訴えるわけでもなく、平然として処置されていた。

麻酔とかないのに・・・・・驚きである。

処置が終わって安静にしているハーデンさんに『痛くないのか?』と尋ねたところ、『問題ない。これくらいの痛みには耐性がある。それに毎日鍛えているからな』と言われたのだが・・・・『ハーデンてばっ、かっこつけちゃって』とニヤニヤ顔のメリルさんに言われて二人の口喧嘩の再来・・・これは安静に出来ないのでは?と心配になっていたところに、グースさんが『ハーデンのように魔力持ちの者は魔力がない者に比べて、痛みに耐性があり、身体も強固なんだ』と教えてくれた。

『魔力』、都育ちの私には馴染みのない言葉。だが、聞いたことはある。『魔力』を持って生まれてくる者がいると・・・そして、その能力は計り知れず、素晴らしいものでもあるが脅威でもあると・・・・それゆえ、王都内では魔力を使用する際にはいくつかの使用条件があること、魔力を持つ者の多くは、辺境の地で魔物を狩る役目についていると・・・学んだ。

私はあらためてハーデンさんを見つめた。

確かに身体も巨体で筋肉もすごいわ・・・でも、騎士として鍛えているからかも・・・・うん??元夫のアルクはこんな筋肉は・・・と考えてしまって急に嫌な気持ちになってしまった。せっかく新しくスタートしたのに、過去のことなんて思い出したくない!!

急に静かになった私を気遣いながら、グースさんは魔力について教えてくれた。

グースさんが教えてくれた魔力に関する知識のほとんどは私が学園で学んだ内容と合致していた。だだ・・・・魔力を持つ者が辺境の地に集まる理由は、『魔物を狩るため』ではなくそれは結果論であること。正しくは、魔力を持つ者は誰しも魔力暴走の危険がるため、王都には居場所がないのだとか・・・・そして、魔力暴走は魔力が多ければ多いほど激しいものになり、当然ながら被害も甚大になるのだとか・・・・。その魔力暴走を乗り越えて成人すれば、魔力を持たない者よりも身体能力はもちろんのこと便利に快適に過ごすことが可能になるらしいのだが・・・・。というのも、魔力を持った成人であるというだけで、国から保護対象となり魔力量に対して魔力補償がもらえるらしい・・・簡単にいえばお金がもらえるってことらしいのだ。これは知らなかった・・・。私の考えを先読みしたのか、グースさんは「『魔力補償』に関しては王都で国を動かす人材の一部と魔力をもった成人の本人と配偶者しか知らない」とのことだった・・・・この話を聞いた時点で『そうなんだんだ〜。色々大変だよね〜』と魔力を持たない自分には関係ないことだからと流してしまった私。この時の私は、これは私が知ってはダメな内容だと気がつくことはなかった。



今日もハーデンさんが診療所に来ていた。

ハーデンさんが処置後の消毒や経過観察のために診療所に足を運ぶことは分かる。ただ、なぜメリルさんに処置してもらった後に私に会いにくるのかが分からない。

それも、1回2回ではないのだ・・・・処置後から1週間・・・毎日だ。

ハーデンさんがどう言った意図で私に会いにくるのか、本当に分からない。

そんなことを思っていたら、ハーデンさんは姿を見せなくなった。

なんとなく寂しいという思いに気づきたくなくて・・・・自分の感情に蓋をした。

何気なく続く平穏・・・それが私の幸せだと思うから・・・・・。もう、傷つきたくない。

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