チェッチェッコリな人生

蟹文藝(プラナリア)

ハッピーバースデー、蟹。

 ぶっちゃけると、私の持つ一番最初の記憶はメリーだ。

 メリーとはなにかご存じであろうか。

 メリーとは、赤ちゃんの遊びや寝かしつけに使われるおもちゃで、視覚や聴覚を刺激する効果があるそう。

 仰向けに寝ている私の頭上でくるくると回るメリー。あれが私の最初の記憶だ。

 メリー、ケチっちゃいけないね。

 黄色いアーチにぬいぐるみが吊り下げられていたのをはっきりと記憶しているから。


 だが、そこから書き始めるわけにもいかないので、母親と父親から聞いた、生まれた当時の話から書いていこうと思う。


 2007年5月。私はこの世に出現した。

 正確に言うと母親の胎内にいる時点で出現したといえるだろうが、そのような考え方をしていくと、人はどこの時点から人と呼べるのであろうかという生命倫理のような哲学方面へ持っていってしまうことになるので、今回は省略。いつかきちんと書きしたためておこうとは思っている。


 父から聞いた。

「お前は雲一つない晴天の日に生まれてきたんだよ。」と。

 母から聞いた。

「あんたもお兄ちゃんもちゃんとパパが休みの土日に生まれてきた。優秀だ。」と。

 兄から聞いた。

「デブガエルかと思った。」と。


 おい。


 兄は八歳年上で彼なりの寂しさや不安、憤りの表現方法だったのだろう。自我がある程度出ている時点で下の兄弟が生まれるというのは酷なことでもあるだろう。

 ま、私の知ったこっちゃないが。


 さて、生まれる日のこと。これは母親からも父親からも死ぬほど聞かされた。

「お前はビビりだ。」と。わお。マジかよ。詳しくお話ししよう。


 日曜日の朝、陣痛が母親を襲った。そう、私のお出ましだ。

 当時母親は痛みをごまかすために仮面ライダーとヒーロー戦隊を見ていたそう。

 いや、チョイス。

 産院からいい加減に来いと急かしの電話を受けて産院へ。

「午前中に生まれますよ。」と言われたそう。

 いいやん、昔の私。ちゃんと朝活してる。


 だがしかし、私である。私なのである。行く先々でなにかと逸話を残しがちな私である。一筋縄では生まれてくれない。迷惑な奴。


 産院の隣の部屋で、ほかの赤ん坊の母親が絶叫していたらしい。

 隣の部屋から響く絶叫、助産師さんの叱責が母の胎内に響いたのだろう。

 止まる陣痛。私は早速ヒキニートの才覚を現した。

 そう、生まれるのを辞めたのだ。


 母は言っていた。

「きっとお外が怖かったのね。大丈夫よ~出ておいで~って声を掛けたんだから。」

 さすが母。聖母。

 絶叫するほどの痛みをもう一回一からやり直しになっても、そんな言葉を私にかけたのだ。うーん、わたしゃ母になれそうにないよ…。

 そこで辞めておけばよかったものを、私は夕方もう一度外の世界への憧れを募らせる。


 午後4時頃。私は生まれた。

 それまでの間父親は廊下の椅子に座らされて、ずっと空を見ていたらしい。すまん。


 とりあえず、はい、ご唱和ください。「お誕生日おめでとう」


 ありがとう。


 写真がある。

 母の腹の上に乗せられた私。

 兄よ、言いたいことはわかる。カエルみたいだ。

 ガチで赤ちゃんって赤いんだぜ、知ってた?


 右足首にまかれた「(母の名前)ベビー」の文字。

 未だにバンドがとってある。ちっちぇ。


 もう一枚写真がある。

 退院間際の私と母。

 母親の腕に抱かれ、ふてぶてしく母の腕を蹴っている私。


 なんだこいつ。



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