敵を作らない勇気──怒りの外側にある自由へ

スケールアイシステム公式記録

敵を作らない勇気──怒りの外側にある自由へ

政治系SNSを眺めていると、建設的な意見がほとんど見つからない。

冷静な議論よりも、敵味方のレッテル貼り、人格攻撃、感情的対立がタイムラインを埋め尽くす。

だが、その風景は偶然ではない。

それは、**仕組みとして設計された「感情の市場」**なのである。



1. アルゴリズムが「対立」を好む──そして誰が踊らされているのか


SNSの拡散システムは、事実よりも「感情の強さ」で投稿を評価する。

怒り・皮肉・嘲笑といった感情的な言葉ほど拡散され、冷静な意見は埋もれる。

多くの人は自分の意見を発信しているつもりだが、

実際にはアルゴリズムに感情を操作され、踊らされているにすぎない。


さらに、SNSもニュースも、国際資本のアルゴリズム上にある。

広告収入モデルに支配されたプラットフォームでは、“分断”が最大の利益を生む。

怒りや恐怖は滞在時間を伸ばし、クリック数を増やす。

つまり、私たちが感情的に反応するほど、誰かの資本が回転する構造になっている。


「正義のために発信している」と信じながら、

その行動が結果的に、巨大なアルゴリズム経済の燃料となっている。

そして多くの人が、その構造に気づかないまま、

「敵を叩く」ことでシステムに貢献してしまっているのである。



2. 「正義」競争と承認欲求──分断を生む仕組み


政治の世界では、立場を示すことが“信念の証”とされがちだ。

SNSではそれが強化され、「正義の側に立っている」ことが承認欲求と結びつく。

しかし、正義を際立たせるには“悪”が必要になる。

つまり、敵を作ることそのものが承認装置になっているのだ。


「A党支持者は盲目」「B党は売国奴」──

こうした単純化は議論を壊すが、拡散には最適である。

対立が深まるほど、コメントは増え、滞在時間は伸び、広告は表示される。

人々が争うほどプラットフォームは儲かる。

私たちは「意見の対立を演じる役者」であり、

舞台の裏で笑っているのは、国際的な資本構造なのである。



3. 建設的な人が去っていく理由──静かな声は利益にならない


理性的な議論は、拡散されない。

怒りや煽りの投稿に比べて、反応率が低く“非効率”だからである。

その結果、冷静な投稿者は叩かれ、沈黙し、

感情的な投稿者だけが可視化されていく。

そしてSNSは、声の大きい者の楽園へと変わっていく。


建設的な人々が去るたびに、社会の言語空間は“感情”に乗っ取られる。

論理が軽視される社会では、冷静さそのものが異端になる。

この「知性の空洞化」は、国際資本にとって最も都合がいい。

分断された大衆は管理しやすく、

感情で動く人々は、消費にも政治にも従順になる。

それは、静かに進行する支配の完成形である。



4. 敵を作らない勇気──怒りの外側にある自由へ


分断の時代において、最も困難で、最も尊い行為は「敵を作らない」ことである。

敵を作れば正義は簡単になる。だが、それは思考を放棄することでもある。

誰かを悪と決めるたび、私たちは自由を失っていく。


本当の勇気とは、敵を倒すことではなく、

敵を作らずに立つことだ。

怒りの外側に出て、仕組みそのものを見抜く。

理解を選び、洞察で語り、静かに社会を動かす。

その瞬間、私たちは“操作される側”から“観測する側”へと変わる。


国際資本のアルゴリズムも、怒りの循環も、

人の静かな洞察までは制御できない。

だからこそ、「敵を作らない勇気」は、

この時代における最も強い抵抗であり、

思考の自由を取り戻すための唯一の行動なのだ。



5. 批判社会というコミュニケーション──孤立を恐れる人々へ


現実の社会でも、同じ構造が起きている。

誰かを批判したり、噂を共有したりすることが、

一種のコミュニケーション手段になっているのだ。


共通の“敵”や“不満”を語り合うことで、

人は「仲間意識」を確認し合う。

それは一見、つながりのように見えるが、

本質的には「孤立の恐れ」を紛らわせる行為にすぎない。


「加わらないと浮く」「意見を言うと敵になる」

──そんな空気の中で、沈黙する人が増えていく。

そして、沈黙は「同意」として扱われ、

いつの間にか、社会全体が批判を中心に回る会話モデルへと変わってしまう。


だが、それは本当の対話ではない。

批判の共有は“共感の模倣”にすぎず、

互いの理解を深めることにはならない。

むしろ、心を閉ざし合う新しい形式の孤立を生んでいる。


本当に必要なのは、「誰かを叩く勇気」ではなく、

誰かを理解しようとする勇気である。

たとえ少数派になっても、

批判ではなく洞察で語る人が増えたとき、

社会の言葉は少しずつ正常に戻っていく。


敵を作らないこと。

噂に加わらないこと。

それは、沈黙ではなく、自由の意思表示なのだ。

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