返されなかったもの
侘山 寂(Wabiyama Sabi)
返されなかったもの
― 第七次外宙知的接触計画/単独任務報告抜粋 ―
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《音声記録:開始》
こちら、第七次外宙知的接触計画 調査員 宗村凪。
単独任務。
本任務の目的は、地球外文明との接触および交流可能性の調査。
異なる知的生命体との相互理解を通じ、将来の恒星間支援・共存体制構築に向けた基礎資料を収集すること。
降下地点、北緯14.8度。地表は灰色で滑らか。
風は穏やかだが、音が少ない。
遠方に黒い山のような地形が見える。
雲の流れに逆らうように、輪郭がわずかに脈動しているようにも見える。
……気流の影響だろう。
調査を開始する。
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《第1日》
着陸完了。
地表の灰は乾燥しているのに、踏むと柔らかく沈む。
数秒遅れて形が戻る。
採取したサンプルには繊維状構造が含まれており、有機反応をわずかに示す。
この星は静かだ。
風が止まると、呼吸音のない部屋にいるような圧迫感がある。
山は変わらず、ゆっくりと膨らんだり縮んだりしているように見える。
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《第3日》
湿地帯で足跡を発見。人間に酷似。指は六本。
霧の中に人影を確認した。
録画データには映っていない。
視覚的錯覚、あるいは装置のノイズか。
その後、地面の下から周期的な震動音。
地鳴りというより、呼吸のようなリズム。
方向は山のほう。
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《第5日》
現地生命体と接触。
外見は人類にきわめて近い。皮膚は光沢がなく、空気に溶けるよう。
通訳装置を通して、彼らは私を「帰ってきたもの」と呼んだ。
正確な翻訳かは不明。
装置の辞書では「訪れる」「戻る」「返る」の意味が混在している。
あるいは、彼らにとってそれらは区別されない概念なのかもしれない。
敵意はなく、穏やかに迎え入れられた。
食物を勧められる。味はほとんどない。
彼らは食事の前後で一斉に山の方向を向き、しばらく動かない。
儀式か習慣か。
その間、地面全体が微かに波打っていた。
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《第7日》
交流が進む。
彼らの皮膚から細かな繊維が常に剥離している。
風に舞い、地に沈み、やがて湿り気を帯びて消える。
それを観察していると、一人が言った。
「眠っているだけ」だと。
“眠る”という単語は、翻訳機がよく置き換える語だ。
この場合、彼らの原語が“休む”や“帰る”の意味を含むのかもしれない。
あるいは、装置の誤変換か。
文脈が掴めない。
彼らはそれを丁寧に拾い、器に入れていた。
夜、集落の全員が山の方向へ身体を傾けた。
地面を伝って低い音が響く。
風ではない。
——山が、息をしている。
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《第10日》
昨日まで五人だった家族が、今朝は六人になっていた。
誰も驚かない。
増えた個体は、前日灰を集めていた器の隣に立っていた。
彼らは「昨日の私が今の彼」と言った。
翻訳は正常。
彼らの“個体”は、分かたれても続いている。
山の近くで、無数の壺が並んでいるのを見た。
中は灰のような粉末。
風が吹くと、灰がかすかに震えていた。
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《第14日》
今朝、寝床の床に自分の髪が落ちていた。
反射的に集め、焼却処理を行った。
煙が上がった瞬間、外で騒めき。
数人が駆け寄り、扉を開けた。
誰も怒鳴らない。ただ、こちらを見ていた。
一人の年長者が近づき、手を取り、低い声で言った。
「それは、あなたを殺した。」
地面が波打つ。
遠くの山が霧を吸い込むように沈んだ。
記録装置が小さく揺れている。
……報告を続ける。少し動揺しているが、大丈夫だ。
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《第15日》
通信状態が悪い。
彼らは穏やかに語った。
この星では、髪も爪も声も影も、離れた瞬間から“帰る”のだと。
私はそれを燃やした。
帰る道を閉ざした。
だから私は、私を殺したのだと。
灰が足元で動いている。
地面の下から、声のような音。
山の輪郭がゆっくりと脈打っている。
胸の鼓動が、同じ速さで鳴っている。
(低い雑音が長く続く)
……ィ……かえ……なか……っ……たの……
(音声乱れ・不明瞭)
……今、何かが——いや、聞き間違いだろう。
雑音に似ているが、人の声にも聞こえた。
機器のノイズとして処理しておく。
報告を終了する。
(記録途切れ)
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《第16日》
……こちら、宗村。
今、外に一人の人影を確認した。
距離はおよそ十五メートル。
輪郭がはっきりしている。
最初は、ただこちらを観察しているように見えた。
双眼レンズで拡大したところ——服装、装備、体格、すべて私と同じだった。
顔も……たぶん、私だ。
(短い沈黙)
……想定外ではない。
この星の法則から考えれば、あり得る現象だ。
それでも、胸の奥が落ち着かない。
こちらを見ていた“それ”は、わずかに頷いたように見えた。
……報告を一時中断する。
外の状況を確認する。
(記録一時停止)
* * *
……宗村。記録を再開する。
状況、特に問題はなかった。
外には誰もいない。
気象観測装置も異常なし。
これにて、本日の調査を終了する。
(短い沈黙)
(微かな呼吸音。記録終了)
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《通信解析報告書/地球中央局記録課》
最終受信:紀元暦2124年9月19日 04:06(地球標準時)
受信形式:音声データのみ。映像欠損。
末尾に宗村本人と一致する声紋を複数検出。
音源は不定。地表全域から同時発生した可能性。
救援艇派遣の結果、宗村および装備の痕跡は確認されなかった。
映像断片には、遠方の山が周期的に膨縮する様子が映っていた。
解析班は大気層の乱反射による錯覚と結論。
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解析官補メモ(記録官補 カワセ・アヤ)
彼の報告を読むたび、胸の奥にざらつくような違和感が残る。
記述は正確で、冷静で、狂気の兆候はない。
それでも、読み終えると、無意識に手を見つめてしまう。
自分の皮膚の上に、細かな繊維のようなものが浮いている気がする。
髪をとかした後、机の上に落ちた一本を拾い上げながら考える。
——これは、私か?
いや、まさか。
そう言って笑いながら、灰皿に落とす。
隣の席の誰かも笑っている。
同じ動作で、同じように。
(記録終了)
返されなかったもの 侘山 寂(Wabiyama Sabi) @wabiisabii
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